NIES環境標準試料について
研究ノート
岡本 研作
−分析の目的は、問題を見いだし、理解し、解決できるように「正確な」値を求めることであって、数値的な比較をするために単にデータの数のみを増やすことではない。−
環境分析の主流となった機器分析は高感度であり、簡便化、自動化されており、測定原理や分析試料に熟知しなくても多数のデータを得ることができる。しかし、これらの分析機器は自らでは分析値を求めることはできず、標準試料又は標準物質で分析機器の校正が行われて初めて分析値を得ることができる。標準試料(certified reference material, CRM)は「構成各成分の化学分析値が確定された物質」であり、標準試料は測定機器の目盛り付けを行う「物差し」の役割を果たす。このほかに、分析法や分析値の正確さの確証、臨床検査や工程管理における精度管理用など、標準試料は正確さを伝達する媒体として重要な役割を果たしている。特に、環境分析ではデータの信頼性が問題となることが多く、標準試料が最も必要な分野とされてきた。
国立環境研究所(NIES)では、こうした需要に応えるべく、開設当初から標準試料を作製して環境分析に提供してきた。均質かつ安定な粉末試料を大量に(1,000本程度)調製し、元素含有量について最も正確な値−保証値−を定めてきた。NIES No.1リョウブ(重金属蓄積植物)、No.2池底質、No.3クロレラ、No.4ヒト血清、No.5頭髪、No.6ムラサキイガイ、No.7茶葉、No.8自動車排出粒子、No.9ホンダワラ、No.10玄米粉末の10種類は、元素の「全量」分析用標準試料であり、例えば「玄米粉末」では13元素に保証値、12元素に参考値が定められている。NIESでは引き続き「化学形態(化学種)」分析用の標準試料を作製しており、No.11「魚肉(スズキ)粉末」中のトリブチルスズに関して保証値、トリフェニルスズに関して参考値を定めている。東京湾底泥から調製したNo.12「海底質」も有機スズ化合物に関する標準試料である。機器分析では試料の組成が分析値に大きな影響を与えるので、様々な種類の標準試料が必要とされている。保証値を定めるべき測定対象物質も社会的要求を考慮する必要がある。
標準試料を作り上げるためには、試料調製法のノウハウ、高度な分析技術、クリーンルームなどの施設、優れた分析化学者、膨大な費用と労力が必要であり、どの研究機関でも作り得るものではなく、世界的にも数機関に限られる。NIES標準試料は国内へ約4,000本、国外へは約3,000本(約70か国)配布されており、環境分析の最前線で使われている。科学技術の根幹を支えるこのような研究こそ、国立研究機関に課せられた使命の一つと筆者は確信している。