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見逃さない,放置しない,慌てない

随想

合志 陽一

 理事長職に在任中,何回か機会があり,モットーあるいはスローガンとして,“見逃さない”,“放置しない”,“慌てない”の3原則を強調させていただいた。

 様々な環境問題を見るとき,この3つの段階のどこにあることかを考えて判断を誤らないようにとの気持ちからであった。最近,アスベストの問題が社会的には急激に関心を集めているが,見逃さない,放置しない,慌てないの3原則を適用すべき典型的な事例とも言えよう。アスベストの有害性はある意味では周知の事実であるが様々の環境中でどの程度存在するかについての認識が甚だ不十分であったと言えよう。また改修・改築などの工事による飛散,災害発生時などの事故にともなう非意図的飛散までも想定して評価し,対策が立てられるべきであったが果たしてそこまで考えが及んでいたであろうか。

 アスベストは特に有害な元素や化合物を含むわけではない。特定の形状をもつ時,発がんなどの大きな問題を引き起こすのであり,対策のあり方は物質としてではなく,粒子として考えなければならない。慌てて対策を誤ってはならない。

 一方ではナノ粒子をめぐる研究の発展はこれらの問題を新たな視点から検討することを要求しているように思われる。微粒子の形状に起因する問題と物質としての物性,化学的性質,および生理的挙動に起因する問題を切り離しておくべきか,それとも不可分なこととして取り扱うべきかである。アスベスト問題は基礎研究としてはすでに解明されていると考えられるが,形状と物性のからむ問題として新たな研究課題を再び提起しているとも言えよう。単に微粒子は比表面積が大きいというような単純な問題ではないであろう。

 “見逃さない”視点からも気になる問題の一つに光の生体影響がある。光が大きな生理的影響をもつことは知られているが,太陽光から白熱光源まで基本的にはあらゆる波長の光を含む光源が主流であれば,とくに問題になることはないであろう。しかし,最近の技術の進歩と省エネルギー,CO2削減への要求から特定の波長の光を含む光源が開発され実用化が期待されている。環境を守る立場から大いに推薦したい技術開発である。

 一方,光の生体影響が大きいことは今までの研究でもあきらかであるし,今後あきらかにすべき研究課題も多い。現在なお人間に新しい光の受容体があることが報告されているほどでヒトの光反応は解明されていない部分が多いと思われる。

 加えて,最近の光源は急速に変化をしつつある。白熱光源のような比較的自然光に近いものから蛍光灯や放電灯,発光ダイオード(LED)さらにレーザーのような鋭い波長分布をもつものまで開発され,エネルギー効率向上やマイクロエレクトロニクスへの応用の可能性を目指して,激しい開発競争が繰り広げられている。青色ダイオードをめぐる話題からも周知である。多くの場合,CO2削減につながるエネルギー効率向上,情報化の進展による省エネルギーの実現などで環境面からは好ましいと判断される。

 しかし,“見逃さない”ようにすべき点はこのような光源が従来のものとは著しくことなっており,その生理的影響は未知の部分が大変多いことである。すでにミクロにみれば,内分泌(とくにメラトニン産生)への影響が指摘されており,マクロには精神活動(うつ症状,作業効率など)への影響さえある。このように光環境はヒトのレベルだけでなく,人間のレベルでも大きな影響をもつようである。従って,その変化を引き起こすような技術開発については何が好ましく,何が不適切であるかを早期に検討すべきである。人間は光無しには生活できない。不適切な光の使用があれば極言すると全人類が影響を受ける。適切な使用で活力が向上すれば,その効果は計り知れない。いずれにしても大きな問題であり,とりわけ環境の視点から適切な研究活動への積極的堤言がまたれるところである。

 ところで,新しい研究を提案し,評価を受ける,あるいは提案を受け,評価するとき,独創性,新規性などは必ず取り上げられる事項である。独創性—新規性は,内容はともかく,比較的理解しやすい。しかし,研究の提案であれば未知の部分が多く,判断は容易ではない。また,環境研究は応用科学であり,ミッションオリエンテッドの要素が強い。応用科学での研究は新規性・独創性よりもむしろ有効・有用性が重要である。それでは有効・有用性は具体的にはどのような尺度をもってはかるべきか。保険会社はあらゆる可能性をともかく経済的に評価して保険金の体系を作り上げ,運用している。同じようなアプローチは研究の有効・有用性の判断にも適用できるはずである。しかし,そのような評価法をとった例は私自身の知識・経験の狭さの由かもしれないが思い出せない。リスクコミュニケーションよりは不確定要素が多く,難しいとは思われるが,研究提案に対する評価の方法として検討する価値はあるのでないか。もちろん,事故による損害のように経済的指標で表現できるような簡単なものではないので未熟な制度が検証も十分にされないままに動き出したときの害は深刻であり,軽率なことは避けなければならないが分野・課題によっては意味があろう。

 例えば上に述べた光の影響では照明の条件による作業ミスの発生率の変化が報告されている。このような場合,大規模な研究を行うべきか否かは作業ミスを経済的損失として評価すれば可能かもしれない。どの程度の研究費を投入するのが適切かは一応評価できよう。現実の社会での経済的評価の困難さは周知のことである。さらに未知の不確定要素の多い研究提案の評価などに量的評価システムを作ってみてはなどと何を空想・妄想に時間を浪費するのかと言われそうである。しかし,課題によっては決して不可能ではないと思われる。勇気ある研究者がこのような課題に取り組み,また,色々な分野の研究者が提案時にこのことを試みることを期待したい。世間では旅行や出張の経路によりどの程度のCO2が排出されているか何時でもどこでも教えてくれるシステムが実現している位であるから。

 最後に任を離れて自由な立場となったので今後の問題を思いつくままに述べたい。

 第一は,技術の評価機能を強化である。これがこれからの環境研究に重要であろう。理想的には専任者による十分なサイズのチームが望ましいが,それが困難であれば外部と十分に連携して評価できるヴァーチャルな組織でもよい。重要な点は,そのチームの活動が十分な自由度をもつようにすることである。その点で情報収集,意見交換など全く自由に活動できる制度が望ましい。委員会方式では委員会を形式的にでも開催しなければ費用が十分出せない。そのような硬直化をした方式でなく,自由に活動し,必要なあらゆる経費をサポートするようでありたい。シニアの研究者(企業,大学,なども含む)を含めて真にアクティブな研究者,技術者,エキスパートの参加を実現できると素晴らしいと思う。

 第二は,現在の科学技術に対して現時点では人間中心の視点で研究,開発が進められるべきことを主張しつつ,環境研究の構成を再編していくことである。生物学的あるいは進化論的時間尺度をもつ人間(ヒト)と技術開発の時間尺度のミスマッチは最近とくに顕著であるが,ヒトが技術(産業)の変化速度に足並をそろえるのは困難になりつつある。将来は技術(産業)が人間と足並みをあわせて進歩していくことになるであろう。学術研究・技術開発の分野も同じこととなることはあきらかである。

 第三は,手応えが環境を含めた社会的現象の中心的課題となるとの予感である。環境の定義として周囲との相互作用とすることもできるが,生物としての本質に全く周囲との相互作用がなければ正常な発達はないとの指摘もある位である。生物だけでなく人間のレベルでさえ,子供の発達にあらゆる意味での「ふれあい」が重要とされる。社会システムですら過去の硬直化した社会主義体制の問題点をこの視点から解くことも可能であろう。環境問題は複雑であるが,周囲との相互作用を受身ではなく,働きかけに対する応答として考えていくと見通しも立てやすく,そして何よりも本質的に有効なのではないかと思うが読者諸賢はどうお考えであろうか。

 (ごうし よういち,前理事長)

執筆者プロフィール:

子供の頃から技術全般に関心があり,技術史や技術論をベースに科学技術一般に目を向けることが多かった。環境研究は森羅万象を扱うので必然的に広い視野を要求されるが,若い頃のこのクセはその点で役に立っている。退任後,時間に任せて様々な分野の発展を若干でも理解しながら楽しみたいと思っていたが案外時間は足りなく,頭脳活動の老化はあり,理想は理想,夢は夢で終わりそうである。

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