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化学環境のイメ−ジ

論評

相馬 光之

 あまりに名前にとらわれることは愚かである。とはいえ名は体を表す程ではないにしろ,また,いつも制約的な作用のみを持ち主におよぼすわけではなくとも,名前が重要であるには違いない。国立公害研究所が国立環境研究所に改組されたときに化学環境部は生まれた。英語名(Environmental Chemistry Division)を直訳すれば環境化学部という。なぜ英語名通りではなく現在の部名に決着したのか,くわしいいきさつは知らないが,Chemosphereという名の論文誌のイメ−ジが意識されていたものとは思われる。それでは,なぜ,英語名は化学環境部ではなかったのか。英語には,たとえば,元素のおかれた化学(的)環境という表現を目にする。この表現は元素の化学結合状態や,直接の化学結合の形成までには至らなくても元素の化学的性質に影響を与えるような相互作用をおよぼす周囲の物質条件をさしていると解釈できる。これは私達が対象とする環境に対しては,微視的なイメ−ジにすぎると当時には感じたものである。しかし,近代の化学は,物質の原子,分子レベルでの挙動を解明しようとするところに成り立っていて,環境は,化学的に定義されるという意味での化学物質で満たされているのだから,化学環境という言葉こそ,化学と環境の根っこにある関係を表していると,今の私は考えるようになっている。そうすると化学環境部は,環境の化学像(物質像)を明らかにする研究を行うところというのが本来の意味といって良いであろう。広すぎる定義と驚くなかれ,化学環境部の出自のひとつ,旧計測技術部の英語名は化学および物理の部(Chemistry and Physics Division)であったのだから。

 環境は自分を除く周囲として意識されるから,それには個のイメ−ジがつきまとうが,化学環境というと,物質組成が中心となるだけ個をはなれた“場” という感じが強くなる。環境における個のイメ−ジから脱却した場の概念の大切なことを,場の研究所所長の清水博さんは説かれている。化学的な場としての地球を研究する分野には,地球化学がある。環境の研究の特徴は,この場を生存の場としてとらえるところにあると思われる。もちろんこれに対応して,生物地球化学があって,生物に必須な元素の地球化学的挙動などはその典型的な主題となっているが,細かな分野の区別などは無用であろう。化学環境部の研究が生存の場としての化学環境に,新たな物質像を加えたり,重要な過程を見つけたり,それらの研究のための新しい方法論をつけ加えたりするものでありたいと考えている。

 R.カ−ソンの『沈黙の春』が出版された当時(1962年),沈黙の春の主役である有機塩素化合物の,自然を起源とする存在はほとんど知られていなかった。自然界になじみのないことが DDT などの合成有機塩素化合物の環境での残留性を高めているという考えは今も続いている。海にはあんなに塩素があるのに,と考えた人は正解で,海の生物がつくる有機ハロゲン化合物は1961年までには報告例がないが,1973年までには50,1983年では700,1992年には1500例を数えるに至っているという。面白いのは,これらの多くが化学 的防御の役割,たとえば,捕食を妨げる作用を持っているらしいということである。中には,強い殺虫作用を持つ物質も見つかっている。DDT の殺虫作用が発見されてから半 世紀以上が経過している。この間に発見者へのノーベル賞の授与, DDT をはじめとする合成有機塩素化合物の大量使用(私もいがぐり頭を DDT で真っ白にされた世代である),沈黙の春に気付いた国による製造,使用の禁止措置,アメリカではそれに伴う野鳥の卵の孵化率の著しい回復,などがあった。この時の流れの中に人知の偉大さを見るのだろうか。それとも限界を見るのだろうか。有機塩素化合物のたどった歴史を思うとなにか悲哀に似た感慨もわいてくる。私達の環境の物質像はまだまだ不完全なものである。とくに物質の環境における役割相互の関係については,多くが今後の解明に残されている。化学にとってやりがいのある仕事である。

(そうま みつゆき,化学環境部長)

執筆者プロフィール:

東京大学理学部化学科卒,理学博士
〈現在の研究テーマ〉環境の界面化学
〈趣味〉散歩,所内ではじいさんの散歩といわれているらしい