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人工衛星のデータから世界各地域での二酸化炭素の吸収・排出量をどのように推定するか?−インバースモデル解析について−

【環境問題基礎知識】

高木 宏志

はじめに

 アメリカ西海岸や東アジア沿岸の大都市より遠く離れた太平洋上に位置するハワイには,現在米国海洋大気局NOAAが運用する大気観測所があります。ハワイ本島・マウナロア山の標高3397mにあるこの観測所は,大規模な人間活動や植物の呼吸の影響を直接受けないため,二酸化炭素の長期的な変動の観測に適しています。この場所で1958年よりチャールズ・キーリング博士により開始され,その後絶え間なく続けられた二酸化炭素観測の努力の結果は今日「キーリング曲線」とよばれていますが(図1),観測開始より間もない1960年代,博士らの研究結果はそれまで単に理論としてしか認識されていなかった大気中の二酸化炭素濃度の上昇を揺るがない事実として世界に広く示すものとなり,その後の温室効果ガス研究の礎となりました。

図1 「キーリング曲線」
 ハワイ・マウナロア観測所 (北緯19.5度,西経155.6度)で測定された二酸化炭素濃度(1958~2009年)。米国スクリップス海洋研究所提供のデータより作図。

 マウナロア山での観測が始まってから50年が経った現在,温室効果ガスの観測は2009年1月に打ち上げられた人工衛星「いぶき」(GOSAT)により,人間活動による土地利用の変化やエネルギー需要の増加などとともに刻々と変化する二酸化炭素の分布を地球規模で把握する,という新しい局面を迎えました。GOSATは現在,地球全体にわたり二酸化炭素の濃度を宇宙から観測しています。GOSATの観測から得られる二酸化炭素の分布データを詳しく分析すると,二酸化炭素が地球上のどの地域でどれくらい排出または吸収されているのかを知ることができます。ここで得られる情報は,陸上の植生,大気,海洋を巡る炭素の循環メカニズムの解明に役立つだけでなく,二酸化炭素排出削減に向け目標を適切に設定する上で重要な情報となります。この計算には「インバースモデル解析」とよばれる方法が使われますが,ここでは,二酸化炭素の地域ごとの吸収・排出量がこの解析手法によりどのように求められるのかを簡単に説明したいと思います。

インバースモデル解析とは

 二酸化炭素の吸収・排出量の計算に限らず,インバースモデル解析は私たちの身近なところで使われています。例としては,自動車などに用いられているGPSナビゲーションシステムの現在位置計算に,医療現場ではCTスキャン画像の作成に,また地震の研究においては震源地の推定にと,様々な分野で応用されています。インバースモデル解析では,ある観測結果から逆にその原因を調べるため「インバースモデル」(逆推定)とよばれています。例に挙げた震源地の推定では,世界各地に設置されている地震計が記録した揺れのデータ(観測結果)から,震源の位置(原因)を逆推定します(図2左)。インバースモデル解析は,震源の位置や強さなどの直接測ることができない値を調べる際に使われています。

図2 震源地の推定とGOSATを用いた二酸化炭素の吸収・排出量の推定
 インバースモデル解析を使った震源の推定では,各地の地震計が観測した揺れのデータから震源の位置を逆推定します(左)。二酸化炭素の吸収・排出量の推定では,GOSATの観測から得られる全地球規模の二酸化炭素濃度分布データから世界各地域で排出または吸収される二酸化炭素の量を逆推定します(右)。

GOSATの観測データから各地域の吸収・排出量がどの様にして分かるのか?

 GOSATは3日をかけて地球をくまなく巡り,定められた地点で二酸化炭素の濃度を観測します。ある場所では高く,他では低いといった全地球規模の濃度分布を示す図が3日ごとに得られます。この濃度分布図を蓄積していくと,全世界で二酸化炭素の濃度が時間とともにどのくらい変化するのかが分かります。各地での濃度の変化は,周辺での人間活動や,排出された二酸化炭素を運ぶ風の動き,森林の呼吸,また海洋による吸収・排出によってもたらされます(図2右)。インバースモデル解析を使うと,各地の濃度に変化をおよぼすこれらの「原因」,つまり世界の各地域における二酸化炭素の吸収・排出の度合いを,GOSATの「観測結果」である全地球の濃度分布データから逆推定することができます。

インバースモデル解析の流れ

 地球の大気の動きを再現するコンピュータープログラム(大気輸送モデルとよばれています)に,二酸化炭素を運ぶ風のデータ(風向風速データ)と,統計資料などに基づいた世界各地域でのおおよその吸収・排出量のデータ(図3-①)を入力し計算をさせると,GOSATの各観測地点での二酸化炭素濃度の予測値を得ることができます(図3-②)。このようにして求められた予測値とGOSATが実際に観測した値との間には当然ずれ(図3-③)があるわけですが,この「ずれ」は予測値を調節することで小さくすることができます。予測値が観測値より低いところでは,予測値の計算に使われたその地域の排出量を上げ(吸収量を下げ),逆に予測値が観測値より高いところでは排出量を下げる(吸収量を上げる),といった具合にバランスをとることで「ずれ」が小さくなります。この細かな調節をインバースモデル解析で数学的に行います(図3-④)。こうして各地域での「ずれ」が最も小さくなるように調節された吸収・排出量が,インバースモデル解析により逆推定される地域別の二酸化炭素吸収・排出量となります(図3-⑤)。ここでの推定誤差は,大気輸送モデルの大気を再現する能力などにより影響を受けるため,様々な改善が現在行われています。

 GOSATプロジェクトでは,全球を64分割した亜大陸規模の地域(数千km四方)における二酸化炭素の月ごとの吸収・排出量を推定し,その結果を2011年より公開する予定です。

図3 GOSATによる濃度分布データを使った地域別吸収・排出量逆推定の流れ
 ここでは図中の4つの地域(緑色の楕円内)を例にインバースモデル解析の流れを示します(説明は本文を参照)。楕円上の小さな点はGOSATの観測点を,赤・黄・青の各色は観測点での二酸化炭素濃度を表わします。吸収・排出量データの中の上下方向の矢印は,各地域での吸収(青)・排出(赤)量を示します。

おわりに

 二酸化炭素の地域別吸収・排出量の推定は,これまではおよそ2週間に一度の間隔で測定される百数十の地上観測地点でのデータを主に用いて行われていましたが,3日で全地球を網羅するGOSATのデータを使うことにより,その推定精度が格段に向上することが期待されています。キーリング氏により開始され,その後幾度となく政治的・資金的問題などにより観測中断の危機に直面するなか,地道に続けられたマウナロア山での二酸化炭素観測の努力は,人類による化石燃料の大量消費と地球温暖化を結ぶ大きなきっかけとなりました。やがてこの努力は地上観測ネットワークの設立へ,そして半世紀後にはGOSATによる全球観測へとつながり,温室効果ガス研究に新たな時代が訪れています。マウナロア山での観測開始当初315ppm程度であった二酸化炭素濃度は今年390ppmに達し(図1),その増加傾向を維持しています。GOSATによる全地球規模での継続的な観測の取り組みが,世界各地における二酸化炭素の吸収・排出量のより正確な理解へとつながり,さらなる地球温暖化を回避するための布石となることを願ってやみません。

(たかぎ ひろし,地球環境研究センター)

執筆者プロフィール

高木宏志氏の写真

 学生時代にヒマラヤ遠征をした際,山麓地域に点在する美しい氷河湖を見ましたが,近年では氷河の融解が加速し,中には決壊する危険性のあるものもあるとか。遠征当時,飲料水は氷河の氷を溶かして得ていましたが,氷河の融解がさらに進むと山中での飲料水確保が難しくなるため,将来のヒマラヤ遠征はより難易度が増しそうです。