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野外観測・モデル・衛星データを用いたアジアにおける大気質変動の統合的研究

【シリーズ重点研究プログラム: 「アジア自然共生研究プログラム」 から】

谷本 浩志

1.はじめに

 近年,経済発展が著しい東アジア地域においては,二酸化炭素などの長寿命温室効果ガスだけでなく,オゾンやエアロゾルの排出量が急増し,広域大気汚染や気候変化への寄与の増大など,北半球規模で大気組成に影響を及ぼしています。本研究では,野外観測・三次元全球化学輸送モデル・衛星観測データの3つのツールを統合的に利用して,アジア地域を主な対象とした大気質の変動を解析しています。本稿では,対流圏オゾンの長期変化,大気汚染物質排出量の最近の推移,森林火災による越境大気汚染についての研究成果をご紹介します。

2.日本における対流圏オゾンの長期変化とその要因

 まず,最近10年間(1998~2007年)の日本における春季の対流圏オゾンの変化を導出し,アジアからの人為起源汚染物質の排出量推移との関係を定量的に調べました。日本において空気が清浄な地域に位置する9地点における春季の対流圏オゾンの変化は,離島などの地上では最近10年間の変化の程度は小さく統計的にも有意な差ではない一方で,標高の高い山岳地域では変化の程度が大きく統計的に有意なほど大きく増加していました。例えば,長野県・八方尾根観測所における連続観測データには,年率1ppbvもの平均濃度の増加が検出され(図1),これは欧米における報告例(年率0.5~0.8 ppbv)と比較しても大きな値でした。また,2003年以降は80ppbv以上の高濃度オゾンが観測された日数が顕著に増加しており,2003~2006年における「高濃度オゾン日」は1999~2002年の2倍にもなっていました。つまり,植生影響などに重要なベースライン濃度がじわじわ増加しているだけでなく,人間の健康に悪影響を及ぼしうるくらい高濃度になる日数もここ数年で急激に増えているわけです。最新の統計値を用いて2007年まで更新した排出インベントリー(排出源の分布や強度を地図状にしたもの)を化学輸送モデルに組み込んで過去10年間の長期シミュレーションを行ったところ,モデルによる計算結果は概して観測された傾向をよく再現したものの,山岳地域において観測された大きな増加率は約半分しか再現されませんでした。観測とモデルの不一致は,モデル中でアジア大陸からの越境汚染の影響が過小評価されていることを示しており,現在の最先端のモデルでさえ,成長著しい東アジアからの人為起源排出量か,そこで生成したオゾンの輸送量を過小評価している可能性が考えられました。

図1 長野県・八方尾根観測所において観測されたオゾン濃度の長期変化傾向[Tanimoto, 2009; Tanimoto et al., 2009]。青点は1日平均値,赤線は
長期変化成分を示す。

3.宇宙から見る東アジアにおける大気汚染物質の排出量推移

 現在では,大気汚染物質は1~2週間かけて北半球を一周し,大陸間を輸送されることが分かっていますが,影響が大きいのはやはり近傍の発生源です。そこで,オゾンを作るもととなる物質のひとつであり,燃焼により大気中に放出される一酸化炭素について,東アジアにおける2000年以降の排出量推移を調べるため,地上観測とモデルおよび衛星観測を組み合わせて解析しました。大気中濃度から排出量を逆推計するモデルを適用することで,2005年における東アジアからの一酸化炭素排出量を算出しました。当時2003年まで公表されていたインベントリーによる排出量推計値および2001年に観測が開始されたMOPITT(Measurements Of Pollution In The Troposphere)衛星観測による大気中一酸化炭素濃度の推移とを比較すると,概ね良く一致する結果が得られ,2000年代前半における中国からの一酸化炭素排出量の伸びは+16%であるという結果が得られました(図2)。中国では近年,生物燃料・石炭から石油・電力へと比較的クリーンなエネルギーへの転換が急速に進んでおり,これまで主要な発生源であった民生利用からの排出はやや減少しましたが,都市部の産業発展に伴って工場からの排出が増加している結果,総排出量がやや増加傾向にあると解釈できました。

図2 (左)逆推計モデル(本研究による2005年と,Yumimoto et al. による2001年の▲),排出インベントリー(Streets et al.: 2000年, 2001年, 2006年の○;Ohara et al.: 2000-2003年のカラーグラフ。青:民生セクター,橙:輸送セクター,緑:工業セクター,ピンク:発電セクター)による中国からの一酸化炭素排出量の推移と,MOPITT衛星センサー(赤線)によって観測された中国上空における一酸化炭素の気柱全量の推移[Tanimoto et al., 2008]。
 (右)一酸化炭素排出量の当初推計結果と逆推計結果との差分(単位はμg/m2/s)。都市部で当初推計値より増加していることが分かる。

4.森林火災によるシベリアから日本への越境大気汚染

 一酸化炭素の発生源は,人間活動だけではありません。土壌の乾燥などによって起こる森林火災からも大気中に多量の一酸化炭素が放出されます。そこで,シベリアにおける森林火災がアジア地域の一酸化炭素に及ぼした影響をAIRS(Atmospheric InfraRed Sounder)衛星観測と全球化学輸送モデルを用いて調べました。全球化学輸送モデルは観測された一酸化炭素の濃度レベルと変動を概して良く再現し,一次発生源からの寄与としては北アジア50%,北米7%,欧州8%と見積もられました。ところが,日本で高濃度が観測された2003年9月11~13日の期間では,モデルが大幅に過少評価となりました。一方,この時のAIRS衛星観測は,一酸化炭素のプルーム(空気塊)が西シベリアから北日本へ東方に長距離輸送されていたことを示しており,このプルームがモデルと観測の不一致の原因であると推測されました(図3)。この知見は,現在広く用いられている森林火災の排出インベントリーでさえも西シベリアからの排出(特にピート燃焼からの排出)を過小評価していること,アジアの産業活動だけでなくシベリアの森林火災も日本の大気汚染に大きく影響していることを示しています。このように,衛星観測を用いることで宇宙から対流圏の越境大気汚染の様子を捉えることができるようになりました。日本の最北端に近い北海道利尻島で観測された森林火災プルームでは,アジア大陸の人間活動によって汚染されたプルームと同程度の大きなオゾン生成が見られ,実際にオゾン濃度が日本の環境基準(60 ppbv)を超過していました。北方森林の森林火災は気候変動によって大きく影響を受けると予想されているため,今後,シベリアの森林火災による日本のオゾン汚染が増える可能性があるかもしれません。

図3 (上) 地上観測(灰色)とモデル計算(赤色)による,北海道利尻島における一酸化炭素の濃度変動。
(左下) AIRS衛星センサーによって観測された,2003年9月11~13日のユーラシア大陸上空における一酸化炭素の気柱全量の分布。衛星観測では,シベリアの森林火災によって放出された一酸化炭素が東方に長距離輸送されている様子が見て取れる[Tanimoto et al., 2009]。
(右下) 全球化学輸送モデルによる同時期における一酸化炭素の気柱全量の分布。(拡大表示)

5.今後の展望

 昨今,オゾンやブラックカーボン(黒色炭素エアロゾル)等,大気汚染性のガスやエアロゾルをSLCF (Short-Lived Climate Forcers=短寿命気候強制成分)として捉える機運が世界的に高まっています。オゾンやブラックカーボンに,代替フロン類,メタン,亜酸化窒素を加えた大気微量成分の放射強制力の総和は二酸化炭素のそれに匹敵します。今後は,大気質だけではなく気候影響の観点も視野に入れて,越境大気汚染および地球温暖化防止に効果的な共便益(コベネフィット)を考慮した大気汚染物質の削減シナリオを開発し,国際的な合意形成に向けて努力する必要があります。また,半球規模で拡大している越境大気汚染を考慮すると,オゾン汚染のソース・レセプター関係(「環境問題基礎知識」参照)を正確に把握するとともに,環境基準の改訂について政策的な議論が不可欠だと考えます。

 

(たにもと ひろし,大気圏環境研究領域大気化学 研究室長,
アジア自然共生研究プログラム 
プロジェクトメンバー)

執筆者プロフィール

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 「大気質」は英語でAir Qualityと言い,外国では日常会話でもよく使う言葉であるが,日本語ではあまり耳慣れない。対照的に,水質という言葉は日本語でも馴染み深く,これは我々日本人が幸いにして水道水を飲用できる環境にあったためかもしれないと思う。空気の味は水ほど敏感に感じられないかもしれないが,呼吸によって体内に吸い込む空気の質にもっと関心を持ちたいと思うこの頃である。