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長江経由の環境負荷が東シナ海・長江河口域の海洋環境に及ぼす影響に関する研究

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「東アジアの流域圏における生態系機能のモデル化と持続可能な環境管理」から

越川 海

プロジェクトの背景

 東アジアの持続的発展を将来にわたって維持していく上での制約要因の一つとして,水質汚濁,水資源枯渇,土壌流出等の自然環境の劣化が危惧されています。こうした環境問題に対処するためには,第一に環境の基本ユニットとも言える「流域圏(山~河川~海)」が持つ環境受容力を観測・把握することが必要です。このプロジェクトでは,広く東アジア地域の環境受容力を把握することを目指していますが,その中で特に鍵となるのが,極めて大きな人間活動が行われている中国における流域環境だと考えています。中国長江(揚子江)・黄河流域における水および汚濁負荷の流れは非常に大きく,最終的に陸域から海域へ流出する淡水量は,例えば長江では年間約9,800億m3に達します。つまり,中国大陸における水の流れは,流域内で閉じずに東シナ海を経由して日本・韓国に及ぶ地球規模のものとなっているのです。これらのことを踏まえ,本プロジェクトでは長江流域圏を中心とした中国大陸で水循環等を解析するとともに,長江経由で海域へ達する汚濁負荷が環境に及ぼす影響に関して研究しています。これまでに,海域を対象とした研究では,1)長江から東シナ海への汚濁負荷総量の評価,2)長江淡水が長江河口域・東シナ海陸棚域の海洋環境・生態系に及ぼす影響を把握するための航海調査,3)人為攪乱に対する長江河口域生態系の応答を把握するための海洋メゾコズム(海の一部を透明シートで囲った海洋生態系隔離・維持システム,図1)実験などを実施してきました。本稿では,長江河口域生態系の一つの特徴としてとらえられる渦鞭毛藻(うずべんもうそう)赤潮の発生が生物生産性に及ぼす影響について,海洋メゾコズムの観測結果を用いて解析した例を紹介します。

図1
図1 海洋メゾコズム(模式図)は長江河口沖のじょうし列島に設置,実験を行った。

長江河口域での渦鞭毛藻赤潮が及ぼす生物生産性への影響

 長江流域の開発にともなって河川への窒素・リンの負荷は増大する傾向にあります。例えば,長江中流に位置する武漢でのリンの負荷は,過去20年で数十~百倍近く増大しているという報告があります。そして長江流域の開発と同期するように,東シナ海における赤潮発生頻度が1980年代から1990年代にかけて4倍ほど増加し,さらに赤潮形成種が珪藻から渦鞭毛藻に遷移していると報告されています。特に,1995年以降は,渦鞭毛藻の一種であるProrocentrum dentatumの赤潮が頻発しています。

 一般に,海域で良く見られる植物プランクトンである珪藻は,珪酸を必要とします。珪酸は河川を経由して陸から海域に供給されています。長江河口域への珪酸の流入は,窒素,リンの増加傾向とは異なり,過去50年間の推移でみると,ほぼ一定かあるいは若干の減少傾向にあります。したがって,近年の渦鞭毛藻赤潮の増加は,河口域の栄養塩のバランスが相対的に珪酸の不足した状況へと移行しつつあることが,一つの原因として推測されます。

 2009年の完成を目指して建設が進む三峡ダムは,すでに2003年から部分的に貯水が開始されています。大型ダムによって停水域が出現した場合,停水域で珪藻が珪酸を摂取して繁茂した後に沈降することなどにより,河口域への珪酸供給量が,現在の量に比べ大きく減少すると予想されます。この場合,河口域において一次生産を担う植物プランクトンが珪藻から渦鞭毛藻などの非珪酸質の種を中心としたものに益々偏っていくことが考えられます(図2)。さらに,非珪酸質の渦鞭毛藻は,珪藻に比較してケンミジンコをはじめとするカイアシ類等の動物プランクトンの主要なえさとしては適さないことがしばしば報告されており,渦鞭毛藻への優占種遷移は長江河口域生態系の生物生産性に大きな影響を及ぼすことが懸念されます。

 図2
図2 長江河口域・陸棚域環境の将来シナリオ
上図:現在は,珪酸(Si),窒素(N)が豊富な環境であるものの,1995年以降,珪藻赤潮に代わって渦鞭毛藻(特にP.dentatum)の赤潮発生頻度が増大している。

海洋メゾコズムにおける動物プランクトンの捕食実験

 本稿で紹介する海洋メゾコズム実験は,中国国家海洋局と協力して長江河口域において1997年と1998年に行いました。現場海域で植物プランクトンの増殖を制限している因子であるリン酸を海洋メゾコズム内に添加し,植物プランクトンのブルーム(大増殖,詳しくは,本号8頁からの記事参照)の形成過程を観察しました。1年目の1997年は珪藻(Skeletonema costatum),2年目は渦鞭毛藻(近年,この海域で頻繁に赤潮を形成しているProrocentrum dentatum)のブルームがそれぞれ形成され,結果的に「植物プランクトンの優占種が珪藻から渦鞭毛藻に移行する」というシナリオが現実化した場合の捕食者(動物プランクトン)の応答を比較・解析するための絶好の機会となりました。

 顕微鏡による植物プランクトンの同定に加え,植物プランクトンを含む懸濁物質のクロロフィル,その他カロテノイドなどの補助色素,炭素濃度の分析の結果,植物プランクトンに占める優占種(S. costatum あるいは P. dentatum)の割合は両年ともそれぞれ80~90%で,且つ,実験開始数日後の現存量の最大値はもほぼ同じ50~60μM(炭素濃度換算)程度でした。そして,S. costatumが優占した1年目のみ,実験期間半ば(5日目)以降に植物プランクトン濃度の大幅な減少が観察されました。

 動物プランクトンは,孔径100μmのネットで捕集し,種類・個体数・体長を計測した後に,炭素換算係数を適用して炭素現存量を計算しました。両年とも,炭素換算値で,カイアシ類のParacalanus sp. が優占していました。また,動物プランクトンの現存量は,実験開始時の値は両年ともほとんど変りませんでしたが,S. costatumが優占した1997年のみ,植物プランクトンブルームの発生に連動して,動物プランクトンの急激な増加が観察されました。

 食物連鎖を通じて物質やエネルギーが伝達される速度を知るために,炭素安定同位体(13C)をトレーサとして用いた疑似現場培養実験を行いました。培養実験では,植物プランクトンや動物プランクトンの体長に対応する大きさ別に13Cが増加する割合を測定し,その結果から,カイアシ類を中心とする動物プランクトンの植物プランクトンを含む海水のろ過速度(ろ水速度)を求めました。S. costatumの優占した系では,ろ水速度が平均10ml/個体/日に達したのに対し,P. dentatumが優占した系では平均0.2ml/個体/日に留まりました。さらに系内での植物プランクトン態炭素の消失に対する動物プランクトンの捕食の寄与を解析したところ,S. costatum 優占系では,植物プランクトン態炭素消失の40~100%以上が動物プランクトンの捕食によることが示されました。一方,P.dentatum 優占系では,この割合は最大でも10%に達しませんでした。これら2つの生態系における動物プランクトン現存量変化,平均ろ水速度ならびに植物プランクトン態炭素の行方に対する動物プランクトンの捕食寄与割合を比較すると,P.dentatumが優占する系においては,食物連鎖を通じた植物プランクトンから動物プランクトンへのエネルギー伝達が著しく低いことが示唆されました。

 今後,図2で一つのシナリオとして示したように,長江からの窒素,リンの負荷が増大し,またシリカの供給量が減少した場合,河口域は珪藻類よりも,むしろ1998年の海洋メゾコズムで観測されたP. dentatum の増殖・優占に適した環境になると考えられます。本稿で紹介した解析結果は一つの事例に過ぎませんが,仮に,これを長江河口域の将来の生態系に当てはめて考えると,P. dentatum の増殖は小型魚類の最適なえさであるカイアシ類の減少に繋がり,その結果として河口域の生物生産性(≒漁業資源)の低下をもたらす可能性があることを示唆していると考えられます。

国際共同研究の必要性

 東シナ海は,日本,中国,韓国に囲まれた海域で,近年,各国が国連海洋法条約を批准し,排他的経済水域の概念が導入されました。各国は排他的経済水域内の漁業資源や海底資源に関する主権的権利を有することになりましたが,一方で海洋の科学的調査についても権利の対象となっているため,一国で構成される研究グループが調査可能な範囲,自由度は非常に狭められています。本稿で紹介した海洋メゾコズム実験は,中国領海内で日中共同研究として実施したという点で非常に貴重なものと言えますが,今後,河口域から陸棚域まで一連の環境として観測していくためには,より一層の国際協力体制の確立が必要であると感じています。

 (こしかわ ひろし,流域圏環境管理研究プロジェクト)

執筆者プロフィール:

健康が気になる年齢になり,禁煙に挑戦しています(この原稿が刊行される頃には6ヵ月達成予定)。禁煙は順調なのですが,今度は体重が増加しています。