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副所長 鈴木 継美

 人間は地球で作られた。このことを否定する人はまずないだろう。現在のような人間、生物学の言葉でいうならヒト(Homo sapiens) 、が出現したのは約20万年前で、その人々はネアンデルタール人(Homo sapiens neanderthalensis) と呼ばれる。約4万年前にこの人々が消滅し、その後現代人(Homo sapiens sapiens)と全く同じ新人が現れた。現在問題となっている地球の変化の主因となったのがこの人々である。

 第1の理由は数、すなわち人口、が大きくなりすぎたことであり、第2の理由は1人当たり消費量が増大したことであり、第3には利用している技術の質が変わり、環境負荷が大きい技術が広く用いられるようになったことである。現時点での予測によると西暦2150年に世界の人口は約116億人に達し、うまく行けばその後ほぼ横ばいの状態が維持できるだろうと考えられている。人口が横ばいになるためには、出生力が人口の置き換え水準を保つ必要がある。この低い出生力が一般化するためには、死亡、特に乳幼児の死亡、が低下しなければならない。現在の世界各国の統計から考えると、乳児死亡率が出生1000対30で0歳平均余命にして70年という水準に、世界のすべての人々が到達する必要がある。これが持続可能な発展(Sustainable development)の基礎条件である。

 低い死亡率と低い出生力を達成するために、人間はどれだけの物を消費することになるのだろうか。そのために用いられる技術はどのようなものになるのだろうか。世界各国の統計をそういった目でみてみると、1人当たりGNPがUS3000$程度の経済水準に達すると0歳平均余命はほぼ70年になっている。決して何万ドルもの水準が必要というわけではない。さらに興味あるデータがある。国ごとに食料必要量と食料供給量のバランス(エネルギー量として)を計算し、それと平均余命とを対比してみると、地域(アジア、アフリカといった)による0歳平均余命水準の差異はあるものの、どの地域の場合も供給量が必要量に対し110-120%に達するまでは0歳平均余命は延長しているが120%を超えると延長は止まり、時には軽度ではあるものの、短縮する場合が認められている。片側で欠乏、他方で過剰が、問題点はそれぞれ異なるものの、共に悪影響を与えていることになる。GNPの伸びとともに食料供給が増す。これによりとりあえずは、人々の健康によい影響を与えるが、過剰になると悪い影響があり得ることに注意しておかなければいけない。

 このようなデータをみると、人間は実に愚かなことをしている−−なぜ過剰供給の地域から不足の地域に食料を回してやらないのか−−といわざるをえないが、それと同時に、うまくやれば人類が生存できる可能性が残されているとも思える。環境と発展に関する世界委員会(WCED)が国際経済の問題を重視したのは真に当を得たものといえるだろう。また世界保健機関(WHO)がかねてから進めているPrimary Health Careの普及の仕事の妥当性も納得できる。しかし、今のような歩みで間に合うのだろうか。うまくいったとして、人口が横ばいになるのは百年以上たってからである。Homo sapiens sapiensという学名にふさわしい賢さを我々が示すことができなければ、人間が産まれ育った地球が人間の生息地としての条件を失うことになる。

 地球環境問題とは地球が人間の生息地として存続し得るかどうかの問題であるが、実は問題の根源は人間側にある。低出生力を達成するために必要な諸条件−−低死亡、女性の教育水準を上げ、社会進出を進める、など−−について国際的なコンセンサスが形成されたのはごく最近のことである。しかしそれが工業化を中心にした経済発展によってのみ達成可能なのかどうかということになると、誰も明確なことはいえなくなる。また、工業化が不可避の道であるにしてもその内容が問題になる。工業化した国と途上国とで1人当たりエネルギー使用量に大きな格差があることは周知のことである。すでに工業化した国々が過去に用いた技術と同じ技術を途上国の工業化においても用いるのでは事態は悪化するのみである。新しい、sustainable developmentを可能にする技術が作られなくてはならない。この新しい技術の創出のために先進諸国はもちろんであるが、途上国の人々の果たすべき役割がより重大である。なお、ここでParticipatory Approachと呼ばれる問題解決のための手法が国際協力のいろいろな舞台で重視されるようになっていることを述べておきたい。この手法についての詳論はここでは避けるが、地球環境問題については、この手法はまだ十分には生かされていない。

 地球環境の研究にはいろいろな視点が必要である。地球を総体として丸ごと眺める視点、地球をしかるべきいくつかの部分に分割してその個々について眺める視点、よりミクロな小さな人間生態系に集中しそこから地球を眺める視点、など、いずれも大切なことはいうまでもない。そして、そのいずれの場合も人間を視野の中心に置いておかなければならない。

(すずき つぐよし)