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ホルモン様化学物質と健康

研究プロジェクトの紹介(平成9年度開始特別研究)

米元 純三

 最近,環境ホルモン物質や内分泌撹乱物質という言葉をよく聞くようになったことに気づかれていると思う。昨年3月に米国で出版された“Our stolen future"(奪われた未来)が,ベストセラーとなり,欧米で大きな社会的関心を呼んだことがそのきっかけとなっている。この本は,ホルモン様化学物質が野生生物や人の生殖や発育の異常,がんなどを引き起こしている可能性を指摘し,科学的研究と早急な対策を講ずるよう警鐘を鳴らしたものである。

 ホルモンは我々の身体の恒常性を維持する上で大きな役割を果たしている。特に発生の過程は高度に統合された過程であり,ホルモンバランスの乱れは重大な結果をもたらす。

 鳥類などの野生生物の生殖異常の観察から,DDTをはじめとする有機塩素系農薬やPCBに女性ホルモン(エストロジェン)様の作用のあることがわかり,環境エストロジェンと呼ばれるようになった。これらの化学物質は,脂溶性が高く難分解性のため,食物連鎖を通して生体内に蓄積され,特に食物連鎖の上位にいる鳥類や海棲のほ乳類には高度に蓄積されている。その後,エストロジェン様の作用だけでなく,逆にこれを抑制したり,またDDTの代謝産物のp,p’-DDEのように男性ホルモンの作用を阻害する物質もみつかり,ホルモン様の作用をしたり,抑制したりする物質ということから環境ホルモンという言葉も使われるようになった。現在では生体の恒常性,生殖,発生あるいは行動に関与するところの生体内ホルモンの合成,分泌,体内輸送,結合,ホルモン作用そのもの,あるいはその除去,などを阻害する外来性の物質ということで,内分泌撹乱物質という言葉を用いることが一般的となってきている。

 現在までのところ内分泌撹乱物質(ホルモン様化学物質)として70種類以上の化学物質がリストされている。それらの中には,DDTをはじめとする有機塩素系の農薬や代表的な環境汚染物質であるPCB,ダイオキシン類などが含まれる。界面活性剤の分解物であるアルキルフェノール類,プラスティックに添加されているフタル酸エステルやノニルフェノール,ポリカーボネイト系プラスティックの分解物のビスフェノールAにもエストロジェン作用が認められている。これらは,プラスティック容器を電子レンジで加熱したときに溶出することが指摘されている。研究が進むにつれて内分泌撹乱物質はさらに増えることが予想される。

 これまで野生生物では様々な種で生殖・発生異常が報告され,ホルモン様化学物質との関連が疑われている。巻き貝のメスの生殖器の雄性化(インポセックス),魚類では,オスの脱雄性化,メスの雄性化,は虫類ではワニの生殖器の異常,オスの脱雄性化,鳥類ではハゲワシやアジサシの孵化不全,カモメのオスの女性化,卵殻の薄化,ほ乳類ではフロリダパンサーの停留睾丸,海棲のほ乳類では生殖器の異常,個体数の減少,免疫力の低下,などが報告されている。

 最近,海棲のほ乳類を多食する高緯度地方の人々の男の子どもの性器の発育不全や,出生時身長と母乳中の有機塩素化合物の濃度との間に負の相関が認められたとする報告がなされた。また,同時に免疫系にも変化がみられた。このように野生生物にみられた生殖・発生影響が,環境汚染により高濃度暴露を受けているヒトの集団でも現実のものとなりつつある。先進国においても,精子数の減少,精巣腫瘍の増加,乳ガンの増加,子宮内膜症の増加などが報告され,環境中の内分泌撹乱物質との関連が疑われている。

 難分解性,蓄積性の有機塩素化合物に代表される内分泌撹乱物質の主な摂取源は魚である。また,ダイオキシン類はゴミ焼却が発生源の大きな割合を占める。魚食が多く,世界のゴミ焼却場の7割が集中する日本に暮らす日本人にとって,ホルモン様化学物質の健康影響は大いに気になる問題である。また,暴露量の点からいえば,母乳を飲んでいる乳児が一番リスクが高い。母乳は,難分解性の有機塩素化合物の一番の排泄ルートであり,ダイオキシンを例にとると,乳児は体重あたり成人の30倍程度の摂取をしている。期間は短いが,脳などはまだ発達中であり,感受性が高いと考えられることからその影響が懸念されている。

 以上,述べてきたように,野生生物における生殖・発生影響にホルモン様化学物質が関与しているという状況証拠が多数あること,これらの生殖・発生影響が実験動物においてホルモン様化学物質によってひきおこされること,鳥類やほ乳類では性決定,性分化,ホルモン作用にヒトと共通性があること,ヒトでも妊娠中に合成エストロジェンのDES(ジエチルスチルベストロール)を服用した場合,生まれてきた子に生殖器の異常や生殖器のがんが発生したこと,などから,野生生物でみられている生殖・発生影響がヒトでもおきる可能性は十分あると考えられる。生殖への影響,次世代への影響は種の存続に関わる問題であり,これらの影響のリスク評価は,重要かつ緊急に対処すべき課題であると考えられる。

 このような背景を踏まえて,「環境中の‘ホルモン様化学物質’の生殖・発生影響に関する研究」と題する特別研究を,平成9年度から3年計画で行うこととなった。この特別研究では,大きく2つの研究課題を設定している。

 第一は「定量的リスク評価のための環境ホルモン様化学物質の生殖・発生影響に関する実験的研究」で,動物実験によって,ホルモン様化学物質の生殖・発生影響の用量−影響関係を明らかにする。また,ホルモン様化学物質の作用の機序を明らかにするために,ホルモンレセプターとの相互作用の研究を行う。

 環境ホルモン様化学物質の生殖影響及びその機構を明らかにするためには生殖機能への影響,生殖機能の発生過程への影響それぞれについて明らかにする必要がある。すなわち,前者への影響としては精子形成の減少,子宮内膜症を念頭において,成獣の性ホルモン,精子数,精子運動能,性周期,サイトカインへの影響を検討する。生殖機能の発生過程は感受性が高く,不可逆的な影響を引き起こすことから特に重要である。妊娠中に暴露を受けた子の性分化,性行動を含めた生殖機能への影響を検討する。生殖機能以外の発生影響としては,免疫機能,甲状腺機能への影響に注目したい。

 また,ホルモン様化学物質はホルモンレセプターと結合することによってその作用を発現すると考えられている。したがって,ホルモン様化学物質のホルモン活性やその作用メカニズムを知るためにはレセプターとの相互作用を調べ,レセプターを介して実際に作用が及ぼされるかどうかを検討する。対象物質としてはダイオキシン類,アルキルフェノール類,フタル酸エステルなどをとりあげる予定である。

 第二は「環境中のホルモン様化学物質のスクリーニング手法及び暴露量の推定に関する研究」で,環境中のホルモン様化学物質への暴露の全体像を把握するために,未知の環境ホルモン様化学物質を検索するためのスクリーニング手法に関する検討及びリスク評価のための高感度分析法を用いた暴露量の推定を行う。環境ホルモン様化学物質としては,これまでエストロジェン作用を中心に検索されてきたが,アンドロジェン(男性ホルモン)様作用を持つ物質についても検索を行う予定である。

 この特別研究は3年間であるので,人と情報のネットワークを活用して,効率よく研究を進めたいと考えている。

(よねもと じゅんぞう,地域環境研究グループ 化学物質健康リスク評価研究チーム総合研究官)