中国における大気汚染物質の航空機観測
海外調査研究日誌
畠山 史郎
東アジア地域における広域大気汚染・酸性雨に関連して,我々は長年日本海,東シナ海,黄海など,日本と大陸の間の海洋上空で飛行機を使った観測を行ってきた。その結果,国内における地上観測によって,長距離輸送を推定されていた種々の大気汚染物質,酸性雨原因物質が確かに海を越えて日本に輸送されてきていることが明らかにされた。そうなると,では一体発生源地域ではどうなっているのだろうと考えるのは当然のことである。しかしこれまでは政治体制の壁などもあって,中国国内における航空機観測は外国人にとっては非常に困難なことであった。米国でもNASAを中心とした北西太平洋地域における航空機観測が何度か行われ,日本の研究者も参加したが,結局中国本土へは上陸はおろか接近も許可されなかった。
我々は長年にわたり中国研究者との協力関係を築いてきたが,近年EANET(東アジア酸性雨モニタリングネットワーク)やLTP(北東アジアにおける長距離越境大気汚染に関するワーキンググループ)などにより,環境行政担当者と研究者が同じテーブルで研究やモニタリングの推進を検討する場が得られ,相互の理解が深まる中で,航空機観測を国際共同観測として進める機運も高まった。さらに,政治のサイドでも朱鎔基前首相が「砂塵や酸性雨などが国境を越える問題である」との認識を示し,協力と交流が重要であると述べるなど,従来のかたくなな態度から軟化してきた。このような状況の進展から,中国における国際共同研究としての航空機観測が初めて可能となった。
2002年3月に行われた初めての観測は地球環境研究総合推進費に基づいて行われた。この観測では,大連を中心とする渤海湾周辺での観測を行ったが,そのときは珠海(マカオの近くの広東省の都市)の飛行機を回送して使った。写真はこのとき使った飛行機である。単発の複葉機という何とも古風な飛行機ではあったが,低速で安定な,なかなか使いやすい飛行機であった。
しかし,観測が可能となったといっても,まだまだあらゆることが自由にできるという状況ではない。日本の飛行機が中国国内に入るのはまだ無理である,など制約は多い。航空機観測を行うには環境保護総局(SEPA)や航空局の許可だけではなく,軍の許可も必要であった。珠海から大連に至るルートは4つの軍区にまたがっており,どれか一つでも許可が出ないと飛行機は飛べないのである。このため観測の開始は遅れに遅れた。さらに追い打ちをかけたのが,この遅れのため,観測が米国ブッシュ大統領の訪中と重なってしまったことである。政府は北京天津一帯に,模型飛行機ですら進入することはまかりならないとの通達を出した。我々の飛行機は当初,渤海湾の西岸を陸伝いに大連まで飛行する計画であった。しかしこの通達が出たために,そのルートが通れなくなってしまったのである。仕方なく,青島から山東半島の先端を経て遼東半島に渡ることになった(単発機は通常海の上をあまり長い距離飛行することは許可されない)。
しかしこのことが興味ある結果を生み出す原因となったのだから,世の中何が幸いするかわからないものである。大連から青島に海を渡るフライトで観測をしたときに,渤海湾の海の上ではオゾンとNOxが非常にきれいな正の相関を見せたのに対して,山東半島に上陸すると相関が悪くなり,青島に近づくにつれて無相関,さらに青島周辺では負の相関へと変化していく様子が見られた。海の上では北京周辺から放出された汚染物質が長時間かけて海の上を運ばれてきたため,NOxの光化学によるオゾンの生成が見られ,きれいなオゾン-NOx 間の正の相関があるのに対し,大規模発生源である青島の周辺では大量のNOのためにオゾンがつぶされるという,大気汚染の教科書に出てきそうな現象がはっきり見られたわけである。
この観測はその後,文部科学省の科学研究費補助金の特定領域研究によって継続され,本年度(平成16年度)まで観測が行われた。この共同研究で培われた協力関係をもとに,UNEPの主導するABC(Atmospheric Brown Clouds - Asia)プロジェクトにおいても中国環境科学研究院と我々は継続的な共同観測を進めることに合意しており,さらに広い領域と観測項目をカバーする航空機および地上の観測を行う計画である。
中国は現在工業化の道をまっしぐらに突き進んでいる。日本が踏んできた轍を踏まないとは限らない。我々の経験を生かし,協力して大気汚染の対策にあたりたいものである。
執筆者プロフィール:
多くの人が希望しながらできなかった中国での航空機観測は,国立環境研究所にいればこそ可能になったこと。長年の中国環境科学研究院とのつきあいをうまく活かせました。