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人間からみた環境問題

巻頭言

理事長 合志 陽一

 今年国立環境研究所は創立30周年を迎える。前身の国立公害研究所時代を通算してのことであるが,もはや歴史の浅い研究所とは言えない。この30年間,様々のニーズに応えながら研究を展開してきた実績は,十分ではないにしても相当のものと言うべきであろう。加えて目前の研究課題は無数にある。環境問題は社会と密着しており,それらに誠実に取り組めば,公的研究機関としての任務を十分に果たすことができる。忙しさは別として,努力が無に帰したり,災疫をもたらすことの少ない幸せな研究所である。しかし,この幸せな多忙さの中に埋没していてよいものであろうか。

 現在,人口当たりのGDPは,日本を含む先進諸国と最貧国では100倍以上の差があり,深刻な問題を引きおこしている。グローバル化は,それを解決するかにみえたが,現実は単純ではなく貧富の差がかえって拡大して現れる事態も多発しており,将来それはさらに悪化の可能性さえある。そのような世界における巨大資源消費国日本の依って立つ基盤は何であろうか。それは,高度で良質な製品・産物の輸出入が中心であることは論を待たないが,それだけではない。ソフトやエンジニアリングなど科学技術そのもの,あるいは学術芸術までも含む多元的で強固な基盤でなければならない。資源消費大国日本は,世界に高品質の製品,高度の科学技術,優れた学術文化をリターンすべきであり,他の道は,巨大な発展途上国の進歩を考慮すれば,残されていないと言えよう。

 今まで環境問題は地球・自然・人間を守るという視点で論じられることが多かった。その重要性は依然として変わるものではない。しかし,資源消費大国日本は地球社会へ何をリターンすべきかという視点に立つと,別のアプローチがあり得る。環境問題の研究所としては,世界へ正確な科学的知見を提供していくこと,また国内外の政策決定に合理的根拠をあたえることが第一義的任務となる。様々の努力は,直接,間接にこの目標に向けられている。しかし,いかにすればそれが可能となるかを考えると,もう一つのさらに根源的ともいえるアプローチが必要となる。それは,突き詰めれば科学技術,学術文化における活力に帰着しよう。知的活力と言っても良い。世界にリターンすべき高品質の製品,高度の科学技術,優れた学術文化は,知的活力によってはじめて可能になる。知的活力を保持し,高めることが資源消費大国日本にとって不可欠である。知的活力を保持し,高めるには何が必要かを考えると,環境の問題の新しい様相が現れてくる。知的活力を支える場としての環境問題である。

 人間の知的活力は老若男女,ハンディキャップの有無にかかわらずそれぞれの条件のもとでの肉体的,精神的健全さにより保たれ,良き環境は,その基盤となる。このように人間を中心として環境問題をみると,気付かれていない,あるいは気付かれていても放置されている問題が多くあるのではないか。例えば胎児期,乳児期,幼児期,小児期は環境の影響を強く受ける。特に脳・神経系の発達は,この時期に決定的に大きな影響を受ける。しかし現代社会は,望ましい環境とは著しくかけ離れた状態(各種メディアによる過剰な情報,自然や社会とのふれ合いの不足,食事・エネルギーの過剰供給)にある。知的活力の基盤は危ないとさえ言える。学齢期以降については,教育の問題として注意が払われているが,それ以前は全く個々の家庭の責任とされている。病気となったり,保護を必要とするほど極端な事態にならない限り,何の手も打たれていないのが実状である。人間を中心として考えると,大きな環境問題である。もう一つの問題は,人間の全ライフステージを通じての周囲とのふれ合い,とりわけ自然や社会とのふれ合いである。自然とのふれ合いは知的活力に好ましい影響を与え,重要である。しかし現在の施設・設備の考え方は条件に恵まれた青壮年の健常者を対象としたもので,レジャー施設の域を出ないものが大部分である。最近の自然公園では配慮が進んでいるが,老いも若きも全ての市民に活力を与える自然とのふれ合いの場の充実は,単純な自然保護の概念を超えたものを要求しているのではないか。社会の知的活力を念頭に置いて環境問題を考え直してみたい。

(ごうし よういち)

執筆者プロフィール:

東京大学工学部名誉教授,元東芝総合研究所主任研究員。専門は分析化学。生物多様性は健全な生態系のために不可欠である。研究所もまた多様性を持たなければならない。日本の中で競争の概念をはるかに超えた研究所があっても良いのではないか・・・と思いつつ官舎で自炊をしている。