極域でのオゾン層破壊速度の定量化
シリーズ重点特別研究プロジェクト:「成層圏オゾン層変動のモニタリングと機構解明」から
寺尾 有希夫
南極オゾンホールで代表される様に,冬期から春期の極域下部成層圏における大規模なオゾンの減少は,オゾン層破壊の最も特徴的な例である。一方で,大規模な極域オゾン破壊は,南極ばかりでなく北極域でも近年観測されている。冬期から春期の極域でのオゾン層破壊には,「冬の間に極域成層圏に形成される低気圧性の渦(極渦)の存在→極渦内の気温の低下→極成層圏雲(PSC)の生成→極成層圏雲上での不均一反応による塩素の活性化と窒素酸化物の除去(脱窒)→大きなオゾン破壊」というプロセスが働いていると考えられている。ここでは,このようなプロセスを経た後に「いつ,どこで,どのくらいの速さで,どれだけのオゾンが破壊されたのか」を,地球観測プラットフォーム技術衛星ADEOSに搭載された改良型大気周縁赤外分光計ILASデータを用いて調査した結果を紹介する。なお,オゾンとオゾン層の基礎知識については今村隆史氏が国立環境研究所ニュース20巻3号で,極渦については中根英昭氏が同15巻4号で,オゾン層破壊のメカニズムならびにPSCと脱窒については杉田考史氏(21巻2号)と入江仁士氏(今号11頁からの記事参照)がそれぞれ解説されているので,参照していただきたい。
極域成層圏のオゾン変動は,化学(変質)過程(オゾンが光化学反応で生成・破壊される)と,力学(輸送)過程(オゾンが多い・少ない空気が他の地域から移流される,また混合する)が複雑に絡んだ結果として現れる。よって,「どれだけオゾンが破壊されているか」を評価するためには,前者のみを抽出する必要がある。そのために,我々は,ILASデータを用いたマッチ解析手法を開発してきた。基本的な考え方は,「1つの空気塊を追跡して,そのオゾン濃度を2回以上観測することで,その空気塊中で起こったオゾン変化量を算出する」というものである。これまでに,こういった解析はオゾンゾンデデータを用いて行われてきたが,我々は人工衛星観測データに応用することに成功したのである。
まず,あるILASで観測された空気塊の移動を全球気象データの風速を用いて追跡し(流跡線解析と呼ぶ),数日後の別の観測地点に十分近付くような観測のペア(マッチ)を探す。図1左に示した例では,温位475Kにおいて1997年3月7日20時にILASで観測された空気塊が,1997年3月14日14時に再びILASで観測されていることがわかる(ここで温位とは,空気塊の持つ熱エネルギーと位置エネルギーの和である。温位は高度とともに増加し,温位475Kは高度約19Kmに相当する。空気塊は同じ温位の上(等温位面)を移動すると考えられるので,流跡線解析では温位を鉛直座標に用いることが多い)。次に,これら2つの観測で得られたオゾン濃度の差を計算する。図1右から,3月7日の475Kにおけるオゾン濃度(体積混合比)が 2.462ppmv(1ppmvは百万分の1を表す)だったのが,2回目の3月14日の観測では2.318ppmvに減少していることがわかる。このオゾン濃度の差は,同じ空気を2回観測して得られたものであるので,力学的輸送効果を除去した化学的な変化に相当すると考えられる。このような方法で多数の観測ペアを様々な高度で探し,各空気塊中で起こったオゾン変化量を算出した。
図2aに,1997年2~3月の北極極渦内で得られた多数のマッチした観測ペアを用いて計算した,一日あたりのオゾン変化率(ppbv/日,1ppbvは十億分の1)の高度時間断面図を示す。ほとんどの領域でオゾンは減少していて,特に2月下旬から3月上旬の温位450~500K(高度約18~20km)でオゾン破壊速度は最大になった。各高度において2ヵ月間積算したオゾン減少量(図2b)は,475K付近で最大1.9ppmvを記録した。この高度領域の1月下旬における極渦内平均オゾン濃度は3.6ppmvであることから,この2ヵ月間で約半分のオゾンが化学的に減少したことが示された。
極渦内平均だけでなく,極渦内でのオゾン破壊速度の違いも調査した(図省略)。大規模なオゾン減少が確認された1997年2月の高度19km付近において,オゾン破壊速度は極渦の境界から中心に向かって速くなり,極渦中心付近でのオゾン破壊速度は極渦境界領域より3倍大きいことがわかった。このオゾン破壊速度の違いは,空気塊の気温履歴と関係があり,低温を経験するほどオゾン破壊速度が速くなることが示唆された。また,オゾンと同様に硝酸データを解析した結果,同時期に硝酸は極渦中心付近のみで減少していることが確認された。これらは,最初に述べた「極渦内の気温の低下→PSCの生成→脱窒→大きなオゾン破壊」というプロセスをILAS観測がとらえたものと考えられる。
一方で,ILASと観測原理が似ていて,同じように極域の高緯度でオゾンを連続観測する米国の人工衛星搭載センサー POAM IIならびにPOAM IIIデータも用いて,1994年から2000年の各冬期北極におけるオゾン変化率を同様の手法で算出した。オゾンと同時に観測されたエアロゾル消散係数データから,各冬のPSC出現率も併せて推定した結果,PSC発生と大きなオゾン減少の間に良い相関が確認された(図3)。この結果は,PSCが多いほどオゾン破壊速度は速くなることを観測から定量的に示すものである。 我々の研究では,これまで人工衛星観測データでは明らかにされなかったオゾン減少率の詳細な高度-時間変化を見ることに成功した。現在,ILASでは十分観測することができなかった南極オゾンホール形成時におけるオゾン破壊速度を,ILAS-IIデータで鋭意解析中である。
執筆者プロフィール:
今回ご紹介した研究をまとめた論文で,日本気象学会2003年度山本・正野論文賞をいただきました。今号が出るころには,11年間暮らしたつくばを離れ,渡米しているはずです。
目次
- 人間からみた環境問題巻頭言
- 我が国の二酸化炭素排出量の削減可能性とその経済影響−AIM(アジア太平洋地域統合評価モデル)の開発−シリーズ重点特別研究プロジェクト:「地球温暖化の影響評価と対策効果」から
- 化学物質の複合曝露による発がんリスクの評価研究ノート
- 北極成層圏における雲粒の重力落下とオゾン層環境問題基礎知識
- —土壌・地下水汚染研究の現状と方向—「第19回全国環境研究所交流シンポジウム」
- 「第19回全国環境研究所交流シンポジウム」−土壌・地下水汚染研究の現状と方向−
- 「第23回地方環境研究所と国立環境研究所との協力に関する検討会」報告
- 新刊紹介
- 表彰・人事異動
- 編集後記
- 国立環境研究所ニュース23巻1号