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2018年3月30日

スモッグチャンバーで大気中の化学反応を明らかに

Interview研究者に聞く

 地球をとりまく大気中には存在量は少ないもののたくさんの種類の物質(微量成分)が含まれています。それらの中には、人体や環境に好ましくない影響を及ぼすものがたくさん含まれています。これらの成分がやっかいなのは、大気に放出された汚染原因物質が大気中での化学反応によって次々と別の物質に変化し、時には自分たちが直接排出した覚えがない微小粒子などに形を変えて予想しなかった影響を及ぼすことです。環境計測研究センター長の今村隆史さんと地域環境研究センター広域大気環境研究室主任研究員の佐藤圭さんは、その反応過程やメカニズムをスモッグチャンバーという特殊な実験装置を用いた大気反応の模擬実験で明らかにしています。

研究者の写真:今村 隆史、佐藤 圭
環境計測研究センター
センター長 今村 隆史(いまむら たかし)(右)
地域環境研究センター(広域大気環境研究室)
主任研究員 佐藤 圭(さとう けい)(左)

チャンバーを使った微小粒子の研究

Q:スモッグチャンバーを使うと何ができますか。

今村:スモッグチャンバーは大気化学の研究をするための装置です。実験をするための反応容器と考えてください。大気中には様々な化学物質が混在していて、野外観測の結果だけから複雑な反応過程を理解することは難しいのです。そこで、目的の反応だけを切り離して研究するため、スモッグチャンバーを用いた室内実験が行われてきました。スモッグチャンバーはこうした反応機構の解明や生成物の収率評価、数値モデル計算に使う速度論的パラメータの決定に利用されます。また、チャンバーで生成した二次粒子の光学特性など物理化学特性の評価や汚染物質の曝露実験による健康影響評価などにも利用されます。

Q:どんな物質を研究するのですか。

今村:スモッグチャンバーを使った大気化学の研究をスタートした契機は、20世紀中頃から問題になった光化学スモッグでした。光化学スモッグの原因である光化学オキシダント(光化学反応で生成するオゾンなどの酸化剤)は大気中の化学反応により生成したもので、観測だけではそのメカニズムの解明や効果的な対策立案の指針を立てることができませんでした。そこで、1974年に国立環境研究所の前身である国立公害研究所が開設するときに、スモッグチャンバーを設置し、光化学オキシダントの生成反応を再現することをめざしました。

Q:それ以来、40年以上もスモッグチャンバーを使った実験が行われているのですか。

佐藤:はい。でも対象となる物質は変わっています。

今村:1980年代に地球環境問題が大きな関心を集めたころには、フロンによる成層圏オゾン層の破壊のメカニズムを調べる研究もしました。1990年代になると、大気中の微粒子の研究がさかんになってきて、その研究が続いています。時代とともに研究テーマや扱う物質は変わっています。

Q:研究の目的は現象を理解するためですか。

今村:はい。現象を理解しないと対策はとれないですからね。

佐藤:私はチャンバーを使って、日本の大気中の微量成分の現状を理解するための実験をしています。環境基準を新たに導入するときなどに、チャンバーで得られるような現象理解に関する基礎データから、どのような化学物質を規制するか、(複数の規制のオプションがある場合に)どのような規制を優先するのが効果的か、という方針が検討されます。

Q:チャンバーはどれくらいの頻度で使うのですか。

佐藤:研究テーマによって実験は違いますが、年間の約3分の1はチャンバーを使った実験をしています。

大気の状況を再現するチャンバー

Q:スモッグチャンバーとはどんな装置なのですか。

今村:大きな大気の反応容器です。大きな容器といっても色々なサイズのものがあって、風呂桶のようなサイズのものから、小さなビルくらいあるような巨大なものまであります。

チャンバー内部の写真
光学調整のためにスモッグチャンバー内部に入った今村さん

Q:そんな巨大な装置が日本にあるのですか。

佐藤:それはヨーロッパにあります。研究所のものは体積が6m3の中規模のもので、日本では最大のチャンバーです。私たちの中規模のチャンバーは、巨大なチャンバーに比べて実験条件の制御がしやすい、実験の数をこなしやすいなどのメリットがあります。

今村:ステンレス製の円筒型で大人が寝ると二人分の長さがあり、大人が立てるぐらいの直径です。気圧、気温、湿度、照射光スペクトルや光量などをコントロールできます。チャンバー内に目的の化学物質を注入し、人工の太陽光を当てて光化学反応のシミュレーション実験をします。

人工太陽光源の写真
人工太陽光源
全部で19灯のキセノンランプを用いています。ランプ1つの消費電力が1キロワット、総消費電力は19キロワットです。写真では真ん中の一灯だけ点灯しています。

Q: そんなに強い光を当てることができるのですか。

佐藤:春秋の昼間に日本で見られる太陽と同程度の光を当てることができます。光の波長も太陽と同様です。放電によって発光するキセノンランプを使うと、太陽光に似た分光分布を示し、紫外域から赤外域にかけての連続スペクトルを与えることができます。

今村:空気精製器もついています。屋外から引き込んだ大気をほぼ窒素と酸素だけにできるのです。

Q:化学反応に影響を与える物質をとり除いたきれいな空気というわけですか。

佐藤:はい。チャンバーに精製した空気を導入後、試料ガス(サンプル)を封入し、光を当てて反応させ、サンプルである化学物質や反応生成物の時間変化を追いかけます。化学反応に影響を与える物質がないか、特定の物質の添加効果を調べることもあります。

Q:どうやって化学物質を分析するのですか。

佐藤:FTIRという装置で分析します。チャンバー内部に赤外光を導入し、試料空気を透過した光を測定します。分子の構造の情報をスペクトルから得ることができるので、物質の化学反応をとらえることができるのです。短いものでは1時間、長いものでは1日以上反応させます。その間、あまり目を離すことはできませんが、自動測定はできるようになっています。その他、チャンバー内の空気をサンプリングして、色々な分析装置で分析することも行っています。

Q:40年もたち、装置や分析技術も進歩しましたか。

佐藤:そうですね。少しずつ装置も改良・更新されています。特に粒子の分析技術が進みました。40年前にはできなかった微小粒子の分析が今はできるようになり研究が進んでいます。

次々と姿を変える微小粒子

Q:微小粒子の分析はなぜ難しいのですか。

今村:大気中に浮遊する微小な液体や固体をエアロゾルといいます。気体の中ではこれらはコロイド状になって浮遊しています。霧やスモッグはエアロゾルが多数集まった状態です。エアロゾル粒子は、粒径や化学組成、光学特性などの性状が極めて複雑かつ時間的にも変化するため、研究するのは難しいのです。

 例えば、二酸化炭素はいつ、どこで測定しても二酸化炭素ですが、エアロゾルは場所が変われば変わるし、同じ場所でも今日と明日では違います。 

反射鏡の写真
長光路FTIR用の多重反射鏡
赤外光を利用してスモッグチャンバー内に存在する微量物質を感度よく測定するため、White cellと呼ばれる多重反射ミラー系を採用しています。容器内で赤外光は1.7mの間隔で設置されたミラー間を65往復し、221mの総光路長が得られています。全てのミラーは、赤外光を効率よく反射するため、金コートが施されています。

Q:どうしてそんなに変わるのですか。

今村:微小粒子には、工場や自動車などの発生源から直接排出されて粒子として存在する一次粒子、揮発性の有機化合物(VOC)の大気反応により二次的に生成される二次粒子があります。また、ある場所で排出・生成された粒子は、地球上の色々なところに輸送されます。その過程で、周囲の別の粒子とぶつかったり、ガスや水蒸気などが表面に凝結したり、さらには粒子上での化学変化が起こったりすることによって粒子の組成や形態も複雑に変化します。つまり、たとえ発生源から排出される化学物質が同じでも、その後の輸送経路や出合う化学物質の違いなどによって化学変化が異なるため、エアロゾル粒子の性状が時間的にも空間的にも変化するのです。

説明時の佐藤さんの写真
チャンバーの概要を説明する佐藤さん

Q:エアロゾルは、様々な物質が組み合わさった結果できるというわけですか。

佐藤:はい。一次粒子、二次粒子にも様々な種類があります。一次粒子には、黄砂などの土壌粒子、海塩粒子、花粉、ススやディーゼル粒子などの燃焼粒子があります。また、二次粒子にも、大気中での化学反応で生成される有機物を多く含む粒子や、硝酸塩、硫酸塩、アンモニウムなどの無機イオンを多く含む粒子があります。一次粒子および二次粒子の組成は、大気中のVOC、窒素酸化物、硫黄酸化物、アンモニアなどの反応性物質の影響を受けて、さらに変化します。

 私たちの研究では、特にVOCからの二次粒子の生成が、共存する様々な物質との相互作用によってどのように変化するかを解明しようとしています。VOCからの二次粒子の生成過程をチャンバー実験で再現し、二次粒子の生成収率や揮発特性などを決定します。さらに実験で決定したパラメータを取り入れた大気モデルを用いて、実大気中での二次粒子濃度のシミュレーションを行い、実際の大気観測での粒子濃度と比較して、実大気中での粒子の生成過程を解明します。

今村:大気反応モデルでは、色々な物質をいくつかのグループに分けて、それぞれのグループごとに、粒子生成などに関わる多数の化学反応を整理し、反応スキームの確立をめざします。関係するひとつひとつの反応がきちんとわかっていれば、正確に計算できるはずですが、起こりもしない反応が含まれていたり、大事な反応がなかったりしたら計算結果はあてになりません。不正確なデータを入力しても、不正確な結果しか出力されません。実際にはデータが限られているので正確な結果を得るのは難しいですね。結果が偶然一致することもよくありますし、別の条件で化学変化を調べたら、つじつまが合わなくなることもあります。そのたびにまたもとに戻って実験をやり直す、の繰り返しです。

佐藤:PM2.5は複雑な組成を持つ、様々な微小粒子の総称で濃度を予測することは困難でした。これまでのモデルでは計算しても、実測値のほうが高くなり、その理由が説明できませんでした。チャンバーの実験により、ガスの反応だけを計算していたことがその理由だと分かりました。半揮発性の有機物が凝集したのちに、粒子内の反応で、より揮発性の低い物質に変わっていたことが明らかになりました。

大気中の色々な役者たち

Q: かつて分かっていたと思っていたことが実はよく分かっていなかったという例もあるのですか。

佐藤:光化学オキシダントの例があります。チャンバー導入のきっかけにもなった光化学オキシダントはこれまでずいぶん研究されてきて、定性的には十分に形成過程が再現できています。光化学オキシダントの原因は大気中の窒素酸化物やVOCで、太陽光線により光化学反応が起こりオキシダントが発生します。現在の日本では原因物質の排出量は減っているのに、近年は国内のオキシダントの量が増えています。これでは、つじつまが合わなくなってしまいます。そこで、チャンバーで光化学反応を実験したところ、VOCから生じた生成物がさらに反応してオキシダントを形成することが分かりました。この二次的な原因物質がどうして増加したのかはまだ分かりませんが、おそらく越境汚染の影響だと思います。

霞む様子の写真
大気エアロゾル粒子によって霞む新宿ビル街(2002年撮影)
どちらの写真も晴れていますが、下の写真はエアロゾルの散乱による視程の低下のため新宿のビルが霞んでいます。

Q:こんな意外な結果になることはよくありますか。

佐藤:いつもそんなことばかりではありませんね。実験を繰り返し、それらの結果を解析し、反応のメカニズムを考えているときが研究の楽しいところです。

今村:実験でびっくりするような結果は頻繁には出ませんが、直感と違うことはあります。また、ある化学物質を単独でただ置いておくだけでは大して反応しませんが、大気中には色々な物質が含まれているので、思った以上に反応が進み、色々な物質ができます。化学反応を促す世話焼きな物質が大気中にはたくさんあるわけです。そんな物質を見つけると、こんなのがいたのかと驚きがあります。それで、こんな役者は他にもいないのかと探すとまた見つかりおもしろいです。

Q:きれいな大気より、都市の汚れている大気のほうがそんな物質がたくさん見つかるのではないですか。

佐藤:それがそうでもないのです。きれいな大気では役者が違うんです。森林や海洋などの大気では、都市とは異なる様々な物質が反応に関わることが知られています。ですから、都市だけでなく森林や海洋の大気を研究することも重要です。

汚れたフィルターの写真
フィルターに採取された二次有機エアロゾル粒子
左は粒子採取前、右は採取後のフィルターです。芳香族炭化水素から生成するエアロゾルは光を吸収することを世界に先駆けて発見し、光吸収成分をニトロフェノール類と同定しました。

スモッグチャンバーは大気化学の研究拠点

Q:大気の化学反応の研究者はたくさんいますか。

佐藤:少ないですね。日本で10人いるかいないかといったところです。日本では、共同利用できる形でスモッグチャンバーを維持しているのはここだけです。ヨーロッパやアメリカには研究者が比較的多く、スモッグチャンバーを備えている施設もたくさんあります。最近では中国の研究者が増えています。

今村:一つ一つの単独の反応ならチャンバーを使わなくてもできますから、ここでなければ研究できないという訳ではありません。ただ、スモッグチャンバーがあれば、大気中で起こる複数の化学反応が同時に進む状況を再現できるのです。日本に一つくらいはそんな実験ができる場所があってもいいのではないでしょうか。実験の結果を研究者でお互いにフィードバックして理解が進めばいいと思います。研究所はその拠点としての重要な役割を担っています。

Q:スモッグチャンバーを維持するのは大変ですか。

佐藤:定期的なメンテナンスに関しては問題ありませんが、技術伝承は大きな問題です。進化しているパーツがたくさんある一方、寿命を迎えて、かつての質が保てなくなっているパーツもあります。技術力も変化していますが、以前のデータと比較する必要もあるので、どこまで装置の質を保つかが重要です。

今村:装置の自動化が進んでいますが、だからといって放っておいたら実験できるわけではありません。装置の性能の劣化の兆しはないかなど、原理に立ち返り、少しの状況の変化にも常に注意を払って、じっと様子を見ていると分かることがあります。効率ばかり求めたら研究レベルを維持できないと思います。

Q:今後、どのように研究を進めていきたいですか。

佐藤:大気汚染の原因となった化石燃料をいつまでも使い続けることはできないので、違う方向に向かうでしょう。そのときに大気でどんなことが起こるか。将来を見据て研究を続けていきたいです。

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