- 予算区分
- CD 文科-科研費
- 研究課題コード
- 1315CD020
- 開始/終了年度
- 2013~2015年
- キーワード(日本語)
- 漂着鯨類,時空間分布,保存試料,POPs候補物質,生物濃縮
- キーワード(英語)
- Stranded cetacean, Spatiotemporal variation, Archived specimen, POPs candidates, Bioaccumulation
研究概要
研究の背景
スナメリ(Neophocaena phocaenoides)やネズミイルカ(Phocoena Phocoena)などの沿岸性小型歯鯨類は、依然として個体数の減少が懸念されている。その原因として、生息環境の破壊や漁網による混獲、船舶との衝突などに加え、化学物質の内分泌系撹乱作用による免疫機能の低下や行動異常の可能性も指摘されている(図1)。また、カズハゴンドウ(Peponocephala electra)やマッコウクジラ(Physeter macrocephalus)、シャチ(Orcinus orca)
しかしながら、これらの鯨類がどのように生きそして死ぬかといった、基礎的な生理・生態情報すら極端に不足しており、漂着個体の死因や個体数減少の要因はほとんど解明されていないのが現状である。PCBsやDDTsなどの残留性有機汚染物質(POPs)はその広域汚染と生態毒性が大きな社会問題となり、生産・使用・廃棄はストックホルム条約(POPs条約)等で規制・管理されている(既存POPs)。また、電子・電気製品、繊維製品に難燃化目的で添加される臭素系難燃剤(BFRs)の一部も、POPsと同様の物理化学性や毒性を有することが明らかにされ、新規POPsとして学術的・社会的関心を集め、利用や流通が規制、あるいは規制が検討されている。一方で、これらの既存POPs・新規POPsの規制に伴い、デカブロモジフェニルエタン(DBDPE)やビストリブロモフェノキシエタン(BTBPE)、ジクロレインプラス(DP)などのハロゲン化代替難燃剤、およびリン酸エステル系難燃剤などの非ハロゲン化難燃剤といった代替物質の需要増加が見込まれる。しかしながら、その環境および生態系汚染に関する情報は皆無であり、包括的な分析法の開発と生態系汚染の実態、野生高等動物における蓄積特性の解明が急務である。
海洋生態系の頂点に位置する鯨類は、これらのPOPsやBFRsを体内に高蓄積することが知られており、その健康影響が懸念されている(Tanabe et al., 1994; Colborn and Smolen, 1996)。とくにスナメリ(Neophocaena phocaenoides)やネズミイルカ(Phocoena Phocoena)などの沿岸性鯨類は、ハビタットが沿岸域であることから人間活動や産業活動の影響を受けやすい。欧州ではネズミイルカの脾臓中の濾胞萎縮や甲状腺の形態異常と有機ハロゲン化合物汚染レベルの間に有意な相関が報告されている(Beineke et al., 2005; Dass et al., 2006)。日本国内においても、野生生物のPOPs汚染レベルは減少傾向を示しているにもかかわらず、死亡漂着の報告件数は減少していない。この原因として、BFRsなどのPOPs候補物質や未知汚染物質による毒性寄与が経年的に上昇した可能性が考えられる。このように鯨類の個体数減少に対する化学汚染の関与が示唆されているにも関わらず、その毒性影響を詳細に解析し、リスクを評価した研究はほとんどない。とくに、化学物質による汚染実態を解明し、寄生虫感染など病理学的所見との関連を解析した研究は乏しい。
本研究では、これまでに構築したネットワークとサンプルアーカイブを活用することで、新規環境汚染物質の高等動物への蓄積特性と汚染レベルの地理的・経時的分布を明らかにする。鯨類体内に蓄積する様々な人為起源環境化学物質の汚染実態や蓄積特性を明らかにし、臓器・組織の寄生虫感染症等の病理所見を併せて解析することで、化学汚染が沿岸性鯨類に与える毒性影響を評価する。とくに近年汚染の深刻化が報告されている臭素系難燃剤(BFRs)およびハロゲン化代替難燃剤・リン酸エステル系難燃剤といったPOPs候補物質に着目し、従来問題視されていた残留性有機汚染物質(POPs)と比較することで、その汚染実態や蓄積特性・汚染の経時的変化を特徴づけるとともに、化学物質の相対的毒性寄与プロファイルについて解析する。
鯨類の調査・研究は試料採取が困難なため、死亡漂着の増加や個体数の減少が報告されているにも関わらず、その原因や詳細な個体群動態などについては未解明な点が多い。とくに、瀬戸内海や長崎県大村湾・有明海のスナメリ個体群は総数が少ないために環境破壊や混獲の影響による絶滅が危惧されており、その原因究明は緊急の課題である。本研究は、単に死亡漂着個体の種や個体数情報を記録し、汚染物質の濃度を測定するだけでなく、病理観察から死因を解析し、汚染レベルと比較することで化学汚染が鯨類の健康に与える影響を評価する点に特色がある。すなわち、鯨類の個体数減少や死亡漂着の原因究明という社会的関心の高い課題に注目した、先駆的・挑戦的な研究と位置づけられる。既存の研究は、毒性学的あるいは分析化学的アプローチから、限られた側面のみを報告したものがほとんどであり、実環境中の現象と直接結びつける試みは稀であった。本研究では、実際に死亡漂着した個体の死因と化学汚染との関係を解析する点が非常に独創的であり、成功すれば大量死など特殊な事例を除けば世界初の研究成果となる。また、本研究は最先端の機器分析技術とアーカイブ試料の利点を融合させた分野横断的研究であり、獣医学、毒性学、生態学、水産学といった他分野の研究者と協力することで国際競争力の高い研究成果が得られると確信している。
研究の性格
- 主たるもの:応用科学研究
- 従たるもの:モニタリング・研究基盤整備
全体計画
本研究のゴールは、既存POPsやBFRsなどの新規POPsと同時に、ハロゲン化代替難燃剤・リン酸エステル系難燃剤という新たな環境化学物質(POPs候補物質)に注目し、日本各地で死亡漂着した鯨類の汚染実態と蓄積特性・経年変動について解明することにある。そこでまず、GC-MSおよびLC-MS/MS等の先端分析機器を用いてPOPs候補物質の分析法を開発し、鯨類試料の分析に適用する。また、同一試料の窒素・炭素安定同位体比を測定して、POPs候補物質の生物濃縮特性を明らかにする。分析試料は、これまでに構築したストランディングネットワークを通じて収集するとともに、生物環境試料バンク(es-BANK)に保存されているこれまでに採取された鯨類試料を活用する。 本課題の申請グループがこれまでに構築した鯨類死亡漂着情報ネットワークを活用して、日本各地に死亡漂着した鯨類試料を収集する。山田・田島(国立科博)の研究グループは全国のストランディング情報を集約しており、各地で試料収集・病理解剖を実施している。また、松石(北大)は「ストランディングネットワーク北海道」を主宰、天野(長大)らは大村湾・有明海沿岸で鯨類の漂着個体を収集、四国沿岸では磯部(愛媛大)が調査をおこなっており、この体系的ネットワークを活用して漂着鯨類試料を効率的に収集し、下記の化学分析と試料アーカイブに活用する。
1) POPs候補物質の分析法開発(研究代表者:磯部友彦)
本研究グループはすでに既存POPs(PCBs, DDTs, HCHsなど)および新規POPsの臭素系難燃剤(PBDEs, HBCDs)の分析法を確立しているが(1)、これに加えてPOPs候補物質の代替ハロゲン化難燃剤(BTBPE, DBDPE, DP)およびリン酸エステル系難燃剤(PFR; TEP、TPhP、TnBP、TCDPPなど10種)を分析対象として、鯨類試料に適した分析法を開発・整備する。これらの対象物質の多くは極性化合物のため、LC-MS/MS(液体クロマトグラフ−タンデム型質量分析計)を用いた分析法を確立する。また、国際的な相互検定を実施して、新規POPsやPOPs代替物質の分析機関間の測定精度を確認する。申請者は、これまでの研究でHBCDsの分析法確立など、LC-MS/MSを用いた機器分析手法開発の経験を有しており、本課題の遂行にも支障はない。リン酸エステル難燃剤については、生態系汚染に関する情報が全くなく、本研究で野生高等動物汚染の地理的分布や蓄積特性、経年変動が明らかにできれば、世界初の成果となる。また、これらの物質は比較的極性を持ち分解されやすいために生物濃縮しないと考えられてきたが、最近の研究で一部の物質は生物蓄積性を示し、内分泌かく乱作用を持つことが指摘されており、野生生物やヒトの曝露リスクを理解・解析することが求められる。
2) 新規POPsおよびPOPs候補物質による汚染実態と地理的分布の解明(研究代表者:磯部友彦)
鯨類の漂着個体試料は大村湾・有明海沿岸、瀬戸内海沿岸、北海道沿岸で採集し、現地解剖後、化学分析および病理組織観察を実施する。解剖により得られた各種臓器・組織を化学分析に供試し、PCBs・DDTsなどの既存POPs、ポリ臭素化ジフェニルエーテル(PBDEs)やヘキサブロモシクロドデカン(HBCDs)などの新規POPs、およびハロゲン化代替難燃剤やPFRsなどのPOPs候補物質を分析して、汚染レベルやプロファイルの地理的分布を解明する。
3) 保存試料を用いた、既存POPs、新規POPs、POPs候補物質の蓄積プロファイルの過去復元(研究代表者:磯部友彦)
愛媛大学が所有する生物環境試料バンク(es-BANK)に保存されているこれまでに採取されたスナメリやネズミイルカ試料を化学分析に供試し、過去から現在に至る化学汚染の歴史変遷を復元し、将来にわたる汚染の経時変化を予測する。es-BANKには、過去数十年にわたる鯨類試料が保存されており、本研究ではこれらの試料を活用することで新規環境汚染物質による過去の汚染を解明する。一方で、本研究で採取された漂着鯨類試料はes-BANKに登録・保存されるため、将来的に新たな研究の必要性が生じた際に貴重な試料を提供可能である。
4) 寄生虫・ウィルス感染・腫瘍形成に関与する化学物質の探索と個体数変動に及ぼす影響の評価(研究分担者:山田・田島・松石・天野)
化学分析の結果と各種バイオメトリーと病理所見から、汚染物質の蓄積レベルと鯨類の健康との間の関連を解析する。本研究では死亡漂着個体を研究材料とするため、化学物質による汚染が直接の死因であったかどうか判断できない可能性が考えられる。そのため、数理モデルを構築して年齢や性別などの交絡因子を統計学的に排除し、化学汚染の鯨類への健康影響を評価する方法を開発する。例えば、生体中のPOPs汚染レベルは年齢や性別によって増減することが知られており、個体間の濃度を単純に比較することはできない。本研究では、汚染物質の年齢蓄積や性差、経年変化など蓄積特性の詳細な解析によりこれらの影響を取り除き、汚染レベルと健康状態の関係だけを抽出する。
今年度の研究概要
昨年度に引き続き、鯨類漂着情報ネットワークの充実化とこれを活用した試料収集に努め、その存在が広く一般市民に浸透することを目指す。国立科学博物館やストランディングネットワーク北海道のホームページでは、既に漂着鯨類に関する情報が逐一公開されており、これらの基盤をさらに発展させて社会的な認知度の向上を目指す。ストランディング個体の収集も継続し、国立科学博物館・愛媛大学・長崎大学でそれぞれ解剖調査を実施する。その際に、病理観察、年齢査定や食性・栄養段階の解析、個体群動態・個体数変動調査、死因の推定などを実施して、鯨類の生理・生態に関する基礎情報を蓄積する。大村湾・有明海沿岸、瀬戸内海沿岸、北海道沿岸を中心に、採集した鯨類の漂着個体試料を化学分析に供試し、既存POPs・新規POPsを分析して蓄積レベルの経年変動や生物濃縮性、種間差、年齢・性別による蓄積パターン、汚染の地理的分布について解析する。さらに、ハロゲン化代替難燃剤やPFRsなどのPOPs候補物質の分析法を検討・改良し、新規環境汚染物質による海洋高等動物の汚染実態を解明する。
外部との連携
研究分担者:
山田格 (独立行政法人国立科学博物館動物研究部 グループ長)
役割: ストランディング情報の公開インフラの整備と一般市民向け公開セミナー開催
田島 木綿子 (独立行政法人国立科学博物館動物研究部 支援研究員)
役割: 国立科学博物館収蔵試料の提供および病理解剖による鯨類の死因推定
松石隆 (北海道大学水産科学研究科 ((研究院) 准教授)
役割: 北海道沿岸に漂着した鯨類の試料アーカイブと目視調査による生息数調査
天野雅男 (長崎大学水産・環境科学総合研究科 教授)
役割: 大村湾におけるスナメリの個体群動態の解明
国末達也 (愛媛大学沿岸環境科学研究センター 教授)
役割: 中四国地方のストランディングネットワークの拡充とスペシメンバンク充実化、および研究試料の提供
備考
科研費基盤研究(B) 課題番号:25281008
課題代表者
磯部 友彦
- 環境リスク・健康領域
曝露動態研究室 - 主幹研究員
- 博士(農学)
- 化学,生物学,解剖学