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植物との語らい

研究ノート

梅津 豊司

 花の良い香りを嗅ぐと心が和み,あるいは森林の中でウッディな香りのする空気を吸うと心身がリフレッシュされたような心地になる。このような経験を持つ方々は少なくないであろう。確かに香りは我々の心の状態を変化させるが,香りの効果は,果たして「嗅覚」という感覚を通じてのみもたらされるものであろうか。

 植物の香りは,主に植物に含まれる精油成分(主成分はテルペン類)に由来する。ガス状化学物質を吸入した場合に生じる事柄は,嗅粘膜や気道に分布する感覚受容器を刺激することと,それが肺の奥深く(肺胞)に至ることであり,物質によっては肺胞において血液中に溶け込むことも起こる。そして血液に溶け込んだ物質は血流に乗って全身を巡り,各臓器に作用を及ぼすこともある。例えば吸入麻酔薬は常温常圧で気体となるが,このガスを吸わせることにより麻酔状態に導く。吸入麻酔薬には独特の匂いがあるが,麻酔作用はその匂いによるのではない。吸入されたガスが肺胞において血液中に取り込まれ,それが中枢神経系に到達すると,そこにある神経細胞に作用してその活動を抑制させる。麻酔作用は,吸入した化学物質が中枢神経系にある神経細胞の活動を抑制する結果生じるものである。このような例から考えると,植物に含まれる精油成分が心(脳)に及ぼす作用は,その匂い(嗅覚刺激)を通じてばかりでなく,肺に吸入されたそれらの物質が血液中に取り込まれ脳に至り,それらが神経細胞に作用する結果による部分もあるのではないかと思われるのである。

 私は,ネズミを用いた動物実験で,不安を解消し緊張を緩和する作用を持つ植物精油を探してきた。実験方法の詳細についてはここでは触れないが,精油を体内に注射投与して現れる作用を検討したので,その効果は匂い(嗅覚刺激)に由来するのではない。バラ,オレンジ,イランイラン,カモミル,ラベンダー,サイプレス,ジャスミン,ユーカリ,ジュニパー,フランキンセンス,ゼラニウム,リンデン等から採取された精油の作用を観察したが,これらの中でバラの花の精油が明確な抗不安作用を示した。従ってバラの花の成分が体内に入ると,心が安らぎ緊張が消失する作用が現れると思われる。

 視点を変えて,脳を刺激し,疲労感や眠気を払拭し快活にさせる作用のある植物精油はないものかと考え,ネズミの運動活性に及ぼす精油の作用も検討した。一般に中枢興奮薬はネズミの運動活性を増加させる。その結果,ペパーミントの精油を注射投与すると,ネズミの運動活性が著しく増加することが判明した(図)。ネズミに投与したペパーミント・オイルをGC−MSにより分析した結果,ガスクロ上で14の大きなピークが見られ,マススペクトルよりそれぞれのピークの化学物質が何か,同定した。その各物質を上記と同様にネズミに投与したところ,メントール,メントン,イソメントン,プレゴン,メンチルアセテート及びシネオールに明確な運動活性増加作用が見いだされた(図)。従って,これらの物質に中枢興奮作用があり,ペパーミント・オイルの作用はこれらの物質の複合作用によると考えられる。以上の事実は,植物精油が体内に入ると脳(心)に作用を及ぼし,行動に変化をもたらすことを明確に示している。

 植物はその色や形(つまり視覚)や匂い(嗅覚)を介して,我々の心に様々な感情を生起させることは周知の通りである。これゆえ,我々は部屋に花を飾ったり町に木を植えたり,または自ら高原や森に赴く。しかしながら,植物は感覚を介してのみではなく,化学物質を通じて我々の心(脳)に直接語りかけてくる,そのような機構もあるように思われる。このように考えると,我々人類と植物との関係は極めて深いものであると,改めて痛感させられる。

運動活性(カウント/2時間)の図 (A)ペパーミント・オイル(B)メントール

(うめづ とよし,環境健康部保健指標研究室)

執筆者プロフィール:

群馬大学大学院医学研究科修了医学博士
専門:行動薬理学・毒性学
〈メッセージ〉21世紀は「環境」と「脳」の世紀とかたく信じて,研究を行っています。