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富栄養湖沼群の生物群集の変化と生態系管理に関する研究

研究プロジェクトの紹介(平成11年度終了開発途上国環境技術共同研究)

高村 典子

 中国は河川・湖沼の占める面積割合が,国土の約 2.6%と,世界平均の0.5%に比べると高い国である。また,広い国土の大部分は,最終氷期に氷河に覆われることがなかったことから,多くの河川・湖沼は高いレベルの生物多様性を維持することができた。こうした事情もあって,中国国民の食料資源としての淡水魚類への依存度は高い。すなわち,水揚げされる全水産資源の50%近くが淡水魚で,14%足らずという世界平均を大きく上回る。特に,揚子江中下流域を含む東部湿潤地域には,中学全淡水湖の総面積の42%を占める淡水湖があり,その水資源が地域経済および人間活動を支えている。しかし一方で,この地域の湖沼は,急激な経済発展と水処理技術の立ち遅れから,著しい環境破壊に見舞われている。

 本研究では,まず揚子江流域湖沼の環境問題の現状を,文献調査から把握するとともに,三峡ダムの直下に位置することなどから今後生物相が大きく変化することが予想される,洞庭(トンティン)湖の水質と生物の調査を行った。洞庭湖の生物調査は,漁獲統計以外これまで全く行われていない。そのためにも生物群集の現状を,ダム建設前に把握する必要性は大きい。さらに,都市近郊に位置する東湖の長期生物データを整理し,人為的変化による生態系の変化とその要因を検討するとともに,中国都市郊外の富栄養湖の生態系管理として,ハクレンという揚子江原産のコイ科魚類を用いたバイオマニピュレーション(生物を操作することによって環境を改善する手法)の有効性を,隔離水界実験によって検討した。本研究は,湖北省武漢市にある中国科学院水生生物研究所淡水生態学研究部門の研究者と共同で行った。

 現在,揚子江流域湖沼の生物多様性が急速に失われつつあるのは,1)湖沼面積の縮小,2)生息環境の分断,3)乱獲と外来魚の移入,4)水生植物の減少,5)富栄養化の5つの原因による。まず1)については,森林伐採と農耕地化により,裸地化した流域からの土砂の流入が主な原因であり,洞庭湖などで特に深刻な問題となっている。2)に関しては,揚子江流域に数多く点在する湖沼は,以前はすべて本流とつながっていた。ところが洪水対策という名目でそのほとんどが揚子江本流から切り離されたため,現在でも本流とつながった湖沼は,わずかに洞庭湖とポーヤン湖を残すだけとなった。湖沼の本流からの分離に伴う最大の打撃は,両方の水域を行き来する回遊魚の減少である。3)については,淡水資源への依存度が極めて高い揚子江流域では,経済の発展に伴う急激な人口増加が魚類資源の乱獲をもたらし,漁獲量の低下と漁獲物の小型化,低年齢化を引き起こした。また,水産資源の増大を目的としてヨーロッパから移入された外来魚が,既存の在来魚を滅ぼしてしまい,結果として総漁獲量が低下した例などが知られる。4)については,美味であるがために,水産資源としての価値が高いソウギョ(水生植物を食べる)を,各地で過剰に放流してきたことが主因とされる。特に,湖沼沿岸帯の沈水植物(体の全部が水面下にあって生活する大型水生植物)への被害が深刻化している。5)については,流域の人口増加に伴う生活排水の過度の流入と,立ち遅れた廃水処理が原因である。以上の点について,早急に対策を施す必要がある。

 洞庭湖は,水質の窒素・リン濃度から明らかに富栄養湖の範ちゅうに入るが,クロロフィル濃度は極めて低く貧栄養湖のレベルにある。これは水中に粘土粒子を主とする懸濁物質が多量に含まれているので光が透過しにくく,一次生産量が低く抑えられているためである。洞庭湖の魚類に関しては過去の漁獲統計から,漁獲される魚の著しい低年齢化,魚体の小型化,回遊魚の減少,一方,湖沼内で生涯を過ごす魚種の増加が生じている。洞庭湖のプランクトン相は,我々の生物調査により初めて明らかになった。幾つかの新種を含むプランクトン相のリストは,今後の洞庭湖の湖沼環境変化を監視する上で,重要な資料となるであろう。

 東湖は,1960年代に揚子江から切り離されて以来,人為的影響を大きく受けている。ソウギョの過放流や富栄養化により,70年代に大型水生植物が激減し,アオコが大発生するようになった。一方で,70年代にはハクレン・コクレンの種苗放流技術が確立され,これらろ食性魚類(鰓エラでプランクトンをこしとって食べる)の漁獲量が増え続け,現在,世界最大級の漁獲量をほこる。さらに,1987年にアオコが消え,それに伴い生態系が大きく変化した。すなわち,アオコ消滅前の,植物プランクトン→大型動物プランクトン→魚という生食食物連鎖主体の経路が,アオコ消滅以降は,細菌→原生動物→小型動物プランクトン→魚という微生物食物連鎖主体の経路に移行したと考えられた。現在,東湖の窒素・リンの濃度は,我が国の手賀沼や霞ヶ浦と同じか,それ以上の濃度である。しかし,その割にクロロフィル量は低く抑えられている。

 こうした東湖生態系の長期変化から,「アオコが消えプランクトンが小型化したのは,ろ食性魚類の現存量の増加によるプランクトンへの捕食圧の増大」という仮説をたて,ろ食性魚類が植物プランクトンの制御に有効かどうかを実験的に検討した。

 ハクレンを用いたバイオマニピュレーションは,これまで世界で数例検討されている。それによると,アオコは制御できるものの,全藻類量を抑え透明度を上げることができるかどうかについては,一致した見解が示されていない。すなわち,全藻類量を「抑えうる」という結果と,「抑えられない」とするものに分かれる。後者では,大型の植物プランクトンの代わりに小型の植物プランクトンが増える。また,ハクレンが大型の動物プランクトンを摂食するために動物プランクトンが減り,その餌となる植物プランクトンが増える,という。こうした矛盾する結果を整理するため,霞ヶ浦臨湖実験施設の港内に6基の隔離水界を構築し,ハクレンの操作実験を行った。96年は動物プランクトンの多い系と少ない系をつくり,おのおのハクレンの密度を変化させ,それに対応してプランクトン群集や水質がどのように変化するかを調べた。97年はハクレンの導入・除去という相反する操作に対し,生態系構成要素や生態系の機能がどのように応答するのかを調べ,一種の撹乱に対する生態系の抵抗力や回復力について考察した。以下が結論である。

1)ハクレンはアオコを制御するか?

 ハクレンの導入は,いわゆるアオコを形成するシアノバクテリアの種類と量を確実に減らすことができる。

2)ハクレンは全藻類量を下げ,透明度を上げる か?

 ハクレンはアオコを減らす一方で,動物プランクトンをも減らし,また全般的にプランクトンサイズの小型化を引き起こす。このため植物プランクトンの総量は,変化しないか,場合によっては増えることもある。したがって,ハクレンの導入により,全藻類量を抑制し,透明度をあげることは必ずしも期待できない。この効果を期待できるのは,アオコの発達が極めて著しい水界,もしくは,もともと動物プランクトンを餌としている魚類の量が多く,特にミジンコの仲間が極めて少ない水界にハクレンを導入した場合に限られる。

3)生態系の抵抗力と回復力について

 ハクレンの導入・除去という相反する操作に対し,プランクトン群集などの生態系構造は大きく変わるが,光合成,有機物の沈降などの生態系機能は変化しにくかった。溶存酸素,溶存態無機窒素,クロロフィル量のように,魚の呼吸,排泄,摂食作用により直接引き起こされる理化学変数は回復しやすかったが,生物種の応答は種特異的であり,いくつかの種は容易に回復しなかった。

4)湖沼管理への応用と問題点

 アオコの大発生による毒性や悪臭の発生,景観への悪影響を,簡単に低コストで取り除ける点で,ハクレンを用いたバイオマニピュレーションは有効である。中国ではハクレンは重要な水産資源であるので,湖水の窒素・リンをハクレンの水揚げにより回収するという循環系が,コストをそれほどかけることなくできる。しかし,ハクレンを導入する元の生態系にミジンコ類が比較的豊富であると,全藻類量の抑制と透明度の増加は期待できない。また,ハクレンの導入は,ピコプランクトンを確実に増やし,かつ溶存態無機窒素の濃度を上げるため,その水を飲料水などに利用する場合などには注意を要する。

(たかむら のりこ, 地域環境研究グループ開発途上国生態系管理研究チーム総合研究官)

調査研究こぼれ話:

95年から,ほぼ毎年武漢を訪問したが,めまぐるしく変化する風景,施設,交通事情,研究体制などにめんくらった。 95年は研究所の車が故障し,誰かが,なんと公安の車を手配してきた。この車で8時間以上かかり洞庭湖に着いたら,そこは大洪水だった。それが最初の調査だった。97年は,やはり洞庭湖へ向かう途中,研究所の車が軽くタクシーにあたってしまった。見る見る人だかりとなり,わけのわからないうちに500元を支払わされた。この後,遅れをとりもどそうとスピードを出して走行中,無免許の公安の車が横から飛び出してきて,衝突。むち打ち症で,救急車(実はオンボロバス)に乗って病院にいくはめになった。そんなこともあったが,この共同研究では中国側研究者に大変お世話になった。