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2020年12月28日

気候変動適応に向けたフィールド研究

特集 自然共生社会構築 生物多様性の危機に対処する
【調査研究日誌】

西廣 淳

熱帯化する沿岸生態系の写真
図1 熱帯化する沿岸生態系。造礁サンゴから温帯性と暖海性の海藻に移行する過程にある(出典:Kumagai et al. 2018 PNAS 115: 8990-8995)。

 気温の上昇や豪雨の増加といった気候変動は次第に深刻化しています。気候変動への対策では、温室効果ガスの排出を減らしてその進行を遅らせる「緩和策」だけでなく、将来の気候やその影響を予測して悪影響を軽減する「適応策」も重要です。効果的な適応策を考えるためには、①すでに生じている気候変動の影響を丁寧な観測より検出すること、②将来の気候予測情報を活用して影響を予測すること、③悪影響を減らすための方策を明らかにすること、のすべてが必要です。国立環境研究所に2018年に設置された気候変動適応センターは、これらの研究を進めつつ、地方自治体での気候変動適応策の策定や実施の支援を行っています。

 気候変動適応センターを構成する4つの研究室の一つである気候変動影響観測・監視研究室では、自然生態系を対象に、気候変動の影響を検出する研究や自然環境を活用した適応策の研究を進めています。私たちの研究では、野外の現場(フィールド)に直接出向き、生物や環境の状態を観察し、数値化するという過程が欠かせません。数値化したデータを活用した解析やシミュレーションは、統計学的手法や計算機の発達で、10年前と比べて驚くほど高度なことができるようになってきました。しかしその元となるデータとして、フィールドワークで得られた情報が重要であることはまったく変わっていません。現場をつぶさに観察しないと重要な変化に気づくことはできないし、その問題解決のヒントも見逃してしまいます。フィールドワークは、研究計画に沿ったデータをとるだけでなく、自然観察者として「経験値」を上げる修行の機会でもあります。ただし様々な生物やそれぞれの地域の歴史や文化に触れることができる、かなり楽しい修行です。

 気候変動影響観測・監視研究室のフィールドは、「海から高山まで」です。海の生態系は、私たちのような「陸上動物」には認識しにくいことですが、実は気候変動の影響が特に顕著です。たとえばサンゴは水温が高い浅い海域に分布するため、温暖化に伴う海水温の上昇で徐々に高緯度地域に分布を拡大しています。しかし海水温の上昇には、サンゴの白化(共生している藻類が減少すること)が生じやすくなるという別の側面もあります。日本近海においても温帯域では海藻優占からサンゴ優占への置き換わり、亜熱帯域ではサンゴの白化・斃死など、顕著な変化が進んでいます(図1)。

北海道大雪山における多様な紅葉景観とその構成種の写真
図2 北海道大雪山における多様な紅葉景観とその構成種。様々な種が様々なスケールで紅葉している。

 これらを調べるための基本的な方法は、「潜水」です。熊谷直喜研究員は四国、九州、沖縄を中心に各地の海に潜り、サンゴや海藻の密度を調べたり、魚類の動画撮影を行ったりしています。海中はあまり遠くを見通せず、また人間にとっては危険な世界なので、潜水の技術や、コンパスをつかったナビゲーションの技術が不可欠です。危険と隣り合わせではありますが、海底の多様な生物から頭上を泳ぐ魚の群れまで「生きものに囲まれる世界」に身を置く経験は、かけがえのないものだそうです。

 植物生態学を専門とする小出大研究員は、陸域、特に山岳地の樹林における気候変動影響を研究しています。温度の上昇は植物の分布や存続可能性だけでなく、生物の季節性にも影響します。すでにソメイヨシノの開花時期の早期化や、落葉広葉樹の葉がついている期間の長期化といった現象が確認されています。小出研究員が特に関心をもっている現象の一つは「紅葉」です。樹木の紅葉のタイミングや色づきは気温と降水量の両方を受け、またその影響の受け方は植物種によっても異なります(図2)。近年の気象条件の下では、紅葉せずに落葉する種も認められています。気候変動は秋の風景を変化させるのです。これは観光などの産業にも影響する問題です。

 研究では、現地に訪問して肉眼による観察調査やドローン等を用いた撮影調査を行うだけでなく、定点カメラで撮影された画像や人工衛星からの画像も活用します。これらの解析から気象条件と紅葉パターンの関係を明らかにし、将来の気象条件の下での紅葉の時期や色づき方を予測する研究を進めています。

 我々の研究室では、気候変動が生態系にもたらす影響の研究だけでなく、生態系を気候変動適応に活用する研究も行っています。その一つが、耕作放棄された水田を湿地にすることで、水害のリスクを軽減する試みとその評価です。大雨が降ったときに湿地に一時的に水を溜めることで、河川に雨水が一気に集まることを防ぎ、川から水を溢れにくくするという役割に注目しています。さらにそのような湿地は、水生昆虫や水草の生息・生育場所となったり、水質浄化機能を発揮したりすることも期待できます。我々は千葉県内の水田地帯で、農家の方や自然保護団体の方の協力の下、実際に耕作放棄水田を湿地にする「実験」を行い、生物や水質、水の流出パターンなどを調べています(図3)。

(左)千葉県印旛沼流域で実施している耕作放棄田を湿地化する作業の写真。(右)湿地化した場所に多様な水生植物が生育している写真。
図3 千葉県印旛沼流域で実施している耕作放棄田を湿地化する作業。右の写真では
湿地化した場所に多様な水生植物が生育している。なお左右の写真で地点は異なる。

 耕作が停止してから40年近くが経過し、草木が生い茂った放棄水田で、地域の方々といっしょにチェーンソーや草刈り機で刈払い、スコップや鍬で畔を直す作業を行います。このような「自然再生」はとても楽しく、充実感があります。参加しているお年寄りの方には、この活動を始めてから体の調子が良くなったとおっしゃって、毎日のようにご自身で作業を進める方もおられます。地元の方が熱心過ぎて、データが取り終わらないうちに現地の地形が変わってしまったこともありました。困惑もしますが、それ以上にその熱心さそのものが興味深く感じられ、新たな研究のアイディアが浮かびます。たとえば自然再生の活動は健康回復にもつながるという仮説は、今後の研究でぜひ取り組んでみたいと思っています。人間の特性を自然環境の変化と同時に考慮することで、気候変動に対して真に強い社会の理解につながるからです。

 海、山、湿地。さまざまなフィールドでの研究は天候や地域の出来事に左右され、思う通りには進みません。フィールドワーカーには、柔軟に研究計画を変更したり新しい状況をうまく活かしたりする工夫が求められます。適応の研究に必死に取り組むことで、個人の「適応力」も少しずつ向上しているかもしれません。

(にしひろ じゅん、気候変動適応センター 気候変動影響観測・監視研究室 室長)

執筆者プロフィール:

筆者の西廣 淳の写真

大学院生だった25年前は生物の「適応進化」の研究、今は社会の「気候変動適応」の研究に夢中。これらの「適応」を統一的に捉える視点を模索中。

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