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故 森田恒幸領域長を偲んで

甲斐沼 美紀子

私は不思議でたまらない,黒い雲からふる雨が,銀にひかってゐることが。
私は不思議でたまらない,青い桑の葉たべてゐる,蠶が白くなることが。
私は不思議でたまらない,だれもいぢらぬ夕顔が,ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない,もう研究所で森田先生に会えないなんて。

(前半 金子みすず「不思議」より)


 先生は昭和50年に東京工業大学大学院社会工学専攻修士課程を修了され,同年4月に国立環境研究所(当時国立公害研究所)に入所されました。以来4半世紀にわたって環境政策研究に従事されました。この間,昭和52年8月から55年3月にかけて環境庁企画調整局環境影響審査課で環境行政の実務に従事され,また,昭和61年6月から昭和62年9月にかけては,オーストラリア・メルボルン大学に留学されました。平成8年2月からは,国連大学高等研究所の客員教授を,同年5月からは東京工業大学大学院社会理工学の教授を併任され,人材の育成にもご尽力されました。

 生前のお仕事を整理しておりますと,本当に幅広い分野のお仕事を手がけられており,またその成果の多いことに改めて気付かされ,今さらながら感銘を受けています。ご活躍の一端でもご紹介できれば幸いです。

 初期のご研究では,環境影響評価制度に着目され,この手続きにかかわる事業者,住民,行政主体のそれぞれについて,予防的環境政策のもたらす効果を明らかにされました。この研究成果を学位論文「環境影響評価制度の政策効果に関する研究」としてまとめられ,東京工業大学より工学博士の学位を授与されました(昭和58年)。また,約3年におよぶ環境庁環境影響審査課での実務経験を踏まえ,環境影響評価の体系を整理し,今日我が国の環境影響評価の基礎を築かれました。先生の論文や著作は,環境影響評価分野における基本的文献として広く関係者から参照されています。最近では,東京環状道路有識者委員会委員を務められていました。

 昭和60年から63年度にかけて,特別研究「環境指標を用いた都市及び自然環境の変動予測手法開発に関する総合解析研究」の研究幹事を務められ,21世紀初頭に向けた社会経済の基本トレンドが環境問題をどのように変化させていくかの予測手法を開発されました。本手法を用いて,大気汚染,水質汚濁,都市アメニティ,自然保護,廃棄物,有害化学物質等の問題を体系的に予測され,100におよぶ長期シナリオを書き上げられました。示唆に富んだこれらのシナリオは,各方面で政策立案や研究テーマの設定に参照されました。

 平成6年から8年度にかけて「持続可能な発展の指標および環境資源勘定に関する研究」も進められました。持続可能な発展の指標やその情報基盤としての環境資源勘定体系の開発が重要課題として浮上したことに呼応して,OECD,国連等の国際専門家会議への出席・報告,内外における研究レビューなどを行われるとともに,経済企画庁(当時),農林水産省や大学の研究者を組織して,国内の環境資源勘定に関する研究体制の礎を築かれました。

 地球温暖化問題に長期的視座を与える「気候変動解析と環境政策立案のためのアジア太平洋統合モデル(AIM)」の開発は,先生の広く知られた代表的業績であり,国立環境研究所の地球温暖化の影響評価と対策効果の研究プロジェクトのリーダーとして内外から高い評価を得てこられました。AIMモデルはアジア太平洋地域における温室効果ガスの排出量の推計,温暖化の影響予測,温暖化対策が社会経済へ与える影響を評価するための一連のコンピュータモデルです。基本モデルができあがるとすぐ,重い液晶プロジェクターを自ら担がれてアジアの共同研究者探しの旅にでかけられました。アジアの途上国を対象として,それぞれの国の研究者が独力で自国のデータを集め,独自の政策を作り上げる研究能力や政策策定能力の向上をも考慮した国際共同研究をされました。アジア地域の途上国研究者の氏への信頼はきわめて厚いものがあります。

 本モデルの開発,温暖化対策への具体的適用性が評価され,平成6年11月に第4回日本経済新聞地球環境技術賞大賞を受賞されました。AIMは現在,地球規模および日本の気候政策検討に必須の道具となっています。最近では炭素税の効果分析をされ,その結果は今後の炭素税導入に対する素案として政策決定の場において活用されています。

 国際的にも著名であり,特に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の有力メンバーとしてご活躍されました。IPCC特別報告書(Climate Change 1994)の第6章主執筆者を務められ,新しい温室効果ガス等の排出シナリオの作成を提唱されました。これを受けて発足した世界の将来シナリオ検討部会の幹事として膨大なデータ集約作業を受け持つと同時に,AIMモデルを用いて今後100年にわたる長期的な世界像を描き,環境と経済の統合が温暖化防止の近道であることを世界に示されました。こうした成果は2000年に排出シナリオのIPCC特別報告書として出版されました。この将来シナリオは国際機関や各国政府が温暖化対策を進めるうえでの基本的情報として活用されています。

 2001年IPCCの第三次評価報告書作業では,第三作業部会報告書の排出シナリオ章の総括主執筆者として選出され,排出シナリオとコスト評価を行い,具体的政策の効果分析の結果を示されました。とくに大気中の温室効果ガスの安定化濃度とそれにいたる道筋を示すとともに,経済と環境の両立の面から分析,評価した研究成果は,今日温暖化対策の基本方針を立案するうえでの科学的知見として有用な情報となっています。

 第四次評価報告書に向けた検討が始まるなか,総括主執筆者としての活躍が期待されていました。最近では,世界の著名な生態学者を中心に進められている地球規模での生態系を対象とした将来予測や保全対策を検討する国際的なプロジェクト(MA:千年紀生態系評価)におけるシナリオ開発にも力を注いでおられました。先生はMAの企画時より参画され,シナリオワーキンググループの代表執筆者としてのみならず,シナリオ作成の顧問的役割も担われていました。ここでは,IPCCで培った経験および洞察力から,生態系を考慮した新たな視点に基づくAIMモデルを開発・適用することで,MAで作成されているシナリオの整合性に関する定量的な評価を行い,斬新で貴重なメッセージを含むMA独自のシナリオ作成に多大なる貢献をされました。生態系全体を保全することと,温暖化や公害を防ぐことは,両立しにくいと考えられて,多様な側面より分析を始めておられました。

 昨年の10月に,森田先生が中心になって,AIMモデル開発者全員で,過去10年間のAIMモデルの開発,適用の成果をとりまとめた書籍『Climate Policy Assessment』を出版しました。当初本の題名が「AIM」でしたが,今後,シリーズとして出版していこうということで,シリーズ名をAIMとしました。先生の途上国共同研究へのご功績を記念して,AIMシリーズの2冊目として『インドへの適用』を来年3月の第9回AIMワークショップまでに出版するという話が持ち上がっています。また,最後に先生が誘致された気候変動に関する国際ワークショップを来年1月23~24日に国立環境研究所で開催する予定です。

 常にご自身がフロンティアの研究をされるとともに,最近では,「世界のフロンティアで活躍できる研究者を育てることが私の夢です。」と口癖のようにおっしゃられていました。先生に続いて今若い研究者がフロンティアに出ていっています。AIMシリーズ3冊目以降は彼らが書き上げてくれるでしょう。

 先生の目に見えるご業績は数え切れませんが,それ以上に目に見えないところでも大勢の方を支えてこられました。これからは,先生のご遺志を引き継いで環境保全に向けた研究活動に取り組んでいきたいと考えています。

 いまはただ心より先生のご冥福をお祈りするばかりです。



(かいぬま みきこ,社会環境システム研究領域統合評価モデル研究室長)

森田恒幸氏 履歴・主要業績

[主な学歴・職歴]
昭和50年3月  東京工業大学大学院社会工学専攻修士課程修了
昭和58年5月  工学博士(東京工業大学)
学位論文題目:「環境影響評価制度の政策効果に関する研究」
平成13年4月~ 独立行政法人国立環境研究所社会環境システム研究領域長
重点特別研究プロジェクト「地球温暖化の影響評価と対策効果」プロジェクトリーダー

[主な公職・国際活動など]
平成8年~    「Journal of Environmental Modeling and Assessment」国際編集委員会委員
平成10年~    気候変動に関する政府間パネル(IPCC)総括主執筆者
平成13年10月~ 中央環境審議会総合政策・地球環境合同部会「地球温暖化対策税制専門委員会」委員
平成14年~    ミレニアム生態系評価研究プロジェクト(MA)主執筆者
平成14年12月~ 東京都環境審議会委員
平成14年2月~ 文部科学省科学技術・学術審議会専門委員
平成14年6月~ 原子力委員会専門委員

[表 彰]
平成元年9月  日本オペレーションズ・リサーチ学会奨励賞
平成2年12月  日本計画行政学会論文奨励賞
平成6年10月  日本計画行政学会論説賞
平成6年11月  日経地球環境技術賞大賞

[学会における活動]
環境経済・政策学会 理事
日本計画行政学会 理事
環境科学会 編集委員会委員

[主要著書]
(地球温暖化,環境経済学,環境経済モデリング,環境政策アセスメント,環境計画手法等の分野において200以上の学術論文あり。主要な論文を記載)

論文
Kainuma, M., Y. Matsuoka and T. Morita eds. (2002) : Climate Policy Assessment, Springer.
Swart, R., J. Mitchell, T. Morita and S. Raper (2002) : Stabilisation scenarios for climate impact assessment Global Environmental Change, 12(3), 155-165.
Morita, T. and Y. Matsuoka (2002) : Global Climate Change and Food Problems, In Yasuda Y. eds., The Origins of Pottery and Agriculture, 321-326.
T. Morita and J. Robinson (2001) : Greenhouse Gas Emission Mitigation Scenarios and Implications. In Climate Change 2001 : Mitigation, Cambridge University Press, 115-166, 2001
T. Morita, N. Nakicenovic, and J. Robinson (2000) : Overview of Mitigation Scenarios for Global Climate Stabilization Based on New IPCC Emission Scenarios (SRES). Environmental Economics and Policy Studies, 3, 2, 65-88.

評論・随筆
森田恒幸,総合学としての地球温暖化研究,東工大クロニクルNo.374, 8-9,2003
森田恒幸,環境を考える 弱者の視点が不可欠,時事評論(4月): 12-13,2003
森田恒幸,環境を考える 不確実さと科学的アセスメント,時事評論(5月): 12-13,2003
森田恒幸,環境を考える シナリオで読み解く地球環境の将来,時事評論(6月): 12-13,
2003
森田恒幸,環境を考える コスト神話の崩壊,時事評論(7月): 12-13,2003
森田恒幸,環境を考える 拡大する環境ビジネス,時事評論(8月): 12-13,2003
森田恒幸,環境を考える 京都議定書,時事評論(9月): 12-13,2003