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デファレンシャルGPSを活用した湖沼調査法−尾瀬沼における事例−

研究ノート

矢部 徹

 GPS(Global Positioning System)は航空機や船舶などの航法支援用として米国が開発した衛星測位システムである。GPSは地上約20,200kmを周回する24個のGPS衛星,GPS衛星の制御局,測位を行うための利用者の受信機から構成される。GPS測位では通常4個以上の衛星からの距離を同時に知ることにより自分の位置を決定する。衛星からの測距にはランダムコード方式と搬送波方式がある。前者は衛星と受信機で同時に発した擬似ランダムコードの到着のズレを電波の伝送時間測定に利用して利用者局GPS受信機と衛星間の測距を行う。後者は搬送波の位相差を利用して測距する。

 GPSはカーナビゲーションシステムの普及に伴い一般にも知られるようになった。現在ではランダムコード型受信機の小型化,低価格化が進み,家電量販店やアウトドアショップで数万円から入手できる。しかし受信機の単独利用時のGPSの精度はおおむね40〜100mであるため,対象物が小さい場合精度の向上が要求される。ランダムコード型測位の精度をあげる方法としてデファレンシャルGPS(DGPS)が注目されている。

 DGPSには測位位置補正と擬似距離補正方式がある。前者は,既知の場所に配置された基準局(固定局)での測位結果から補正値を算出し,利用者局(移動局)の単独測位結果に補正分を適用するものである。コストも安く簡便ではあるが,基準局と利用者局双方で全く同じ組み合わせのGPS衛星を利用して測位していなければならない。後者は,基準局の既知の位置と衛星から送られる衛星位置情報から算出したいわゆる「正しい擬似距離」と,基準局においてコードの伝送時間から算出した「擬似距離」を比較することによって補正値を算出し,利用者局で測定された擬似距離にこの補正値を適用して測位を行う。この方法ならば基準局で観測した衛星であれば利用者局ではどの衛星を用いて測位してもよい。

 われわれの研究室では中規模湖沼である尾瀬沼での水生植物分布調査に取り組んでいる。尾瀬沼には1980年に帰化植物であるコカナダモが侵入しており,その後国内他水域と同様に爆発的な分布の拡大が確認されている。湖沼での植生調査を行うにあたって第一の難題は,小・中規模の湖沼,池沼,ため池には調査の基本となるべき湖盆図がない,ということである。多くの観光客が訪れる尾瀬沼といえども,出所のはっきりした湖盆図,ということになると陸水学の開祖ともいうべき田中阿歌麿が1905年に作成して以来見あたらなかったのである。第二は,調査船が小さければ小さいほどその固定は困難で,位置決めも難しいことである。尾瀬沼はその立地状況ゆえに大型機材や大型調査船の搬入もできない。このような制約下で湖盆図作成と植生調査を同時にこなすために,われわれは小さな手漕ぎボートにDGPS受信機を搭載し,巻き尺で測深を,小型音響測深機で沈水植物の群落高を,低照度型CCDカメラで種組成を調査することを試みた。調査終了後に基準局データを入手し,デファレンシャル補正を行った。

 以上のような調査の結果,水生植物の分布変遷の検討に耐えうる湖盆図(図1)および植生図(図2)が作成できた。これらを従来の植生調査結果と比較し,約10年間の植生変遷も明らかにした。その結果湖岸の一部でコカナダモの衰退現象が始まっていること,一方で,在来種の回復はまだみられないこと,したがって予断を許すことはできないことが確認された。最も重要なことは,従来の植生調査では必須であった位置決め用ブイやライントランセクトの設置を必要としないために調査の効率化が著しく進み,モニタリングの継続性が高まったことである。本調査によってDGPSによる測位が湖沼調査にきわめて有効な技術であることが明らかになった。

 さて,DGPS固定局は数百万円といまだ高価な機器である。DGPS対応の利用者局のみで高精度の測位を行うには,1)国土地理院が全国1200カ所に設置している電子基準点のデータを利用して後処理補正をする,2)調査地が海岸付近であれば海上保安庁が整備するビーコン波を用いて補正する,3)都市部であれば衛星測位情報センターが提供するFM文字多重放送電波を利用して補正する,という3つの方法があげられる。とくに後者2つはリアルタイムデファレンシャルが可能であり,電子地図やオルソ画像と組み合わせることで安価にナビゲーションシステムが構築できるようになる。

水深の分かる図
図1 測深結果から作成した尾瀬沼湖盆図 測地系は日本平面直角座標系9区
植生分布の図
図2 今回作成した尾瀬沼湖盆図と植生分布図 等深線は1m間隔

(やべ とおる,生物圏環境部生態機構研究室)

執筆者プロフィール:

1965年東京生まれ。千葉大学自然科学研究科修了,博士(理学)。千葉大海洋生態系研究センター,島根大学汽水域研究センターをへて淡水湖沼にも着手。<近頃の課題>子供の名前を考えること <趣味>硬式テニス