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環境教育と国立環境研究所

坂東 博

 大阪府立大学に赴任してほぼ4年の年月が過ぎ,講義や研究を通して多くの学生達と接する機会を得たわけだが,その間に感じた環境教育ということと,それに関連して国立環境研究所に期待することについて述べてみたいと思う。

 時代の風潮のせいかも知れないが,多くの学生達は「環境」という言葉にある種の親近感,あるいはポジティヴなイメージ,を抱いている。しかし,その親近感は漠然としたものであり,自身の意識や行動を左右するほどに積極的なものにはなっていない。例えば,その感情が自身の生活スタイルを律したり,さらには将来の職業選択や研究分野の選択に結びつくためには,「環境」中で起きている現象(因果関係)をある程度理解し,自身の行動が「環境」に対してどのような影響を与えるかといったことや,その保全・改善のためにどう取り組めるかということを自分なりに判断するための基礎知識を体系的に知ることが必要である。

 これを教える,あるいは学ぶことは難しい課題である。炭酸ガスの増加による地球温暖化の問題を例に挙げれば分かるように,問題は化石燃料燃焼とそれに伴う大気中の炭酸ガス濃度の線形応答といった単純な図式での議論ではなく,現代社会のエネルギー生産と消費の構造という社会経済工学の問題から始まり生物地球化学的な炭素の物質循環の問題までが議論の中に入り込んでくる。これらを体系的に理解しようとすれば広い分野の知識を必要とし,往々にして思考が発散して終わってしまう。そのような場合に必要となるのは,問題の全体像を包括的にそして過不足無く説明できる人材(教官),あるいは過不足無く記述された資料(教科書)である。残念なことに,環境科学で必要となる広い専門分野をカバーできる教官や教科書・成書は極めて稀なのである。次代を担う若い世代が,せっかく自分達の身の回りで起きている現象に漠然とではあるが興味を示し「環境」ということに意識が芽生えているときに,このような知的興味の発展を阻んでいるのは,「環境」に関する生半可な知識の切り売りといい加減な対応,あるいは極めて不十分な資料(文献)の提供が多くの大学でなされ,彼らを失望させているせいではないかと思うことがある。その点で,自分を含め情けなく思うことしきりである。

 以前にも何かに書いたことであるが,国環研を出てから痛切に感じることは,国環研にいるといかに多くの最新の環境情報に自然に触れることができ,環境関係の資料(文献)の多くに自由に触れることができたか,ということである。また,そこには幅広い分野の研究者集団が一堂に会しているのである。最近,国環研ではインターネットでホームページを開設し,研究所の案内,研究情報等の提供を開始したことを本ニュース誌で知った。我々の大学でも,徐々にではあるが学生にメールアドレスが与えられ,彼らが自由に外の情報に触れることができるようになりつつある。我々の大学に限らず彼らの世代の多くは,メールを通して自学では得られない知的興味の充足を図ることができるのである。国環研においても,ホームページでの既載の情報の発信だけでなく,外からの質問や依頼に直接応えることにより,これまで以上に環境分野における人材の裾野の拡大に対して貢献してもらえるのではないだろうか。こんなことを云うと,自分の果たすべき責任を棚にあげて,ただでさえ忙しい国環研にこの上何を期待するのか,と云われそうだが。

 しかし,若い世代の興味に筋道をつける手助けができれば,我々古い世代が釈迦力にならずとも,後は彼らが自ずから「環境」に対する意識を維持し続けることができるだろう。そのような人材の中から,「環境」を自らの職業や研究の対象として指向するものが多く出てくることを期待したい。

(ばんどう ひろし,大阪府立大学工学部助教授)

執筆者プロフィール:

(元)国立環境研究所地球環境研究グループ温暖化現象解明研究チーム総合研究官。富山県生まれ。
東京大学理学系研究科博士課程修了,理学博士。1978年国立公害研究所入所,1993年より現職。
〈趣味〉長距離のランニング,スポーツのTV観戦。