航空機による大気中の二酸化炭素の安定同位体比の定期観測
研究ノート
高橋 善幸
近年,大気中での温室効果ガスの増加による地球温暖化が懸念されている。二酸化炭素は人類活動により大気中の濃度が上昇している温室効果ガスの中でももっとも大きな影響を持つものとされている。地球上での二酸化炭素収支を詳しく知るための一つの手がかりとして,二酸化炭素の安定同位体比が注目されている。自然界に存在する炭素には化学的性質は同じであるが質量数の異なる二つの安定同位体が存在し,質量数が12のもの(炭素12)と質量数が13のもの(炭素13)がおよそ99対1の割合で存在している。その比率を同位体比と呼ぶ。
二酸化炭素は大気と陸上生物圏,あるいは大気と海洋の間で交換するが,質量数の大きな炭素を含む分子と質量数の小さな炭素を含む分子では交換のしやすさが異なるために,それぞれに含まれる炭素の同位体比に変化が生じる。これを同位体分別と呼ぶ。同位体分別の大きさは,大気と陸上生物圏で交換した場合と,大気と海洋で交換した場合で異なることが知られている。従って,大気中の二酸化炭素の濃度変化の観測を行うと同時にその炭素安定同位体比の測定を行うことにより,大気中の二酸化炭素の濃度変化に対する陸上生物圏と海洋のそれぞれの寄与率を推定するための重要な情報を得ることができる。
二酸化炭素の同位体組成を示す尺度としてデルタ値というものが用いられる。これは試料に含まれる炭素の中の質量数13の炭素と質量数12の炭素の存在比が,国際的な標準試料中での存在比と比較した場合にどれくらいずれているかということを千分率(パーミル)を単位として示したものである。デルタ値が大きくなるほど,質量数の大きな同位体をより多く含んでいることになる。炭素の場合,PDBという標準試料を基準とした値が一般に用いられている。これをPDBスケールと呼ぶ。
二酸化炭素の安定同位体比の測定は大気中の二酸化炭素を抽出・精製した後に安定同位体比質量分析計を用いて行われる。大気中の二酸化炭素の安定同位体比の経年変動は極めて微少であるため,高度な試料調整法の確立と高精度の分析が求められる。我々の研究チームでは,実験室内に設置した専用の真空精製装置と質量分析計を用いて,炭素の安定同位体比測定について0.02パーミルという分析精度を実現している。これは,これまで世界的に行われてきている大気二酸化炭素安定同位体比の測定の中でも極めて高い水準にあるということができる。
ところで,現在,全球規模での大気中の二酸化炭素の安定同位体比の測定が行われているが,その多くは地上ベースの観測である。近年,解析手法の進展により地表での発生源・吸収源の分布に加えて立体的な輸送過程を組み合わせた三次元数値モデルが開発されつつあり,二酸化炭素の高度分布の観測データの必要性が高まってきている。これに伴い,航空機による定期的な大気サンプリングを継続的に行うことの有効性が注目されている。
我々は,1996年12月より航空宇宙技術研究所と共同で相模湾上空において,航空機による大気試料の定期サンプリングを行っている。これまでに得られたデータから,いくつかを選んで二酸化炭素の濃度と安定同位体比の季節変動の様子を図に示す。2月には地表付近の気温が低く,形成された逆転層に地表付近で放出された二酸化炭素が低い高度に溜まっている様子が分かる。5月にかけて上空の二酸化炭素の濃度は上昇し,その後8月まで急激に濃度が低下する。そして11月,2月と再び濃度が上昇していく様子が観察されている。大気中の二酸化炭素の経時変動の中で,季節変動は主に陸上の植物の活動により生じていると考えられる。
ここで大気中の二酸化炭素中に含まれる炭素安定同位体比の変動に目を向けてみる。大気中の二酸化炭素が光合成により吸収される場合,質量数の小さなものが優先的に吸収されるため,大気中の二酸化炭素の濃度が低下が起こるとともに,残った大気に含まれている二酸化炭素の炭素同位体比のデルタ値は大きくなる。逆に呼吸による二酸化炭素の放出が起こる場合,光合成により植物に取り込まれた大気二酸化炭素よりもデルタ値の小さな炭素が放出されるため大気中では二酸化炭素濃度の上昇とともにその炭素安定同位体比のデルタ値は小さくなる。したがって,大気中の二酸化炭素の変動が主に光合成と呼吸によって引き起こされる場合には,二酸化炭素の濃度とその炭素安定同位体比は逆相関を持つことになる。ここに示した鉛直分布はその様子をよく表している。
上記に述べた,日本上空での航空機サンプリングで得られたノウハウをもとに,同様の航空機サンプリングが西シベリアおよび東シベリア上空でも実施されており,観測された同位体比の高度分布は各場所に特徴的な変動を示すことが明らかになりつつある。シベリア低地は二酸化炭素の大きな吸収源である可能性が指摘されているが,これまでの観測例は非常に少ないため,ここでの観測は地球上での二酸化炭素の循環過程を考えるうえで極めて重要な意味を持つ。
今後,長期間の観測データが蓄積されるとともに,生物活動による大きな季節変動に隠されていた経年変動の様子が次第に明らかになっていくであろう。それによって,大気中の二酸化炭素の正味の吸収源としての陸上生物圏および海洋のそれぞれの寄与の長期的変動を考察することが可能になる。特にこれまで観測データのほとんどなかったシベリア上空から得られたデータは,世界的に見ても非常に重要なものであり,今後の研究の流れに大きな影響を与えるものとなるであろう。
執筆者プロフィール:
大学の学部時代には物理化学の暗い研究室にこもって試験管を振る毎日を過ごしていたが,体育会アメフト部で培った体力を武器に大学院からは地球化学に転向。フィールドワークを好む。本研究所では4度のシベリア観測を経験。現在の趣味は自転車(山岳サイクリング,トライアル競技),料理,写真撮影など。