都市の風と大気汚染
環境問題基礎知識
上原 清
よほど風が強いか暑さ寒さがきびしいときを除くと,日頃,私たちが風を意識する機会は少ない。しかし私たちの生活環境が良好に保たれるうえで,風が果たしている役割は大きい。風は常に都市の排熱や有害な大気汚染物質を押し流し新鮮な空気を供給している。
都市の風は地形や建築物の存在によって様々に変化する。一般に,建築が高層・過密になるほど市街地の風速は低くなる。地表面の凹凸が大きくなり風の抵抗が増すからである。我が国では高度成長期を含む20年間に都市部の高層・高密度化がすすみ,最大風速の年平均値は2/3に低下した。その後,都市の高層化はさらに加速した。今,東京都に建つ7割以上の高層建物が1990年以降に建築されたものである。こうした高層建築物の急激な増加が都市の温暖化や通風環境に及ぼす影響は必ずしも明らかではない。しかし,都市の環境を良好に保つためには風通しに配慮した都市づくりが望ましいのはたしかである。
もし風がなかったら,都市が排出する有害な大気汚染物質が滞留して高濃度の大気汚染が発生するだろう。実際,1952年12月に発生したロンドン・スモッグ事件のときにはロンドン周辺の低地は,無風で,強い逆転層が発達した状態が4日間続いたと記録されている。この間に石炭ばいじんやイオウ酸化物の濃度が上昇した。結果,2週間の間に幼児や老人を中心に4000人,その後2ヵ月間に合計8000人もの犠牲者がでた。大切ではあるけれど,普段は全く意識されないものをたとえて「空気のような存在」と言う。しかし,空気は単に「存在」するだけでなく常に新鮮な空気と入れ替わっていてこそ空気なのである。こうした空気の流動を私たちは風と呼ぶ。風は吹きすぎるのも困るが,全く吹かないのもまた困るのだ。
沿道大気汚染が通風阻害と深く関わっていることを示す例に,1970年東京都牛込柳町で発生した鉛中毒事件がある。これは,我が国が経験した最初の沿道大気汚染事例でもある。このとき集団健康診断で交差点付近の住民の多くに鉛中毒が発見された。原因はガソリンに添加された鉛によるものと推定された。確かに,その後に行われた観測でこの交差点における鉛や一酸化炭素濃度が他の交差点よりも高いことが確認されている。だが意外にもこの交差点の交通量は,調査を行った139地点のうち122位(昭和45年度版交通年鑑)とそれほど多くはなかったのである。この地点の汚染濃度が異常に高かった原因は付近一帯の風通しの悪さにあると推定された。片側2車線の幹線道路が,谷筋を走る1車線の道路と交わるこのあたりの標高が最も低い。商店街の建物は,狭くて交通量の多い道路を隙間なく取り囲んでいる。こうした状況からは,この交差点一帯の通風が悪く大気汚染物質が滞留しやすい地形であることが容易に想像できた。
沿道大気汚染に限らず局所の高濃度大気汚染は風通しの悪い場所に有害なガスが排出されることによって生じる。私たちの生活に身近な,住宅風呂釜や暖房の屋外排気,今後増加するであろう家庭用コジェネシステムの排気などによる建物近傍汚染も同じである。私たちが局所の大気汚染の発生原因を理解しそれらに対応するためには,まず風の流れを明らかにする必要がある。
最近,PIV法注)と呼ばれるレーザーと画像解析技術を利用した流れの測定方法を風洞実験で用いるようになった。この方法によればMRIで人体の断層写真が得られるように,瞬間的な風の断面を切り取って観察することができる。図2と3にPIV法でとらえた風の断層写真の一例を紹介する。今,私たちは風をみることができる。
注)PIV法 測定すべき流れに煙を充満させ,シート状に拡げたレーザー光を照射する(図1)。照らし出された煙画像を高速のビデオカメラによって撮影する。短い時間間隔で得られた2枚の煙画像の間には,流れによるわずかなずれができている。このずれは流れの速度を表すものである。単位時間における煙粒子の移動量を画像解析によってもとめ,流れ場を計測する手法をPIV法(Particle Image Velocimetry)という。
執筆者プロフィール:
日曜百姓をはじめて20年になる。今年も大根と白菜の種を蒔いたが,根切り虫にやられてほぼ全滅した。少しばかり残った葉は長雨に打たれて元気がない。降らないのも困るが,降りすぎるのもまた困る。