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湿地生態系の研究をめぐって

 湿地は生物の宝庫といわれていますが,一度破壊されるとなかなか元には戻りにくい非常に脆弱な生態系です。鳥類の生息地や越冬地としてだけでなく,淡水,汽水,海水などさまざまな環境の中で多くの生物が育まれています。とくに干潟は明治以来60%以上が消失してしまいましたが,残る干潟の保全,さらにはよりよい再生をめざした対応が求められています。

湿地の写真

世界では

 湿地は世界中の水域と陸域の交わるところに多く存在し,水鳥や野鳥の生態の研究は19世紀からたくさん行われてきました。近年では1970年代に湿地保護の気運が高まる中で,米国の環境保護局や野生生物庁などが湿地インベントリーを作る目的で評価手法の開発が始まりました。

 1980年に米国・野生生物庁で開発されたHEP(Habitat Evaluation Procedure)は,一定の条件で選んだ種の理想的な生息環境に比べ,調査する湿地がどのような状態かを指標化し定量的に評価する手法です。1981年には温暖な小河川の生物群集機能を評価するIBI(Index of Biotic Integrity)がワシントン州立大学のカール教授によって開発されました。そして1987年には米国陸軍工兵隊により湿地の機能を評価するWET(Wetland Evaluation Technique)が,さらに総合的広域的な観点から湿地の機能を評価するHGMモデルが開発・利用されてきました。

 また欧州ではHGM評価手法を欧州の湿地に応じて改良した PROTOWET(Procedural operationalisation of techniques for the functional analysis of European wetland ecosystems)が開発されています。

 一方干潟は干満差が大きく,きわめて緩やかな海岸にしか発達しないため,世界的にみると限られた地域に存在しています。このため,干潟の重要性が認識されず,湿地研究や海洋研究に比べて遅れていました。1929年にイギリスで行われた潮間帯の動物相の分布研究が初期の研究として知られています。その後も干拓で有名なオランダで,北海につながるワッデン海での研究が行われたことはあります。しかし,干潟の役割について生態系の定量的な測定方法が確立していないため,生態系評価の研究自体,あまり進んでいません。前出のHGMモデルでも感潮域である潮汐湿地は農業や宅地に不適な土地とみなされ,評価の事例も少ない状況です。

日本では

 日本国内では各地に干潟が存在し,古代から貝類など漁業資源の活用が行われてきました。戦後の高度成長時代に「公有水面埋立法」が根拠となって次々と埋め立てられましたが,環境保全の観点からは当時は大きな問題としては認識されていませんでした。

 日本で行われた本格的な干潟調査は,環境庁(当時)の第2回自然環境基礎調査(1978~79年)からです。それによると,1945年以前は全国に存在していた82,621haの干潟が1979年には53,856haと約35%も消滅していました。埋立ては1970年前後の公害国会の時代を境に,環境保全の動きとともに急速に減っていきます。自然環境保全のために埋立てを規制する「瀬戸内海環境保全臨時措置法」は,そんな時代に成立したもので,干潟を含む海岸域の保全が初めて明記された画期的な法律でした。その後残っている干潟自体が少ないこともあり,埋立ての勢いは以前ほどではなくなりました。しかし,近年でも諫早湾,藤前,三番瀬など沿岸環境を大幅に改変する埋立て,開発計画が持ち上がるなど,沿岸海域の生態系・自然環境は危機的状況から抜け出てはいません。

 一方,1994年に「環境基本計画」が閣議決定され,1997年に「環境影響評価法」が成立し,2002年の「新・生物多様性国家戦略」や「自然再生促進法」など生態系保全への取組みが大きく前進しました。

 全国51カ所で藻場干潟等の保全再生事業が実施されるなど,今や沿岸環境の再生という時代に入っています。人工干潟に関して「アサリ増殖場造成事業(農林水産省)」,「港湾環境創造事業(国土交通省港湾局)」,「自然を活用した水環境改善実証事業(環境省水環境部)」などを実施し,造成された干潟は2002年までで2,100haに及び,さらに今後も1,400haの干潟生態系の再生が計画されています。人工干潟が自然の干潟に近づいたかどうかを定量的に評価するために,JHGM評価手法の重要性が認識されることでしょう。

 港湾技術研究所(当時)でも1995年から干潟実験施設による実験を始め,大学などでも従来の生物中心の解析から安定同位体を使った物質循環についての研究,浄化機能の見積もりや油汚染による干潟での分解研究など干潟生態系の研究がますます盛んになっています。

国立環境研究所では

 国立環境研究所では,干潟,藻場と続く浅海域全体を研究の対象としてさまざまな研究が行われています。

 1996~2000年には「海域保全のための浅海域における物質循環と水質浄化に関する研究」(環境儀No.3収録)を,また,1998~2002年には今回紹介した「干潟等湿地生態系の管理に関する国際共同研究」を行ってきました。また「有明海等における高レベル栄養塩濃度維持機構に関する研究」や「東京湾での窒素循環に係わる微生物研究」などのように有明海や東京湾などの浅海域の調査研究も行っています。

 干潟には,生物が生息する重要な生態系を維持する機能があるばかりでなく海水の浄化や潮干狩りなどのレクリエーションなどさまざまなサービス機能があります。それらの干潟生態系の機能を再生させ,よりよい環境を取り戻すには,人工的湿地を含めた干潟・湿地の再生・創造が不可欠です。

 しかし,自然のメカニズムを無視した再生・創造では持続可能な生態系を確保できません。そのため,より自然に近い干潟・湿地生態系の自然再生実験等によって自然のメカニズムを学び,干潟・湿地生態系の再生および管理・事業評価を実施する必要があります。自然再生事業に先立って理念・シナリオの形成を行い,野外調査および再生実験等から基礎的知見を得て,持続可能な湿地生態系の再生技術の検討を行うと同時に,再生評価手法を開発することが今緊急に求められています。

 そこで,2003年から「湿地生態系の自然再生技術評価に関する研究」(平成15~17年度)を開始しました。