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2013年6月28日

枠にハマった調査

【調査研究日誌】

杉原 薫

 私の調査道具は、塩ビ管とタコ糸で作った通称“コドラート(quadrat)”と呼ばれる1m四方の枠です(写真1)。国内はもちろんのこと、パラオやタヒチといった南洋の島々まで、この安価で原始的な道具を持ち歩いています。コドラートが入った袋や箱を見ると、田舎の空港の手荷物カウンターや宅配センターの人は決まって「釣りですか?いいですね~♪」と楽しげに話しかけてきます。しかし、私にとってコドラートは、決して釣竿のように男のロマンや狩猟本能をくすぐるものではなく、私の知的好奇心を刺激し、心身をストイックに鍛え続けてくれる優れものなのです。

 さて、このコドラートですが、実は海底に生息するサンゴを定量的に記録するために使います。サンゴはイソギンチャクに似た動物です。サンゴの多くは、海底の岩盤上に固着して生活しており、最初に固着した場所から移動することはありません。また、出芽とよばれるサンゴ独自の無性生殖方法で、自分のクローン個体を増殖させながら群体を形成し、さらに大きく成長していきます。しかし、サンゴの成長に適した岩盤は限られますので、その岩盤をめぐる種間競争(写真2)や、同様の固着基盤を必要とする藻類との競争が、成長とともに激しくなっていきます。したがって、とある海底に置かれたコドラート内のサンゴの種類や種ごとの量比、そしてそれらの分布パターンは、こうした生物間競争の結果や、これから起きるかもしれない大小様々な撹乱による生存競争の幕開けを示しているのです。何気なく水中に広がる海底を見ていると、普通はそこを行き交う魚たちにしか目が留まらないものです。しかし、コドラートを海底に置いてその中を覗き込むと、サンゴをはじめとする今まで目に留まらなかった様々な生き物たちの営みが鮮明に見えてきます。私はこの“枠にハマる”瞬間がたまらなく好きで、このたぐいの調査をかれこれ20年近く続けています。

コドラートと調査用具の写真
写真1
コドラートとその他の調査道具たち。この中のどれか一つが欠けただけで、私は途方に暮れます。
サンゴの水中での写真
写真2
普段は岩の一部にしか見えないサンゴも、まめに潜ると時に動物らしい一面を見せてくれます。これは、トゲイボサンゴ(下)がミダレカメノコキクメイシ(上)を隔膜糸で攻撃しているところです。

 私は現在、生物・生態系環境研究センターに所属していますが、実際は主に地球環境研究センターが行っている海洋生物の温暖化影響モニタリング調査に従事しています。この調査での私の役割は、高知県~千葉県にかけての4地点と熊本県~長崎県にかけての4地点の計8地点で、水深5m前後の海底32箇所に設置した3m×3mの方形区画内のサンゴの種構成、被度(サンゴが海底を覆っている割合)や群体数などを、年に一回コドラートを使って定量的に記録し、それらの経年変化や変化の要因を明らかにすることです。様々な地点の海底のサンゴをただ漠然と見回すのではなく、同じ地点で同じ区画内の同じサンゴを毎年記録し続けることで、単なる印象ではなく、定量的で説得力のあるデータを得ることができ、わずかな変化にも気づくことができるのです。

 モニタリング調査は、海に潜って初年度に設置した方形区画の場所を探すところから始まります。目印として区画の四隅に打ちつけている小さな丸カン(先が環状になった金属製のクイ)を見つけ出し、12mロープで3m×3mの方形区画を復元したら、区画内のサンゴの記録の開始、コドラートの出番です。まず、方形区画内を9分割し、コドラートをその各1m2の小区画に置いていきます。次に、コドラート内に50cm四方に張られたタコ糸を目安に小区画内を4分割し、水中カメラを使ってそれらを真上から撮影します。次に、コドラート内に25cm四方に張られたタコ糸を目安に、小区画内のサンゴ群体の輪郭と種名を耐水紙にスケッチしていきます(写真3)。こうして得られた写真とスケッチをもとに、全区画内のサンゴマップを作成し(図1)、サンゴの種数、種構成、群体数や被度を求めていくのです。写真を見た限りでは、この作業は一見簡単そうに見えるかもしれません。しかし、体幹に10kg近いおもりを装着して、潮流がある中、コドラートの真上で中性浮力(浮かず沈まずの状態)を維持し、1時間以上写真撮影やスケッチを続ける作業には、非常に高いスキルと根気が必要です。また、金槌などの重い調査機材や水への抵抗が大きいコドラートを持って、海岸や船上から調査区画まで泳いで移動するのにも、かなりの体力を消耗します。さらに、私が楽しくスケッチしている間、寒さを我慢しながら海底でヒラメのようにじっとコドラートを持ち続ける私の所属研究室のボスには、並みはずれた忍耐力が要求されます(写真3の左方)。

水中での調査の様子の写真
写真3
中性浮力を保ちつつ、区画内のサンゴ群体の分布を耐水紙に記録します

調査方法の写真(クリックすると拡大表示されます)
図1
36分割で撮影された3m×3m区画内の合成写真(左)と同区画内のサンゴマップ(右)です。写真では岩盤にしか見えないところにも、実は多くのサンゴがいることがマップからわかります。

 これらのモニタリング調査は、夏季の高水温の影響を捉えるために、主に秋から冬にかけて行われます。よって毎年9月以降は、大量の潜水器材や水中撮影機材を持って全国8地点を飛び回らなければなりません。最近は、その旅芸人のような慌ただしい姿と所属研究室のボスの名前から、“山野一座”と呼ばれるようになってきました。「それなら私は一座の看板役者かな・・・」と誇らしげに思う反面、四十路に入って体力の急激な衰えを実感しはじめてからは「ミュージカルみたいにダブルキャストだったら、どんなに調査が楽だろう・・・」と思うことが増えました。でも、結局はこの調査をできる人が他にいないため、所内の美しい紅葉を眺める余裕もなく、体調や怪我に気をつけてひたすら出張する日々が12月上旬まで続きます。

 このモニタリング調査も今年で3年目に入り、各海域でのサンゴの分布パターンだけでなく、現地での水温データや過去の文献との比較から、各種の水温耐性や、近年の水温上昇に伴って分布域を広げている種の動向が少しずつ明らかになってきました。モニタリング調査というものは、それこそ枠にはまった地味で地道なものです。しかし、この調査を続けることで、サンゴをはじめとする生き物たちのまだ知られていない興味深い事象が見つかる可能性は大いにあります。私はそうした期待と、自分しかできない調査・研究を行っているというささやかな自負を胸に、今秋もまた太平洋と東シナ海の荒波に揉まれながら、小さな枠を通してサンゴとそれを取り巻く海の変化を見続けます。

(すぎはら かおる、生物・生態系環境研究センター生物多様性保全計画研究室)

執筆者プロフィール

杉原薫の写真

国環研に来て3年が経ちました。九州で生まれ育った妻と私は、安くて美味しい茨城の野菜にすっかりハマっています。ただ、こちらで幼稚園~小学校に通い出した長男が身に付けた茨城弁のイントネーションにはいまだに馴染めません・・・。

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