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HarmoNIES No.5

森からの控えめなメッセージ

Published on August 2022

森からの控えめなメッセージ

− 森の窒素飽和

 あなたの血液には問題があります!健康診断結果にそう書かれていたらどうだろう。病名こそついていなくとも、心が相当ざわつくに違いない。
 日本の森でも似たようなことが起こっているらしい。新鮮な空気で満ち、爽やかにさせてくれるはずの森が将来病気になったり弱ったりするかもしれないとしたら大変だ。



キーワード:
渓流水人工林窒素飽和

 

”森を流れる沢水の中に窒素があふれていることは、森からの控えめなメッセージのようだ。”



 あなたの血液には問題があります!健康診断結果にこう書かれていたらどうだろう。病名こそついていないが、将来的には・・・と書かれていたら、心が相当ざわつくに違いない。
 日本の森を詳しく調査している渡邊未来さんによると、森で似たようなことが起こっているらしい。森というものは新鮮な空気に満ち、小さな沢の水は冷たく澄んで体も頭もスッキリさせてくれるものと思っていた。そんな森が将来病気になったり弱ったりするかもしれないとしたら大変だ。
 渡邊さんが育った地域には豊かな森があり、そこは遊び場であり、通学路でもあり、生活の一部だった。淡い色の花咲く春、緑に燃える夏、秋には茶色、冬は灰色というふうに森の色はどの季節も美しく、渡邊さんにとって森は他人の物語ではなかった。もちろん私たちも、渡邊さんほど森と近くなくても無知で無関心のままではいられない。


森でなにが起こっているか

写真1: 筑波山の沢水

 では日本の森で一体なにが起こっているのか。渡邊さんは、土壌や木々、空気などさまざまな面から森を調べているが、今回は特に沢水の観点から説明してくれた。沢水の水質を調べてみると、硝酸性窒素が検出されるそうだが、都会に近い森ではそれが特に高濃度になっているそうだ。
 そもそも地球上の窒素は循環していて、空気中の窒素ガス(N₂)がアンモニア(NH₃)や硝酸(HNO₃)などの窒素化合物に変化したときに、木々や生物が命を維持するためにそれを利用できる。命がついえた後は、微生物等が分解し、窒素ガスとなってまた空気中に帰っていく。でも都市に近い森では、森が求めるより多くの窒素化合物であふれ、それが硝酸性窒素として沢水にたくさん流れ出ている、とのことだ。


窒素が増えると困る?困らない?

 沢水の中に硝酸性窒素が増えると困るのか?渡邊さんはその直接の答えは今のところわかっていないと正直に教えてくれた。でも、だからといって安心できるかというとそうでもないようだ。先ほども触れたように窒素は環境の中で循環しているが、そのどこかに窒素化合物が過剰に溜まってしまうと色々な問題が生じる。
 それが空気中で起こると、大気汚染と呼ばれ、環境にも健康にも悪影響を与えることが既にわかっているため様々な対策が練られている。では沢水に硝酸性窒素が増えすぎるとどうか。渡邊さんによると、川や湖や池に栄養がたくさん流れ込んでしまう。これは全くいい事ではなくて、生態系のバランスが崩れてしまい魚や様々な生物が住みづらくなってしまうのだそうだ。また、地下水に運ばれて溜まってしまうと地下水が安全な飲水ではなくなってしまう。(ちなみに水道水は適切に管理されているのでその心配は不要)
 つまり、現時点では沢水の窒素濃度が高いことが直ちに悪いとは言えなくても、
非常に注意を要する問題へと繋がっているのだと渡邊さんは説明してくれた。これは少なく見積もっても、 健全な状態とは言い難い。 


窒素はどこから来るのか?

写真2: 調査地の森を行く

 沢水の窒素はどこから来るのだろうか。渡邊さんによれば、主に化石燃料、農業用肥料、畜産廃棄物に由来するものだという。人が生成する窒素化合物はこの150年で10倍以上増加している。この間に人々は化石燃料を使い、また農業でも化学肥料が開発され、大量に作物を収穫できるようになった。そのおかげで私たちの食卓は満たされ、便利な生活を送れるようになった。窒素が高い一因が化石燃料の消費や食糧生産であることは、あちらをたてればこちらがたたずというジレンマ状態と言えるのかもしれない。 

 
森に健康でいてもらうために

  ではどうすれば森に健康でいてもらうことができるのか。もちろん私たちの側にできることはできる限りしたい。しかし渡邊さんはさらに、森を管理する観点からも解決策を模索している。日本に多い人工の森では、間伐などのお世話が行き届いていないと流れ出す窒素の量も多いということも分かってきたそうだ。
 また渡邊さんは筑波山周辺の森を調査し、勾配などの地形や木の種類等から統計解析を行い、沢水の窒素濃度が高くなる要因を探った。その結果、針葉樹林よりも広葉樹林にある沢の水の方が窒素濃度が低いことも突き止めた。これらの研究結果は、広葉樹の植林などを含めこれからの森の健康管理に大きく貢献するかもしれない。 

 
研究のこれから

 森を流れる沢水の中に窒素があふれていることは、森からの控えめなメッセージのようだ。控えめなせいで伝えようとしていることがよくわからないかもしれない。緊急に対処しなければならない問題には見えないかもしれない。しかし窒素化合物がもたらす様々な影響を考えると決して見過ごすことはできないということがよくわかる。
 森は空気や水を浄化することで、あらゆる生き物を支えている。これからもそうであって欲しい。そこで、渡邊さんは今後ももっと森への理解を深め、森の健康診断を読み解けるようになる、つまり不調に気付き、それを治せるようになることを目指して研究を続けておられる。たとえ結果がすぐに現れなくとも、数十年、数百年先であっても。


写真3: 沢水のサンプル採取
写真4: 落ち葉のサンプル採取
写真5: 土や空気のサンプル採取

人工林

日本の森は、スギの木が多い。歴史的にスギやヒノキなどの木を植え育て、管理してきたため人工林は森林の約40パーセントを占める。スギは日本の固有種で成長が早く、まっすぐ伸びて加工がしやすい。

人工林は、間引きをしてよく管理すると太くて良い木が育つ。お世話が必要な畑と同じだ。でも最近では森を管理する人が減ってしまい放置される森もある。手入れがされないと、細くて弱々しい木が混み合う暗い森になってしまい、大雨の際には土砂崩れなどの災害につながりかねない。
 
 6 :  スギの人工林
 7 :  ヤマツツジの花 
 8 :  森の中の沢
 

花粉症がひどくても

渡邊さんは花粉症である。スギやヒノキの花粉が原因で、くしゃみや鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどが引き起こされる。花粉症の人にとって春先は外に出たくなくなる季節でもある。それでも、渡邊さんは調査のために森に入っていくのだ。

関連論文

  1. Watanabe M, Miura S, Hasegawa S, Koshikawa KM, Takamatsu T, Kohzu A, Imai A, Hayashi S (2018) Coniferous coverage as well as catchment steepness influences local stream nitrate concentrations within a nitrogen-saturated forest in central Japan. Sci. Total Environ., 636, 539–546.
  2. Nishina K, Watanabe M, Koshikawa KM, Takamatsu T, Morino Y, Nagashima T, Soma K, Hayashi S (2017) Varying sensitivity of mountainous streamwater base-flow NO3– concentrations to N deposition in the northern suburbs of Tokyo. Sci. Rep. 7: 7701.
  3. 渡邊未来(2021)森林の窒素飽和とその水環境への影響:特集・酸性降下物による生態系影響の現状と評価.環境技術,50,256–261.

 表紙写真、 写真 1, 2, 6:大東正巳、 3, 4, 5, 7, 9:成田正司、 8: 渡邊未来



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