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バイカル湖と霞ヶ浦

論評

相崎 守弘

 シベリヤの真珠といわれるバイカル湖は新潟から4時間程度で行くことのできる近い湖である。旧ソ連の科学アカデミー・シベリヤ支部は,バイカル湖を世界の科学者に開放し,共同研究を行うための組織としてバイカル国際生態学センター(BICER)の設立を呼びかけるワークショップを1990年4月にイルクーツクで開催した。筆者が事前の情報がなにもないままにその会議に参加した。帰国後,得られた情報をもとに日本陸水学会の奥田会長(当時)を中心とした準備会が設けられ,1991年3月に日本BICER協議会が設立された。旧ソ連が対象のため政府間ベースでのサポートが得られず,研究者の任意団体として50数名で発足した。旧ソ連の財政事情からBICERの設立メンバーになるためには10万ドル以上の拠出金が求められ,その財源確保に現在事務局長をしている河合さんを初めとして多くの皆さんが奮闘した。日本BICER協議会は現在100名を越す研究者が集まり,学術会議のサポートも受けて,困難な情勢ながら日本の研究者によるバイカル湖研究の第一歩が踏みだされた感じである。今後のさらなる発展が期待できる。

 バイカル湖というシベリヤの湖に対し,日本国内だけでもこれだけ多くの研究者が集まってくるのはそれだけバイカル湖に魅力があるということである。世界最大の淡水湖,数千万年の歴史,その歴史の中で分化した多様な固有種などその魅力は世界中の研究者を引きつけるのに充分なものであろう。

 霞ヶ浦は日本第2位の表面積を持つ浅い富栄養化した湖である。国立環境研究所にとって重要なフィールドである。最近,霞ヶ浦に関する文献目録を整理したが,霞ヶ浦で最も環境変化が激しかった1960年代の文献が極めて少なく,1970年代半ばより増え始め,1980年代前半にピークに達しその後暫減している。霞ヶ浦はもともとは汽水湖であったが,塩害対策や洪水対策を目的とした常陸川水門が1963年に完成し,その後の水利用変化に伴って総合開発事業が行われ,現在では完全に人工化された湖になっている。

 湖沼を研究している人にバイカル湖と霞ヶ浦を比べて研究対象としてどちらが面白そうかと尋ねれば,ほぼ間違いなく大半の人がバイカル湖と答えるであろう。現在の霞ヶ浦は,人工化し,湖岸はコンクリートで固められ,湖内生態系も激しい速度で変化しつつある。自然を認識する科学の観点からは魅力の乏しい対象である。しかし,地域環境の観点からは霞ヶ浦は依然として重要なウエイトを占めている。多くの人が関心を持っており,水資源の確保や湖の環境保全に巨額の予算が投じられている。

 今後の湖沼研究を考える場合,一方としてはバイカル湖のような従来の科学研究の対象として興味あるフィールドを選択し,研究を進めていくことは重要である。他方,霞ヶ浦のように人工化され,人間の管理下におかれた湖沼の研究をどのように進めていったらよいのであろうか。自然を人間の管理下のもとにコントロールすることは,日本を含めた欧米科学技術文明の一つの目標である。霞ヶ浦という1つの自然湖沼を人間の管理の下で完全にコントロールできるのか,現代文明が試されているといってもよいのではないかと思う。そういう観点からの仕事は従来の科学研究とはかなり異なり,技術に属する分野かもしれない。しかし,それは,これまでの人間中心主義に基づく技術ではなく,自然を認識する科学の知見に基づいた,自然との共生をはかる新しい技術でなければならないはずである。

(あいざき もりひろ,水土壌圏環境部上席研究官)