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低炭素社会の実現に向けて

【シリーズ重点研究プログラム: 「地球温暖化研究プログラム」 から】

甲斐沼 美紀子

◆低炭素社会は実現できるのか?

 温暖化が進んだ場合に生じると予想されてきた現象が,予想以上に早く,最近,観察されています。頻発する豪雨被害や猛暑日の増加,氷河の大幅な減少など,IPCC(気候変動に関する政府間パネル)がかつて予測した事象を目の当りにするようになって,国際社会は低炭素社会の構築に向けて動きだしました。

 現在,日本人は移動や冷蔵,空調などのサービスを提供する機器をエネルギーを使って動かし,呼吸によって出している約30倍ものCO2を大気中に出しています。では,サービス機器の使用を止めればよいかというと,それだけでは問題は解決しません。

 医療や食料,快適な居住空間など,たくさんのサービスはエネルギー消費量の増加とともに向上してきました。1960年代の前半の日本の化石燃料消費によるCO2排出量は現状の3割程度でした。現状のエネルギー源やエネルギー効率をそのままに,化石燃料の消費を1960年代に直ちに戻すことは,他の深刻な問題を生じさせる可能性があります。気候変動に関する国際連合枠組条約では「気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすこととならない水準において,また経済開発が持続可能な様態で進行することができるような期限内」で温室効果ガスの削減を行うこととしています。現状の生活レベルを維持しながら,気候の安定化のための大幅な温室効果ガスの削減はどのようにすればできるのでしょうか。温暖化プロジェクトでは,この困難な問題に取り組んでいます。

◆70%削減した低炭素社会の姿

 地球温暖化研究プログラムの中核プロジェクト4「脱温暖化社会の実現に向けたビジョンの構築と対策の統合評価」では,地球環境研究総合推進費の「脱温暖化プロジェクト」や日英共同研究「低炭素社会の実現に向けた脱温暖化プロジェクト」のメンバーと連携して,我が国の低炭素社会の前提となる社会経済のビジョン・シナリオを描き,その実現の可能性について検討しました。

 まず,2050年の日本社会の将来像を描きました。人々はどのような社会に生きたいのか。人々が想像する将来社会のあるべき姿はそれぞれ異なります。プロジェクトでは,2つの将来像(シナリオAとシナリオB)をとりあげ,1990年に比べて70%のCO2排出量を削減できる可能性があることを示しました。

 シナリオA(技術志向の社会)では一人当たりGDP成長率を年率2%に,シナリオBでは1%と想定し,エネルギーの消費に直結するサービス(暖房や移動,オフィス環境など)は,利用する人々の姿を想像しながら,現状よりも適度に向上される程度に設定しました。

 シナリオAでは,活動量変化に伴うCO2排出量はほぼ2000年と同じであり,高断熱建築物の普及促進や土地の高度利用,土地機能の集約による需要削減,家庭・業務や産業,運輸での高効率機器の導入などの需要側のエネルギー効率改善と,原子力や水素利用による供給側のエネルギー転換での低炭素エネルギー利用,CO2回収・貯留技術の導入の効果などにより70%削減が可能と考えられます。図にシナリオAの場合の部門ごとの削減可能量を示しました。ただし,原子力やCO2回収・貯留技術には温暖化以外の点で人間や自然にリスクをもたらす恐れがあるため,そうした問題を検討する必要があります。

 シナリオB(自然志向の社会)では,社会変化によるエネルギー需要が減少するとともに,交通や家庭・業務,産業でのバイオマス利用や太陽エネルギーの利用といった需要側での低炭素エネルギー利用が進むと想定しました。

 このようにシナリオにより部門間での削減量に差はありますが,選択された技術には共通のものが多く,低炭素化目的でなくともエネルギーコストの節約だけで得をするといった対策もあり,エネルギー需要側の削減で40%,エネルギー供給側でさらに30%を削減することにより,70%の削減が可能となります。

目標達成に向けた内訳の図(クリックで拡大表示)
図 2050年70%削減を実現する対策の組み合わせとその効果

◆低炭素社会に向けた12の方策

2050年において70%のCO2を削減した社会は実現できることは示しましたが,そのためには,いろいろな対策を図る必要があります。どの時期に,どのような手順で,どのような技術や社会システムを導入すればよいのか,それを支援する政策はどのようなものがあるかを,シナリオA,シナリオBそれぞれについて有効な12の方策としてまとめました(表)。

主な対象分野としてみれば,1,2は家庭・オフィス系,3,4は農林業,5は産業,6,7は運輸系,8,9,10はエネルギー供給系,11,12はすべての分野を横断する方策ですが,それぞれの方策は間接的にはすべての分野においてCO2排出量を削減するのに役立っています。

家庭やオフィスにおける方策をみてみます。家庭やオフィスでは,快適で効率的な生活や仕事を行っていくために多くのエネルギーを使っています。

CO2排出源となるエネルギーを大幅に減らすためには,建物内の冷気・暖気を逃さず,太陽エネルギーや自然風を建物内に取り込むように設計することが重要です。そのような建築物を普及させるためには,建築物の環境性能評価制度やラベリング制度を導入して,環境性能ラベルに応じた税制優遇や低金利融資制度を組み合わせることで,導入するための経済的負担を少なくし,環境性能の高い住宅建築・購入のインセンティブを高めることが有効です(方策1,5)。

個々のエネルギー機器について,徹底的に効率を改善することもCO2削減に貢献します。そのためには,現状のトップランナー制度1の対象範囲を全てのエネルギー機器まで拡げて数年毎に目標を更新し,優秀な技術を開発した主体に対する報奨制度を導入することが考えられます(方策2,5)。

しかし,効率が大幅に改善された機器が開発されても,利用者が積極的に導入を進めないことには普及が進みません。そこで,温室効果ガスの排出に関する正しい情報をいつでもどこでも入手できるような「見える化」の制度・インフラの仕組みや,それを適切かつ分かりやすく伝えるナビゲーションシステムの整備を行うことで,低炭素に向けた消費行動を促すことができます(方策11,12)。

野菜や果物などの食品については,旬のものを選ぶことで,間接的に農作物の生産に要するエネルギー消費量を削減できます(方策3)。また,建築物に対して鉄やセメントでなく,林産材を積極的に活用することで生産時に多量のエネルギーを必要とする素材の消費を削減することができます(方策4)。

これらに加えて,地域の太陽エネルギーやバイオエネルギーを積極的に活用し,低炭素な電力を購入することで排出量の大幅削減が可能になります(方策8,9,10)。

◆用語
1民生部門及び運輸部門の省エネルギーを図るために導入された制度で,家電製品などの製造事業者等に対して,省エネ法で指定する特定機器の省エネルギー基準を,「最も省エネ性能が優れている機器(トップランナー)」の性能以上に設定する制度。

表 : 低炭素社会に向けた12の方策

  方策の名称 説明
家庭・
オフィス




快適さを逃さない住まいとオフィス  


トップランナー機器をレンタルする暮らし
建物の構造を工夫することで光を取り込み暖房・冷房の熱を逃がさない建築物の設計・普及

レンタルなどで高効率機器の初期費用負担を軽減しモノ離れしたサービス提供を推進
農林業



安心でおいしい旬産旬消型農業  


森林と共生できる暮らし
露地で栽培された農産物など旬のものを食べる生活をサポートすることで農業経営が低炭素化

建築物や家具・建具などへの木材積極的利用,吸収源確保,長期林業政策で林業ビジネス進展
産業
人と地球に責任を持つ産業・ビジネス 消費者の欲しい低炭素型製品・サービスの開発・販売で持続可能な企業経営を行う
運輸



滑らかで無駄のないロジスティックス


歩いて暮らせる街づくり
SCM*1で無駄な生産や在庫を削減し,産業で作られたサービスを効率的に届ける

商業施設や仕事場に徒歩・自転車・公共交通機関で行きやすい街づくり
エネ
ルギー
供給








10
カーボンミニマム系統電力  



太陽と風の地産地消  



次世代エネルギー供給
再生可能エネ,原子力,CCS*2併設火力発電所からの低炭素な電気を,電力系統を介して供給

太陽エネルギー,風力,地熱,バイオマスなどの地域エネルギーを最大限に活用

水素・バイオ燃料に関する研究開発の推進と供給体制の確立
分野横断 11



12
「見える化」で賢い選択  



低炭素社会の担い手づくり
CO2排出量などを「見える化」して,消費者の経済合理的な低炭素商品選択をサポートする

低炭素社会を設計する・実現させる・支える人づくり

 *1 SCM(Supply Chain Management) :材料の供給者,製造者,卸売,小売,顧客を結ぶ供給連鎖管理
 *2 CCS(Carbon dioxide Capture and Storage) :二酸化炭素隔離貯留

◆低炭素社会に向けた取組

 本プロジェクトの対策モデル研究では,2050年に70%削減するという目標達成のために,2050年からさかのぼって,今,そしてこれから何をしてゆかねばならないかを検討するバックキャスティング(「環境問題基礎知識」参照)の手法を使っています。2050年の社会でどのようなエネルギー利用(あるいはCO2排出)になっているかから出発し,そのような姿を実現するためにはどのような行動・技術選択,社会改革をなさねばならないか,そしてそのためにどのような政策・手段をとることが考えられるかを「方策」という形で描きました。将来の技術進歩などを考えると,対策は遅い方が経済的に有利であるという議論がありますが,必要な社会インフラの形成には時間がかかり,一気に実現しようとすると資源,資金,労働力の制約が生じかえって経済的に不利になる可能性が高いです。

 気候変化への対応は,明確な目標に向かって,順序立てた整合性ある政策展開が必要であり,効果的です。12の方策はCO2を削減する一つの処方箋です。これが唯一の処方箋というわけではなく,また,多くの人が係ってはじめて実現できるものです。本プロジェクトが低炭素社会実現に向けて有益な成果を発信できるよう,引き続き研究を進めていきます。

(かいぬま みきこ,地球環境研究センター
温暖化対策評価研究室長)

執筆者プロフィール

甲斐沼美紀子の顔写真

 1990年からアジア太平洋温暖化対策評価モデル(AIM)の開発を行っています。人々が住みたいと思う社会を実現しながら,温室効果ガスを削減するという課題は難しいと感じつつ,持続可能な社会とはどんな社会なのかを考えています。