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2016年2月29日

反応性窒素

特集 森林の水質保全機能の可能性 -森林管理による窒素飽和の緩和に向けて-
【環境問題基礎知識】

仁科 一哉

はじめに

 本特集は過剰な窒素が引き起こす諸問題の一つを取り扱っています。しかし、大気はおよそ8割が窒素分子で構成されており、地殻中にも多くの窒素が含まれ、地球という惑星全体で見ると豊富な元素の一つです。一方、地球上の多くの自然生態系では栄養素としての窒素が不足し、陸では樹木などの植物、海洋などの水域では植物性プランクトンの第一次生産(光合成)の律速要因となっています。窒素は豊富にあるにもかかわらず、多くの生態系で不足している矛盾は、“反応性窒素”という言葉で説明することができます。

反応性窒素

 地殻中に含まれる窒素を生物は利用出来ず、大気中の窒素ガス(N2)は化学的に安定(三重結合であるため)し、多くの生物は直接利用できません。しかし、反応性窒素は、生物にとって利用しやすい形態の総称で、例えば、大気汚染で問題となっている窒素酸化物ガス(NOx)、水に溶け込んでいるアンモニウムや硝酸イオン、あるいはアミノ酸といった物質も反応性窒素に含まれます。この反応性窒素が不足している自然生態系では、常に個体間や種間で反応性窒素の奪い合いが起きています。人為的な影響がない自然生態系では、反応性窒素は何処からやってくるのでしょうか?

 答えは、大気中に含まれる窒素ガスです。微生物(ニトロゲナーゼ酵素を持つ窒素固定菌)によって、大気の窒素ガスが還元されアンモニアとして微生物に同化したものが、植物の栄養として取り込まれる、あるいは生化学的作用を受け食物連鎖を通した生態系の要素になります。この窒素固定とよばれるプロセスは、エネルギー効率が非常に悪く、また限られた種のみで行われる為、物質の流れは小さく、生態系では生物が反応性窒素を得るにあたって大きな律速要因となっています。しかし現在は、人為的な反応性窒素の負荷が自然生態系の大きな供給源となっています。一つは化石燃料燃焼時の不完全燃焼によって放出された窒素酸化物ガスが大気の循環にのったあと、大気から降下して地表に降り注いだものです。もう一つの重要な人為起源としては、農業で使われる化学肥料が大きな負荷源となっています。一旦耕作地に撒かれた肥料が河川や大気を通じて様々な生態系へ再配分されるため、耕作地は反応性窒素の主要な経由地となっています。この化学肥料はハーバー・ボッシュ法と呼ばれる工業的な窒素固定によって得られたもので、現在、生物的な窒素固定量を超えていると試算され、地球上の反応性窒素のフローは2倍以上になりました。こうして人為的に過剰に供給された反応性窒素が、種々の環境問題を引き起こしているのです。

反応性窒素と人との関わり

 過剰窒素の問題を論ずる前に、人間と反応性窒素の歴史を紐解きたいと思います(図1参照のこと)。まず人間社会にとって重要となるのは、肥料としての窒素です。

窒素年表
図1 反応性窒素の利用とその歴史
青線は肥料としての利用、赤線は火薬としての利用を示す。

 中世以前は、ヨーロッパではマメ科の植物を積極的に輪作体系に組み入れることで、畑の生産性(地力)を維持していました。また家畜の糞尿を農地に投入しています。この行為は結果として反応性窒素を畑の土壌に供給することになりました。この時期の人々は、そもそも窒素という元素を認識していませんし、もちろん植物の必須多量元素であることを知る由もありません。

 15世紀になると、ヨーロッパの国々はシルクロードを通して、チャイナスノーを輸入し始めます。これは硝酸カリウムが主成分で火薬や肉の保存量として使われました。実は戦争に使う火薬は、人間社会にとっての反応性窒素の二つ目の重要な接点です。17世紀には、家畜や人の糞尿を集中的に土壌に投入して硝酸カリウムの結晶を析出させる技術を確立しました。しかし、この硝酸カリウムは黒色火薬が主用途で肥料には使用されていません。ちなみに日本でも、加賀の五箇山で黒色火薬づくりが活発に行われていました。

 窒素(N)原子が認識されたのは実に18世紀で、1772年に二つの異なるグループがほぼ同時期に発見したとされています。正式な第一発見者は、先に論文を書いたスコットランドの研究者であるダニエル・ラザフォード(Daniel Rutherford)となっています。1836年にはフランスの化学者であるジャン・バティスト・ブサンゴー(Jean Baptiste Boussingault)が、窒素が植物にとっての栄養素であることを証明し(この研究者は植物が大気から炭素を得ていることも証明した)、1840年にはリービッヒの最少律が提唱され、この頃窒素は、生物の活動にとって不可欠な多量必須元素であることが明らかになってきています。

 19世紀のヨーロッパでは耕作地の窒素源としてグアノと呼ばれる海鳥類のフンが化石化したものを利用していました。グアノは窒素と燐に富んだ資材です(ホームセンターの肥料売り場で見られるので是非探してみてください)。当時、チリ硝石(硝酸ナトリム)と共に、わざわざ南米から輸入して使用していました。しかし、産業革命による人口増加を賄うことはできず、これらの資源は直ぐに枯渇してしまいました。結果としてグアノの奪い合いが引き金として働き、南米産出国間による硝石戦争とも呼ばれる太平洋戦争が起きています。

 19世紀末には、イギリス王立協会でウィリアム・クルックス(William Crookes)が、空気中の窒素ガスを化学的に窒素固定しなければ、食糧不足へと陥るだろうと警告しています。しかし、1906年ドイツで、工業的な窒素固定であるハーバー・ボッシュ法が確立されました。高温高圧下で空気中の窒素ガスと水素を反応させてアンモニアを得る方法で、このハーバー・ボッシュ法の確立により、フリッツ・ハーバー(Fritz Haber)とカール・ボッシュ(Carl Bosch)の二人はノーベル賞を受賞しています。そして1911年、ハーバー・ボッシュ法による反応性窒素の本格的な生産を、ドイツの化学工業会社BASFが開始しました。これにより、人類は大気にある窒素を反応性窒素に大量に変換する事が可能になり、硝石やグアノのような採掘資源に頼ることなく、人類はエネルギーさえ使えれば反応性窒素を潤沢に得るようになりました。第一次世界大戦後、このハーバー・ボッシュの技術がドイツ国外に流出し、各国で火薬や肥料として使われることになります。ここから、モータリゼーションに伴う化石燃料燃焼の増加とともに、急速に人為的な反応性窒素が環境にばら撒かれることになります。(窒素の歴史に関する一般向けの読み物としてはトーマス・ヘイガー(Thomas Hager)の“大気の錬金術(みすず書房)”に詳しく書いてあるので是非参照して頂きたいと思います。)

反応性窒素の過剰

 反応性窒素の過剰が問題となることに気付いたのはかなり遅く、1950年代にはそれほど問題であると認識されていませんでした。1940年には既に沿岸域などが窒素肥料によって富栄養化していることが報告されていますが、一次生産が上がるということで好意的に解釈されていたようです。1960年代に入ると過剰な反応性窒素の問題が認識され始め、スウェーデンの土壌研究者スバンテ・オーデン(Svante Oden)らが、イギリスから発生したNOxによってスウェーデンの一部の湖沼で酸性化が進行していることを指摘しました。1970年にはノーベル賞化学者でもあるパウル・クルッツェン(Paul Crutzen)が、N2Oガスがオゾン破壊の原因物質である事を突き止めました(N2Oは温室効果ガスでもあります)。同年、過剰な反応性窒素の負荷によって、貧栄養環境に適応していた植物が失われ、生物多様性が減少することも報告されています。また1970年代に、全球規模で人為的な窒素固定が微生物による窒素固定を上回ったと試算されています。なお本特集記事でも触れられている“窒素飽和仮説”は、1989年にアメリカの研究者のジョン・エイバー(John Aber)によって提唱されたもので、1990年代から現在まで、様々なフィールドで過剰窒素による問題の確認・研究がされていますが、窒素による諸問題を統合的に扱う最初の本格的な科学レポートが作成されたのは、2011年のヨーロッパ窒素アセスメント報告書であるとされています。

おわりに

 窒素は、生と死に密着に関わった元素です。窒素(Nitrogen)の語源は、生物が窒息したというところから来ています(命名はドイツ語による)。人類の窒素の歴史は火薬の歴史でもあり、銃やダイナマイトで多くの命を奪ってきました。一方、あらゆる生物は窒素が主要な構成物であるタンパク質が主たる酵素によって生命活動を維持し、また窒素肥料によって莫大な人口を支える食料生産を担っています。実際にハーバー・ボッシュ法は、第2次世界大戦と20世紀の人口の爆発的な増加に大きく貢献する一方、過剰な反応性窒素により生物の多様性を減少させています。このように人間社会や環境中では、反応性窒素の正負併せ持つ側面が遺憾なく発揮されています。

 閑話休題。人間活動によって地球の物質循環の中追加された反応性窒素は、従来の反応性窒素のフローを遥かに凌駕しているものの、その歴史は未だ100年にも満たない期間です。この僅かな期間に多くの生態系で、不足が過剰に逆転したと考えられます。肥料の投入や化石燃料の燃焼に由来する窒素降下物によって、地球上に人為起源の反応性窒素の痕跡が無い場所を探すのは難しく、反応性窒素は、アントロポセン(人新世)を体現するような物質であると考えることができます。窒素肥料の使用が少ない地域が多くあるアフリカで、マイクロソフトのビル・ゲイツなどが「緑の革命を引き起こそう」と提唱しています(参;Alliance for a Green Revolution in Africa)。このように、今後、補助金などを使って、窒素肥料利用を促進させ、アフリカの作物の生産性を上げることが一つの方策として考えられていますが、このことは同時に、反応性窒素が環境中への負荷を更に増大することに繋がります。

 反応性窒素は、生態系のバランスの変化など様々な問題を引き起こしていますが、人類がこれを手離すのは化石燃料以上に難しく、より適切なつきあい方が必要とされています。

(にしな かずや、地域環境研究センター 土壌環境研究室 研究員)

執筆者プロフィール

最近、逆流性胃腸炎がぶり返してきました。精神だけは図太いので塞ぎこむことはありませんが、体がストレスでやられているようです。長生きはできないかもしれませんね。いろんな意味で人生のターニングポイントに来ているのかもしれません。座右の銘は“末は博士か、博士は末か”。

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