水環境における化学物質の長期暴露による相乗的生態影響に関する研究
プロジェクト研究の紹介
畠山 成久
1.はじめに
様々な生物により成り立っている生態系は,生息環境の物理的な破壊と化学物質などの汚染により,まさに危機的な状況にある。河川や湖沼のコンクリートによる護岸,森林の伐採などは目に見える環境破壊である。一方,化学物質などによる生態影響は顕在化する事例が少なくなり,現在の化学物質の汚染や生態系の状況ではそれが潜在的なものとなっている。そのため,化学物質による生態影響評価に関しては,それなりの調査・研究を実施しなければその有無すらも認識することができない。
国内の河川や湖沼は低濃度ながら様々な農薬類によって汚染されている。農薬類は生物を制御するために開発された化学物質であり,低濃度でも生物影響は大きい。農薬類の複合汚染の生態影響評価が本研究の主要目的の一つとなった。そのためには,農薬類に対する各種生物の感受性の種間差(時として,数千倍の差がある),生物間相互関係(競争関係,食物連鎖関係など)を介した化学物質の間接的な影響評価,河川の生物群集に及ぼす農薬類の影響評価などの調査・研究を行った。これらの調査・研究の蓄積から,化学物質の複合汚染が生態系に及ぼす影響のメカニズムを明らかにすることを目的とした。本研究は平成元〜5年に実施され,その報告書(SR-19-'95)が3月に刊行された。
2.調査・研究の成果
水田に散布された除草剤はつくば市では,5月中旬をピークとして河川に流入する。これらの除草剤がセレナストルム(緑藻)の増殖に及ぼす影響を試験すると,除草剤の複合影響により増殖は5月中旬をピークとして著しく阻害され,6月下旬にかけ徐々に回復する。河川水を水路に流し,藻類生産に及ぼす条件をコントロール(人工光,底生生物の除去など)して,水路内のタイル表面に発生する藻類量を連続的にモニターした結果,セレナストルムが著しく増殖阻害を受ける時期には河川の藻類生産も50%前後阻害された。従来、除草剤の生態影響には一般の関心が薄かったが生態系の基盤部分にかかわる影響として,今後さらに検討が必要である。
底生生物は藻類を消費し,それ自身は魚類などの餌となって生態系を支えている。そのためこれらに対する化学物質の影響評価は特に重要である。カゲロウ,トビケラ,カワゲラ,ユスリカなどの水生昆虫,エビなどの甲殻類,貝類などが挙げられる。これらの生物は殺虫剤に対し,概して魚類よりも感受性が高い。河川水をビーカーに入れ,生後4週の稚エビを導入して,4日後までその生死を観察した結果を図に示す(1989年,つくば市)。これらの著しい死亡率は,単独〜数種の殺虫剤の複合影響によってもたらされたものである。生命を育むべき河川が,在来の生物種を頻繁に死に至らしめる。ヌカエビの高死亡が殺虫剤の生態影響を如何に反映するか問題とされた。そのためヌカエビの生物試験と平行して,河川水の総合毒性がカゲロウ(国内の優占種を使用)の生長や羽化に及ぼす影響や殺虫剤が河川の生物群集に及ぼす影響を調査した。その結果,河川水サンプル中でヌカエビの死亡率が高まる時期には,調査河川では底生生物の生物群集も著しい影響を受けることが分かった。過去数十年の農薬汚染により感受性の高い生物は既に相当な影響を受け,今だ回復していない河川が多いであろう。このような河川では,農薬類の複合汚染はさらに生態系を破壊すると言うよりも,既に破壊された生態系の回復を妨げ続けている状況と言える。
生物間の相互関係に基づく間接的または2次的な生態影響評価は主として実験生態系を用いて行われた。湖沼の動物プランクトン群集の場合,最も殺虫剤に感受性が高いのは大型枝角類のダフニアである。ダフニアは藻類を効率的に摂食し,他の動物プランクトンとの競争では優位にあり他のプランクトンの増殖を抑制するため,湖沼生態系では一つのカギとなる重要種といえる。屋外実験水槽に低濃度の殺虫剤を投与すると,ダフニアが直接的にダメージを受けて減少する。しかし,それまでダフニアによって増殖を抑えられてきた藻類やワムシ(稚魚の餌として重要)が著しく増殖した。このように,殺虫剤の投与がプランクトン群集の多様性を一時的に高める場合があることも示された。
ダフニアには捕食者の放出する化学物質(臭い)に反応して,食われ難い形態に変身するものがいるが(マギレミジンコは,丸い頭を尖らす),殺虫剤によっても同様の変化が起こることが分かった。特に,ミジンコが捕食者の共存下で殺虫剤にさらされると,殺虫剤はたとえ低濃度でも,捕食者の臭い物質と相乗的に働いてミジンコの形態や生長に影響を与えることが分かった。殺虫剤は捕食者の放出する化学物質(臭い)を介しても,捕食者—被食者に影響を与え,低濃度で生態影響を及ぼす可能性があることを示した。
農薬類に対する生物の反応として,耐性の獲得した生物の発見,あるいは耐性を有する系統の出現とそれらの耐性メカニズムなども農薬類の生態影響評価には重要であることが明らかにされた。
野生生物の生息環境を改善し,農薬類など化学物質の汚染を一層少なくし,多くの生物が絶滅する前に,生態系の回復を促進することが益々重要と考えられる。そのためには,農薬汚染からの緩衝地帯の整備や生物群集の回復源となる地帯の確保なども重要である。
執筆者プロフィール:
東北大学理学部生物学教室卒,理学博士
〈現在の研究テーマ〉化学物質の生態影響に関する調査・研究。
目次
- 環境のリスク分析−リスク管理と危機管理巻頭言
- 環境と健康の問題について思うこと論評
- 第10回全国環境・公害研究所交流シンポジウムその他の報告
- 「第14回地方公害研究所と国立環境研究所との協力に関する検討会」報告
- 植物は「形」で勝負する − 樹形形成モデルの開発研究ノート
- コンピュータの中の宇宙測定研究ノート
- 歯に衣着せずずいそう
- “Seasonal and diurnal variation of isoprene and its reaction products in semi-rural area” (大気中イソプレンとその反応生成物の季節変化と日変化) Yoko Yokouchi : Atmospheric Environment, 28, 16, 2651-2658 (1994)論文紹介
- 人事異動
- 編集後記