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2013年6月28日

有機分析の新展開-網羅分析法開発

特集 環境汚染物質と先端化学計測
【シリーズ先導研究プログラムの紹介:『先端環境計測研究プログラム』から】

橋本 俊次

 「多次元分離技術による環境および生体中有機化学物質の網羅分析法の開発」は、平成23~27年にかけて環境計測研究センターが推進している先端環境計測研究プログラムの中のプロジェクト研究のひとつで、化学物質による環境汚染の多様化に対応するために、網羅的・一斉・高感度・高精度・迅速をキーワードとした次世代の分析法を開拓しようという研究です。

 化学物質の種類は近年急増しており、米国化学会のデータベース(CAS)への物質登録数が5年以内に1億件を突破する見込みです。我が国では、「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」や「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(PRTR法)」などの法律によって化学物質の製造や使用が管理されていますが、生産量の少ない物質や副産物、不純物、非意図的生成物、環境や生体中での代謝物や分解物、天然由来の物質などは法律の対象ではありません。そのような化学物質の中には、人や生物に悪影響を及ぼすものもあります。研究や調査が進むにつれ、問題となる物質も年々増加していくと予想されます。

 しかし、化学物質を測る技術の進歩は、このような現状に追いついていません。現行の分析法で環境や生体試料中の極微量の汚染物質を正確に測定するためには、分析装置に導入する前に有機溶媒による試料の抽出と測定を妨げる物質を除くための精製が必要になります。さらに、対象物質毎に分析法が異なるため、対象物質が増えれば、分析に時間と資源、費用が掛かることになります。また、当然のことながら、測定対象外の物質については知ることができません。このような現状では、知らない間に有害物質に曝露されているかもしれないという人々の漠然とした不安は、いつになっても解消されません。こうした不安を解消し、環境および生体中の化学物質に関する様々な研究や監視・対策に貢献するために、分析法上の問題を解決することがこのプロジェクトの目標といえます。

 このプロジェクトでは、課題を「多次元分離技術による迅速・正確分析法の開発(サブテーマ1)」と「多次元分離技術による網羅分析法の開発(サブテーマ2)」の二つに分けて新しい分析法の開発を行っています。サブテーマ1では、加熱することで気化させた化学物質を化学的な性質の違いなどによって分離する従来のガスクロマトグラフィ法(GC)よりもさらに精密な分離が可能な多次元ガスクロマトグラフィ法(GC×GC)と、化学物質の分子量を精密かつ高速に測定可能な高分解能飛行時間型質量分析法(HRTOFMS)や化学物質の構造推定に役立つタンデム型質量分析法(MS/MS)を組み合わせた手法の開発により、ダイオキシンやPCBをはじめとする残留性有機汚染物質(POPs)、残留性農薬、難燃剤やそれらの代謝物など様々な化学物質を対象とした迅速で正確な一斉定量分析法の開発を行っています。サブテーマ2では、GC×GC-HRTOFMSによる膨大な測定データ(通常の方法の100~1,000倍ほどのデータ量があります)から任意の化学物質情報を抽出・検索するためのソフトウェアの開発などを通して、網羅的な化学物質分析法の開発を行っています。

模式図(クリックで拡大表示)
図1 プロジェクト研究の概要と主な技術(装置)の模式図

 図1に示したのは、このプロジェクト研究の概要と主要な装置の模式図です。これらの装置はそれぞれ単独でも化学物質の分離や正確な検出において極めて高い能力を持っていますが、このプロジェクト研究では世界で初めてそれらを組み合わせることにより、超高分離で超精密測定が可能な装置を開発しました。同時に、その装置から出てくるデータを読み取り、解析するためのソフトウェアも多数開発しています。この装置を用いた分析法で最も画期的なことは、多くの試料で精製作業が不要になることだといえます。精製とは、測定対象成分以外の妨害成分を除くことで、従来の分析法では精確な定量のために必須の工程です。例えば、ダイオキシンやPCBの分析では、精製作業に一日、長い場合には数日程度掛かっていましたが、この過程を全く省略することで、時間、資源、労力を一気に節約することができるようになりました。そればかりではなく、試料の利用効率が良くなったことで、高感度化も達成することができました。具体的には、それまでは1,000m3必要だった大気試料の量は数m3に、10L必要だった環境水試料の量は50mlまで減らすことが可能になりました。これにより、試料採取の負担も劇的に軽減されることが期待されます。また、試料の精製を必要としない分析法は、網羅分析においては大変重要な意味を持っています。測定対象物質を絞り込まない網羅分析では、試料中の化学物質を取りこぼしなく測定することが求められるからです。

 この方法は、関連分野にブレークスルーをもたらす可能性を秘めていますが、GC×GC-HRTOFMSでは、一般的なGC-四重極型質量分析法に比べ、データ採取の速さが10~20倍程度、物質の質量を細かく分けて測る能力が10~50倍程度もあるため、得られるデータ量も数十ギガバイトと1,000倍以上にもなります。さらに、精製されていない試料を測定するために、測定データの中身も非常に濃密になっています。この膨大なデータの中から必要な情報を抜き出すことも、この研究の大きな課題の一つです。対象物質を定めないデータ抽出法の検討では、分子内に塩素あるいは臭素原子を持つ有機化合物のみを選択的かつ網羅的に抽出するソフトウェアを開発しました。この方法で、土壌、底質、大気、排ガスなどの環境試料のGC×GC-HRTOFMS測定データから有機塩素化合物や有機臭素化合物のものと思われる質量スペクトル情報のみを抽出することに成功しています。(図2)。

結果の図(クリックで拡大表示)
図2 GC×GC-HRTOFMSデータから有機塩素化合物のみを抽出した結果
左:室内大気のGC×GC-HRTOFMS測定オリジナルデータ
右:同データから自作ソフトウェアにより塩素の同位体組成を含む質量スペクトルを抽出したもの検出された物質が、濃度に応じて青(低)→黄(中)→橙(高)のように表示されている。左のオリジナルデータでは、非常に多くの物質が検出され、画面全体が黄~橙になっているが、右の画面では、有機塩素化合物(青~黄)だけが点状あるいは帯状に現れている。

 GC×GCとHRTOFMSあるいはMS/MSを組み合わせた新しい方法により、従来にはない種類の分析が可能になってきました。特にGC×GC-HRTOFMSによる精度と感度を犠牲にしない一斉定量法や対象物質を定めない分析法などは、次の公定分析法になり得ると考えられます。しかし、これらの新しい分析法の普及のためには、検出器感度の一層の向上や検出できる物質濃度範囲の拡大、装置の操作性やメンテナンス性の向上などのハードウェアの改良やGC×GC-HRTOFMS(あるいはMS/MS)に対応した使いやすいソフトウェアの開発、多種類の化学物質の精密質量情報データベースの整備などが課題として残されています。また、GCでは測定できない不揮発性の化学物質や水溶性の高い物質に対する同様の新しい分析法の開発はこれからです。現在は、このプロジェクト研究の終了までに可能な限りの成果をあげるべく努力をしています。この研究を通して、環境負荷の少ない分析の実現、関連する研究分野全体にわたるイノベーション、「安全・安心」な生活を守ることへ貢献することが、私たちの目標です。

(はしもと しゅんじ、環境計測研究センター有機計測研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

橋本俊次の写真

ちょっと前までは「若白髪」で同情をかっていましたが、今やすっかり普通のオジサンです。趣味は写真撮影、昼寝、散歩。放浪(徘徊?)癖がありますが今は封印中です。