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生態系のコンピュータシミュレーション

研究ノート

吉田 勝彦

 世の中にはやってはならない実験というものがある。例えば巨大隕石を地球に落としてみてほんとに生物の大量絶滅が起こるのか確かめて見たくても,そのようなあまりにも危険な実験は,例え可能であっても,絶対に行ってはならない。生物に関する環境問題にも,程度の差こそあれ,そのような危険な実験がある。例えば地球が温暖化したら生態系はどのように変化するのか,などは実験がもしできればはっきりするだろう。しかし,その実験によって生態系ががらりと変わって農業も漁業も崩壊しました,という結果になったら取り返しがつかない。

 実験したくてもできない,という障害を解決するために非常に有効な手段の一つがコンピュータシミュレーションである。コンピュータの中に作り上げた仮想世界の中ならば,どんなにひどい環境破壊を行っても実際の世界には全く影響がない。また,時間の操作も自由自在であり,「100年後や1000年後はどうなるのか」というような本来なら不可能なくらい時間のかかる実験もあっという間にすませられる,などの様々な利点がある。私が取り組んでいるのは,現実世界では不可能な実験を仮想世界でおこなうための仮想生態系(生態系モデル)をコンピュータの中に作り上げることである。

生態系モデル

 モデル作りには基本的に二つの方向性がある。一つ目は,ある一つの生態系(例えば霞ヶ浦の生態系)を忠実に再現することを目指すモデルであり,もう一つは,どの生態系にも共通する少数の本質的な要素だけで生態系を構築することを目指すモデルである。私が取り組んでいるのは後者のタイプのモデルである。この様なモデルは,特定の生態系に似せるための仮定を排除しているため,特定の問題について定量的な予測ができないという欠点がある。例えば,サバの漁獲量が何万トンまでなら持続的な漁業が可能なのか,というような,解決のためにぎりぎりの定量的な判断が必要になるような問題に対しては,このタイプのモデルはほとんど無力である。しかし,このタイプのモデルの最大の長所は,どの生態系でも通用する一般法則を明らかにできることである。つまり,このようなモデルから得られた知見はどの生態系でも通用するので,様々な環境問題が起こるたびにあわてふためいて対処療法を探すのではなく,基本的な処方箋をすぐに準備することが可能になると期待される。また,生態系の基本モデルを作っておけば,いずれ適当な仮定を加えて個別の生態系に合うようにモデルをアレンジしていくことも可能であろう。

 モデルを構築する際にどのような要素を本質的な要素として採用するかがモデルの良し悪しを左右する。私が採用した本質的な要素の一つは,動物は他の生物を食べなければ生きられないことである。仮想生態系の中で,植物は外部から流入するエネルギーを利用して成長する(光合成をイメージ)。一方,動物(植食,肉食,雑食)は,それぞれ自分の好む性質を持つ生物を食べることによって生きるために必要なエネルギーを取り入れる。生物同士が食ったり食われたりすると個体数が変化するが,その個体数の変化は,生物間相互作用の強さと接触頻度によって個体数が変化することを表す方程式を利用して計算する。計算の結果,個体数が基準値を下回った生物種は絶滅する。

 採用したもう一つの本質的な要素は,生物は進化することである。生物は常に周囲の環境に影響されて変化し,生態系もその結果として形成され,変化する。このような生物の進化を表現するため,一定期間ごとに仮想生態系の中からランダムに1種選び,その種から新種が種分化によって誕生するというプロセスを導入した。新種の性質(相互作用も含む)は祖先の性質に微少な変異を加えて決定する。新種が十分に多くのえさを確保でき,捕食者の数が少なければ,その新種は生き残ることができるし,そうでなければ絶滅する。仮に生き残れてもそれで終わりではない。ある種がえさとしている種が絶滅することもあるし,その種に対する新たな捕食者が出現することもある。

 以上のようなプロセスを繰り返してできあがった仮想生態系の例が図1に示されている。いわゆる生態系のピラミッドのように,食われるものを下に,食うものを上に並べてある。生産者である植物が生態系のベースとなっており,植食性の動物が1次消費者としてピラミッドの2段階目に積み重なっている。さらに肉食動物や雑食動物が2次消費者,3次消費者とその上に積み重なるという,実際の生態系によく見られる構造になっている。この例では5つの栄養段階が確認された。図2は生態系の構造を表すいくつかのパラメータについて,本研究のモデルと既存の最新のモデルDrossel et al.(2004)のどちらが実際の生態系の値に近いのかを比較したものである。Drossel et al.(2004)のモデルは,生物の進化だけでなく,えさを捕まえて消化して体内に取り入れるまでのタイムラグやお腹がいっぱいになったら食べるのをやめること,最小の労力で最大の利益を得られるえさを選んで捕食すること,など,生物学的に妥当なプロセスが詳細に組み込まれている。これらは本研究のモデルには導入されていないので,一見 Drossel et al.(2004)のモデルの方が優れているように見える。しかし,構築された生態系を比べたとき,本研究のモデルの方が実際の生態系に近い値を再現できていた。この点で本研究のモデルは既存のモデルよりも優れていると言える。この原因は,モデルが想定している時間スケールと,導入された仮定の不一致にあると思われる。種多様性の高い生態系を構築するためには,種を進化させながら種間相互作用を構築することが有効である。しかし,例えばお腹がいっぱいになったら食べるのをやめることなどは,種の進化よりもはるかに短い,個体レベルの時間スケールで成り立つものである。そのため,不適切な時間スケールのプロセスを含まない単純なモデルの方が現実に合うと考えられる。

生態系の模式図
図1 本研究のモデルで構築された仮想生態系の模式図
この仮想生態系は植物(37グループ43種 緑),草食動物(12グループ76種 青),雑食動物(7種 黒),肉食動物(6種 赤)から構成される(簡略化のため,植物と草食動物は,共通祖先から派生したグループをひとまとめにして丸数字で表している)。生産者の植物から最上位捕食者まで,5つの栄養段階が認められる。

 本研究のモデルを利用したシミュレーションによって,例えばオオサンショウウオや肺魚類などの“生きた化石”と呼ばれる分類群の二つの大きな特徴(形態進化が遅いことと分類群内の種数が少ない状態で細々と生き続けること)が捕食—被食関係の進化のプロセスを介して密接に結びついている可能性が示唆された。また,陸地から遠く離れた孤島の生態系のように,外部からの生物の侵入をほとんど受けずに進化した生態系は,植物種の侵入に対して脆弱であり,規模の大きな絶滅を起こす可能性が高いことが示唆されている。その他,環境変動が生物の多様性に与える影響について,いくつかの興味深い仮説が得られている。

今後の課題

 このような少数の要素だけで構築されたモデルは,過度の単純化のために現実的でないという理由で,現場で実証的な研究を行う人の理解を得にくい。野外で研究者が見ている“それぞれの現実”とこのようなモデルが違って見えるのはある意味至極当然である。この様なモデルは一般法則を明らかにすることを目的としているため,個々の特殊な事例に合わせるための煩雑な仮定を全てそぎ落としているからだ。脊椎動物の本質だ,と言って脊椎だけを見せられても,それは人間ともニワトリとも金魚とも違って見えるのと同じことである。しかしそのために,生態系の挙動を明らかにすることに関しては,実証的な研究と理論的な研究の協力関係が築かれておらず,研究の効率的な進展の障害となっている。今後の最も重要な課題は,モデルが信頼に足るものであること,さらに野外でそれぞれの研究者が見ている“それぞれの現実”と全く同じではなくても,その中に潜む本質を反映していることを示すことである。そのために,モデルの改良を進めつつ,図2のようなデータを示しながら,魅力的な研究成果を生み出す愚直な努力を地道に続けなければならないだろう。

図2 モデルと現実の生態系との比較
各パラメータについて,実際の生態系の平均値(Dunne et al. 2002)がモデルの平均値からどの程度離れているかをモデルの標準偏差を単位として表している。オレンジの線に近いほどモデルと現実が近いことを意味する。縦軸はモデルの標準偏差,横軸のdiversity, %T, %I, %B, L/Sはそれぞれ生態系内の種数,最上位捕食者の割合,中間種の割合,基底種の割合,1種あたり平均何種と相互作用しているかを表す。

(よしだ かつひこ,生物多様性研究プロジェクト)

執筆者プロフィール:

その昔,野外からデータを取ってくる研究をやっていた時,論証のために自分が必要とする精度のデータが取れない事に大変苦しみました。その経験はほとんどトラウマと化しております。しかし今の研究では,努力さえすればあらゆるデータを必要な精度で十分な量得ることが可能なので,大変快適であります。