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人骨をもちいた生物学的モニタリング

研究ノート

吉永 淳

 環境汚染や職業暴露による典型的な重金属中毒というのは,少なくとも先進国における新たな発生については,現在ほとんど問題となっていない。それに代わり,研究の中心は重金属類への低レベル・長期暴露による人体影響へと移っている。こうした研究を行う際の課題の一つとして,このような暴露のレベルを評価するのに適した指標媒体として何がよいか,ということがある。生物学的モニタリングでは,血液や尿中の重金属濃度や関連酵素の活性などが用いられるのが普通であるが,暴露レベルが低い場合,鋭敏に検知できないこともありうる。そこで考えられる生体試料として骨がある。

 70キログラムの体重の人の場合,あの白くて硬い,いわゆる「骨」は5キログラムを占める,人体で4番目に重い臓器(組織)である(ちなみに1〜3位は筋肉(28キロ),脂肪組織(15キロ),血(5.5キロ)である)。ある種の金属は骨に選択的に蓄積する傾向を示す。たとえば鉛の場合,骨における生物学的半減期は60年という推定がある。言葉をかえれば,人が生まれて,最初に飲んだ母乳にごく微量含まれていた鉛のうち,骨に到達した原子の数が半分に減るのはその人が60歳になったとき,ということになる。したがって骨は,鉛をはじめとするいくつかの微量元素の長期にわたる低レベル暴露のよい指標媒体となる。

 病理解剖時に採取して頂いた肋骨の分析から,ガン,脳血管疾患,骨疾患などの慢性疾患のあった患者となかった患者とでは,肋骨中微量元素含量(鉛,亜鉛,ストロンチウム,バリウム)に微妙ではあるが統計的には有意な差があることが見いだされた。これらの微量元素の環境からの取り込みのほんのわずかな多少であっても,それが長い期間続いた結果,健康が害される可能性を示したものだと考えている。

 骨を用いた生物学的モニタリングはまだ広く行われているわけではなく,今後一層の研究が必要な段階である。さらに骨は,分析それ自体が簡単なものではなく,より高感度,高精度な分析手法を開発していく努力もあわせて必要である。また最近の分析手法の進歩により,生きた人の骨中微量元素濃度を,体の表面から計測する方法も出現している。このような新しいテクノロジーにも大きな期待が寄せられる。

(よしなが じゅん, 化学環境部計測管理研究室)