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2014年8月7日

メコン川の水産有用魚種の回遊生態解明:
ダム開発による回遊魚への影響が明らかに

(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配布)

平成26年8月6日(水)
独立行政法人 国立環境研究所
生物・生態系環境研究センター
生態系機能評価研究室 主任研究員
福島 路生
 

   国立環境研究所とウボンラチャタニ大学(タイ)は、メコン川に生息する代表的な水産資源であるコイ科魚類Siamese mud carp(サイアミーズ・マッド・カープ)の回遊生態を明らかにし、本種へ及ぼされるダム開発の影響を定量的に評価しました。
   研究では、タイ、ラオス、カンボジアの3カ国のメコン川流域から採集した本種の耳石に蓄積された様々な元素を化学分析し、主に3つのことを明らかにしました。1)本種が地域ごとに特異的な回遊経路を持ち、群れを成して回遊すること、2)ダムで分断された支流において、すでにその回遊行動が著しく制限されていること、3)ラオスに計画されたドンサホンダムは本種の重要な回遊経路を分断し、メコンの漁業生産に甚大な影響を及ぼす可能性のあること。
   本研究の成果は科学誌PLOS ONE誌オンライン版に2014年8月6日に掲載されました。
   (http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0103722)
 

1.背景

 国際河川メコン川では、最上流の中国にダムが造られてはいるものの、それより下流のメコンデルタに至る本流には、これまで1つのダムもなく連続した長大な自然河川が残されてきました。メコン川は内水面漁獲量(260万トン/年)が世界最大の規模にあり、それを支える魚種の多様度もアマゾン川についで世界で2番目に高い1200種とも推定され、生物生産と生物多様性がともに高い河川です。メコンの極めて高い漁業生産と魚類の多様性は、広い流域(日本の国土面積の2倍)を生活史の中で回遊する、いわゆる回遊魚によって支えられています。

 しかし、メコン川本流とその支流には、電力需要の急増から数十を超えるダムの開発計画があり、地域的な絶滅などを通じて回遊魚の種数や生息域が減少することは避けられないと考えられています。ダムから得られる電力と、反対に失われることになる食糧、生計手段、また文化などの生態系サービスとを、どのように折り合いをつけていくのか、これがメコン流域国また日本をはじめとした開発パートナーにとっての喫緊の課題です。

 この問題を解く鍵として重要なのが、リスクにさらされる生態系サービスの科学的、定量的な評価です。

 本研究が対象としたSiamese mud carp 2種( Henicorhynchus siamensisおよびH. lobatus)は、体長15cmほどの小型のコイ科魚類ですが、両者合わせた漁獲量がメコン川の魚の中で最大(全魚種の>12%)で、経済的にもきわめて重要な水産資源です(写真1)。本種が回遊魚であることは、地元の言い伝えから古くからわかっていましたが、それを裏付ける科学的証拠、また詳しい回遊の実態についてはほとんど知られていません。

写真1. Siamese mud carp 2種.

 本研究では、耳石と呼ばれる骨組織に、魚が生存中に河川水から取り込んだ微量元素を分析するという比較的新しい手法を用い、本種の回遊行動を詳しく調べました。そして、すでに支流に建設されたダムの影響を評価し、さらに本流に建設が決定されたラオス南部のドンサホンダムが本種に与える潜在的影響について予測しました。

2.方法

 メコン流域の河川や湖沼(タイ北部、ソンクラーム川、ガム川、ムン川、トンレサップ湖、メコン川本流)に設けた全部で29の調査地点から計200尾のSiamese mud carpを採集しました(図1)。これらの標本から摘出した耳石、そして調査地点から持ち帰った河川水について、質量分析計を用いて元素分析を行い、回遊経路を推定する上で有効な指標元素の特定を行いました。耳石サンプルはその表面と、切断面の耳石核から外縁までの成長軸に沿ったプロファイル(写真2)の2種類の分析を行いました。定量した陽イオンは、23Na, 24Mg, 44Ca, 55Mn, 63Cu, 66Zn, 88Sr, 138Baで、内部標準に耳石中の44Caを用い、外部標準としてNIST612ガラス標準資料を用いました。  

図1. メコン川の魚類採集地点.
■: Henicorhynchus siamensis. ★: H. lobatus. N = タイ北部, S = ソンクラーム川, G = ガム川, U = ムン川, X = セコン川, T = トンレサップ湖、M = メコン川本流. :ドンサホンダム建設予定地.
写真2. 耳石のプロファイル
耳石断面における元素分析の方向は矢印のとおり.耳石核から外縁までを一定間隔(60μm)で元素分析した.耳石は日々周囲の河川水から様々な元素を取り込んで層状に成長する組織であるため、矢印に沿った元素のプロファイルから、その魚が死ぬまでに暴露された水質の変化を推定することができる.

 河川水と耳石表面の元素濃度の関係は一次回帰分析、また河川水と耳石表面の河川間の元素の違いについては線形判別関数分析によって評価しました。

3.主な成果

①指標元素について

 分析した元素のうち、Na, Zn, Sr, Baについて、魚の耳石表面と採集地点の河川水との間で有意な正の傾きを持つ一次回帰式が得られました。このことは、これらの元素が河川中の濃度に比例して、魚の耳石表面に取り込まれていることを意味します。特にSrとBaに関しては、正の相関が強く、回遊経路を推定する上で有力な指標となることが分かりました。一方で、河川水中のSr, Ba等は河川間(地域間)で大きく異なり、メコン流域で河川水質は一様でないことも分かりました。地域間を回遊した魚の行動を推定する上で重要な前提条件が満たされたといえます。

H. siamensisについて

 採集したSiamese mud carp(H. siamensis)について、耳石に蓄積されたSrとBaの濃度変化(プロファイル)を調べると、次のようなことが分かりました(図2)。

図2.メコン流域の6地域から採取したH. siamensisの耳石についてのSr-Baプロファイル.
△: 耳石核. ○: 耳石外縁. 線の色は個体の違いを表す.数字(165±6など)は、個体の平均体長±標準偏差を示す.地域記号は図1を参照のこと.

(1)地域内では、個体間でプロファイルの形状が似通っており、ほぼすべての個体が同じ環境(場所)で誕生し、群れを形成して同じ経路を回遊していた可能性が高いこと。

(2)しかし地域間では、回遊の経路と規模が大きく異なります。中でもガム川の魚のプロファイルは、比較的大型(>130 mm)の個体であったにも関わらず、SrとBaの濃度はほとんど生存中に変化がなく、グラフの狭い範囲内で完結していました。そして他の地域のプロファイルとも重複しないことが注目されます。この支流にはすでに5基の灌漑用ダムが建設されており、これらの障害物により魚の回遊行動が著しく制限されていること、そして恐らくガム川からメコン本流への回遊はなく、生涯をこの小さな支流(図1)で終えていることが、これらのプロファイルが意味することだと考えられます。

H. lobatusについて

 もう1種のH. lobatusは、現在建設が進行中のドンサホンダム周辺で大量に漁獲される貴重な水産資源です。このダム建設予定地を中心にメコン川本流の約200km区間に調査地点3地点(下流1地点と上流2地点)を設け、本種を採集したところ、
(1)SrとBaのプロファイルが3つの地点間でよく似ている。
(2)特に魚が誕生した環境(場所)のSr-Baの値に地点間で違いがない(p>0.05)。
(3)しかし、死んだ場所(漁師によって漁獲された場所)のSr-Ba値は、それぞれの地点の水質を反映して異なること(p<0.05)が示されました(図3)。

図3. ドンサホンダム建設予定地の下流(M2)と上流(M3, M4)から採集したH. lobatusの耳石のSr-Baプロファイル.
すべての標本は2010年6月に採取された.地点記号は図1を参照のこと.

 このことは、これら3地点で捕獲されたSiamese mud carpが、やはり同じ場所で誕生(孵化)し、その後、ダム建設予定地を通過して上流(または下流)に分散していることを示唆します。本種の遺伝的多様性を調べた先行研究(Hurwood et al. 2008)によると、上流に向かうにつれて本種の遺伝的多様度は増しており、これは下流から上流へ遡って分散回遊する可能性の高いことを示します。であるならば、ドンサホンダムは本種の個体群に確実に、甚大な影響を及ぼすことになります。他の回遊魚への影響も合わせて考えると、この地域の漁業また経済全般をも揺るがしかねない大きな問題を抱えたダム開発であることが明らかになりました。

4.今後の展望

 メコン川をはじめ国際河川のダム開発がもたらす問題は、近隣の国にまでその環境また社会影響が波及するという意味で、利害の対立が起こりやすく、納得のいく解決策が得られることはまずありません。特に開発途上国のダム開発では、ダム建設推進派の主張は通りやすく、地元漁民や環境保護団体など反対派の主張は、最終的な意思決定の局面で取り入れられることは滅多にありません。その理由は、ダムを建設して「本当に魚は減るのか?」「漁業に、そして人々の暮らしに影響はでるのか?」という問いに、確信の持てる答えを出すことがきわめて困難であるからです。本研究は、この問題にある一定の科学的根拠をもって回答を出すことに成功したと言えます。

 今後は、1)対象魚を増やす、2)Srの安定同位体を指標とした新たな手法を取り入れて推定精度を高める、3)発信機や標識放流など従来からの手法を併用するなど、メコンの回遊魚の生態をより詳細に調べるという研究展開が考えられます。また一方で、ダムを建設し回遊魚へ影響が出たとしても、ダム建設で新たにつくられるダム貯水池(広大な生態系)を利用して、養殖によって漁業生産を取り戻せばよいといった楽観的な考えが、ダム推進派によって提起されることから、それが本当に正しい仮説かどうかを検証する必要もあります。

5.問い合わせ先

【研究に関すること】
 独立行政法人 国立環境研究所 生物・生態系環境研究センター 主任研究員
 福島 路生(ふくしま みちお)
 電話:029-850-2427
  E-mail: michio(末尾に@nies.go.jpをつけてください)

6.発表論文

Fukushima M., Jutagate T., Grudpan C., Phomikong P., Nohara S. (2014). Potential effects of hydroelectric dam development in the Mekong River basin on the migration of Siamese mud carp (Henicorhynchus siamensis and H. lobatus) elucidated by otolith microchemistry. PLoS ONE doi:10.1371/journal.pone.0103722

7. 共同研究機関

Ubon Ratchathani University (Thailand)

8. 研究助成

本研究は国立環境研究所流域圏生態系研究プログラム、三井物産環境研究助成(R08-B034)、Royal Golden Jubilee Program of the Thailand Research Fund (Ph.D./0236/2551)、および環境省・環境研究総合推進費(課題番号:4D-1202)により行われました。

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