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講演3「『世界の屋根』チベット高原から地球温暖化を考える−草原はどのくらい炭素を蓄積しているか−」

東京・京都会場でのアンケートに寄せられた質問に、講演者(唐 艶鴻)が回答します。
多数のご質問をいただきましたが、似た内容の質問をまとめるなど主催者側で整理しましたことをご了承下さい。


(土壌炭素蓄積の基礎について)

Q1:  草原では、どのように土壌に蓄積されていくのでしょうか?

A1:  大気中のCO2は植物の光合成によって吸収されます。吸収されたCO2は植物体を形作る有機炭素となり、やがて植物に由来する土壌中の有機炭素として蓄積されます(Q2の回答参照)。一方、植物の呼吸や土壌有機物の微生物による分解によって、有機炭素はCO2となって放出され、再び大気中に戻ります。植物による有機炭素の生成速度が有機炭素の分解速度より大きいと、土壌中に有機炭素が溜まります。すべての生態系(森林、草原、農地など)で、同様なメカニズムで大気との間で CO2とのやりとりがおこっています。


Q2:  土壌中の有機炭素は、どのようなかたちで貯えられているのでしょうか?

A2:  土壌中の有機炭素は、土壌中の生き物(動物、植物、微生物など)、生き物が放出する有機物(動物の排泄物質、植物や微生物の分泌物質など)、 生き物の死体とその分解途中の物質の形で存在しています。
  土壌有機炭素は腐植物質と非腐植物質に分けて考えられることもできます。非腐植物質は、生き物の構成成分と生き物の生産物です。なお、これらの有機炭素は、セロロースなどの多糖類、タンパク質、脂質、ペプチドと有機酸などのほか、有機物の分解の途中で、さまざまな分子を含んで存在しています。


Q3:  炭素が蓄積されるのは地下どのぐらいの深さの所なのでしょうか?

A3:  有機炭素は、地下数センチから数十メールまでの範囲にあり、多くの植生では、地面から50センチか1メートルの範囲に多く存在すると考えられます。
  最近の研究では、地球全体で、地下3メートルまでの土壌中の有機炭素は約2兆トンで、そのうちの56%が地面から1メートルでのところにあることがわかっています。なお、私たちの調査地であるチベット高原の草原では、土壌層は50センチ程度で、有機炭素の多くは地表面から30センチほどの層のなかにあります。


Q4:  草原での炭素蓄積量に上限はありますか?  チベット草原の炭素の蓄積量は上限に達しているのでしょうか?

A4:  草原(他の植生も同じですが)では、植物の光合成による炭素吸収速度が植物の呼吸や微生物の分解による炭素放出速度より大きいかぎり、炭素が蓄積していきます。しかし、土壌の有機物量が増えるとともに、炭素の放出速度が高くなります。有機物を分解する微生物にとっての餌が増えるからです。生態系の炭素吸収速度と放出速度が同じなったところで、炭素の蓄積は止まります。私たちが研究しているチベット草原では、まだ土壌中の炭素の量は上限に達していない可能性が高そうです。過去5年間の炭素の出入りを測定した結果では、炭素が蓄積し続けているというデータが得られています。


Q5:  土壌中に蓄積された炭素はどこへ行くのでしょう?

A5:  土壌中に有機物として蓄積された炭素は、微生物の働きなどにより、少しずつCO2などのガスとして大気中に放出されます。植物が光合成で有機物を作る速度と、有機物が分解される速度とのバランスで、 蓄積される炭素の量が決ります。


Q6:  公園の芝生や荒地の雑草も炭素が蓄積できるのでしょうか?

A6:  公園の芝も、さまざまな雑草も光合成をしますから、それらが生えている場所では炭素が蓄積していきます。ただし、日本の気候条件では有機物の分解速度が速いので、土壌中への炭素の蓄積速度は、チベット高原の草原よりは遅いのではないかと考えられます。


Q7:  森林と比較して、草原の方が土壌中の炭素の蓄積が多くなるのはなぜですか?

A7:  草原が形成されるのは、寒さや乾燥で高木が生育できないところです。そのような環境では、土のなかの有機物の分解はゆっくりとしか進まないため、炭素の蓄積量が大きくなると考えられます。ですから、今森林が存在しているところで木を切って草原にすると炭素がたくさん溜まるようになる、 というわけではありません。


Q8:  チベット高原の草原は日本の高山湿原と同じメカニズムで炭素蓄積が進んでいるのでしょうか?

A8:  基本的には同じです。上記のQ1の答えをご覧ください。ただし、湿原の場合土壌酸素が足りないため、有機炭素がメタンとして放出される割合が高くなります。


Q9:  チベット高原の草原には、どのくらいの炭素が蓄積されているのでしょうか?

A9:  陸域の土壌炭素は地球全体で約2兆トン、このうちチベット高原の土壌中の炭素は、85〜320億トンと、陸域全体の炭素蓄積量の0.4〜1.6%にあたると考えられています。また、チベット草原を含むアジア草原全体の炭素蓄積量について、正確な推定値がありませんが、 およそ陸域全体の数パーセント程度になると推定されます。


(炭素収支の研究方法について)

Q10:  温帯草原での長期間の炭素蓄積を再現するモデルはありますか?

A10:  たとえば、アメリカの研究者より開発されたCENTURYというモデルがあります。このモデルでは、気象条件、草原タイプ、CO2濃度などの条件を入力すると、 長期間の土壌有機炭素の変化のシミュレーション計算ができます。


Q11:  草原のCO2収支はどれくらい前から研究されているのでしょうか?

A11:  草原の炭素収支に関する研究は数十年前から行なわれています。炭素収支に関わる基本的なプロセスはかなりよくわかっていますが、量的に正確なデータはあまりありません。今後の研究が必要です。


Q12:  炭素の収支を計算するとき、家畜の糞尿などは配慮しましたか?

A12:  ある範囲の生態系(ある面積の森林・草原・農地・沙漠など)の炭素の収支は、その範囲内のすべての炭素吸収量(収入)と放出量(支出)の差で決まります。けれども、今回の講演でご紹介したのは、炭素の出入りのプロセス一つ一つを調べて、足し算した結果ではありません。生態系全体のCO2の出入りをまとめて直接測定する渦相関法という方法の結果です。この方法では、観測機器を中心にしたある面積内での草原と大気間のCO2の正味交換量を 求めることができます。したがって、家畜や野生動物の採食、呼吸、排泄などの 効果も全部こみにして測定していることになります。


Q13:  草原を3種類に分類していたが、もっと細かく分類しなくてよいのでしょうか?

A13:  発表では詳細な説明をしませんでしたが、多くの場合、チベット高原の草原は17種類に分類されています。さらに細分することもあります。 推定の精度を上げるため、もっと細かく分類する必要があります。


(土壌炭素蓄積に関連するさまざまな環境要因について)

Q14:  砂漠化がおこると、土壌に蓄積した炭素はどうなるのでしょうか?

A14:  草原の砂漠化が進むと、まず、植物によるCO2の吸収量が減るため、土壌中への炭素蓄積速度が低下します。また、土壌動物の侵入や乾燥化などによって、すでに土壌中蓄積されている有機炭素の分解速度が速くなり、完全に砂漠化するまでに、蓄積された炭素のほとんどはCO2として放出されてしまうと予想されています。その放出速度は気象条件や人為的な影響などによって大きく異なると思われます。この点については、さらに研究を進めることが必要です。


Q15:  過放牧によってネズミの被害がどうしておこるのかよく分かりません。 ネズミの被害が生じ、砂漠化が進むのはチベット高原に特有の現象でしょうか?

A15:  過放牧によってネズミも含めた草原動物の種類や量が変わります。これはほとんどの草原で見られる現象です。チベット高原に特有な現象ではありません。過放牧によってネズミが増える理由についてはわかっていないことが多いのですが、いくつかの推測があります。
  たとえば、一部のネズミはイネ科の草ではなく、雑草の地下部を好みます。過放牧すると、家畜がイネ科の草を食べて、その他の雑草が増えるため、それらの植物を食べるネズミなどの動物が増える可能性があります。また、過放牧によって多くの草が家畜に食べられ、草原の草丈が低くなっると、ネズミが配偶者を見つけやすくなるために繁殖率が高くなるともいわれています。


Q16:  過放牧の対策は何かあるのでしょうか?

A16:  現在、いくつかの対策が行なわれています。
  放牧量の削減:遊牧民の生活レベルを落とすことなく放牧量を減らすため、中国では2000年から「生態移民」を実施しています。一部の遊牧民に町や都市への移動を促し、 放牧以外の経済活動に従事させることによって、過放牧を緩和する政策です。
  人工草地の開発:施肥や牧草品種改良などで一部の草原の生産力を向上させることによって、放牧面積を減らすことです。
  自然草原の合理利用:季節や地域に応じて放牧の時期や量を決め細かく調整したり、人工飼料の加工・貯蔵や作物の残渣利用などの技術を改善するなど、 さまざまの工夫をしています。
  家畜の生産効率向上:新しい家畜生産技術を導入し、家畜の飼育方法や種畜の改良などで家畜の生産効率を挙げることによって、家畜の生産量を減らさずに、草原の放牧面積を減らす ことを目指しています。


Q17:  農地化した場合の影響について定量的なデータはありますか?

A17:  私たちはそのようなデータを持っていませんが、さまざまな生態系の炭素蓄積量や炭素収支に関するデータは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書で見ることができます。一般的にいえば、自然植生から農地に変わると、生態系から放出される炭素が多くなるとの指摘があります。ただし、生産性の高い農作物を作ると炭素吸収が増えることもあります。一方、過放牧または沙漠化した場合は、土壌炭素の蓄積が減少していくことが確実です。


Q18:  土壌の炭素蓄積量と土壌の温度とはどのような関係があるのでしょうか?

A18:  一般的に言えば、土壌温度が上がれば有機物の分解が促進され、土壌炭素の蓄積が低下するでしょう。 しかし、自然界では単一な環境要因だけが変わる場合は少なく、たとえば地球の温暖化が進むと土壌温度だけでなく降水量などほかの要因も変化しますので、一概に言えません。


(その他の問題)

Q19:  温暖化が進むと、シベリアのツンドラの炭素蓄積は増加しますか?

A19:  温暖化によってシベリアのツンドラ地帯の草原植生がどのように変化するか、確実な予測はできていないようです。炭素の蓄積量は、温暖化に伴う温度の上昇、降水量の変化、雲量の変化による光の変化などに大きく影響されます。それぞれの要因がどのように変化するか、また、その変化が植物の光合成と呼吸、土壌炭素の分解にどのような影響を及ぼすかについて、詳しく検討する必要があります。


Q20:  発表に使われていた、土壌温度と土壌呼吸の相関図で、2002年から2004年の間で土壌温度が下がっていましたが、これは温暖化と逆行しているのではありませんか?

A20:  現在問題になっている地球温暖化は、数十年から数百年のスケールで世界の平均気温が上昇していく現象です。その間、地球のどこでも、いつの期間でも、つねに温度が上昇しているとは限りません。全体的な温度上昇傾向に加えて、局所的・一時的な温度の変動はつねにあります。
  発表でお示しした、2002年から2004年の間で土壌温度の低下は、あくまでチベット草原の観測地点に限定された現象ですから、地球全体の温暖化とは別の話です。


Q21:  氷に閉じこめられているCO2が、気温上昇で放出されることはありませんか?

A21:  気温の上昇で氷が解ければ、氷に閉じ込められているCO2は放出されるでしょう。ただし、チベット高原の氷に閉じ込められているCO2の量に関する詳しいデータはあまりありませんが、それほど大きな放出量ではないと 思われます。


Q22:  日本のアスファルト化はどれだけのCO2収支に影響しているのでしょうか?

A22:  何と比較して考えるかによります。草地と比べれば、植物の光合成がないために炭素の蓄積は起こりませんが、植生のないむき出しの土壌と比べれば、有機物の分解 による炭素の放出は少なくなるでしょう。