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所長 大井 玄

大井  玄の写真

 ……我々は大地の一部であり,大地は我々の一部です。香り高き花は我々の姉妹であり,鹿や馬や大きな鷲は我々の兄弟です……(シャトル酋長がアメリカ大統領へあてた手紙)

 「閉鎖系である地球環境は科学・技術の進歩だけで維持できるか。それとも現在の生活スタイルなど人間行動(そして意識)を変容させる必要があるか」といった趣旨の質問を,私は多くの環境科学研究者たちにしてきた。彼らから戻ってくる答えは,例外無く,行動変容も必要というものであった。

 現在,大量生産・大量消費・大量廃棄を特徴とする産業経済システムは「市場の原理」によって動かされている。ここに措定される人間像は無制限な欲望を是認しており,これにいわば経済学的根拠を与えているのが新古典派理論である。また,そこに現れる経済主体としての人間は,旧大陸からの移民が見いだしたほとんど無限の空間と無尽蔵の資源に恵まれた新大陸という,いわば開放系の産物のように見える。この人間にとって,経済行為に関係ない環境は二次的な意味しか持たない。ましてや環境に特別の尊敬をはらったり,それを神聖視したりする必要を認めない。

 さて,人間活動の歴史は言うまでもなく環境破壊の歴史であった。禿山の続くギリシャもかっては豊かな森林に覆われていた。産業革命以後イギリスの森林も伐採により消えていった。環境破壊の結果人間が滅びていったイースター島の例もある。

 近年の環境破壊がもたらした悲劇的事例はルワンダに見られる。二十世紀中頃「アフリカのスイス」と呼ばれた美しい緑のルワンダは,当時人口200万だった。その後,人口爆発が起こり90年代始めには800万に達する。人は山頂近くまで木を伐り,耕地に変えていったが食料生産は追いつかない。一家族当たり農地面積は,1960年には2haであったのが90年には0.7haに縮む。一人当たりの食事エネルギーは1984年に約2,000カロリーであったのに,91年には1,000カロリー近くまでに減っていった。飢餓状態といえる。長年くすぶっていた「部族対立」が燃え上がるのも当然だろう。その結果100万に及ぶ人々が虐殺される。

 古くからの環境が頑固に守られている事例を検討して気づくのは,それが人の手をつけてはならない尊い存在として神聖視されていることである。レバノン杉の森や我が国の鎮守の森がそうであり,冒頭のアメリカ原住民が守ってきた居住地の森もそうである。そして,そこで動植物と共生してきた人々には,ただ単に人間生存の条件として環境を尊重するのではなく,環境は人をも含む生命体であるとの一体感も認められる。これは,「合理的思考」をするかも知れないが欲望を制御しない経済主体が持ち得ない意識であり,為し得ない行動であろう。

 環境は,人智を越えた神聖な存在として取り扱わない限り,最後には,人をも生かしてくれないのであろうか。

(おおい げん)

執筆者プロフィール

東京大学名誉教授