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環境化学物質による発達期精神神経疾患とDOHaD仮説−中核研究プロジェクト2 「感受性要因に注目した化学物質の健康影響評価」から−

【シリーズ重点研究プログラム: 「環境リスク研究プログラム」 から】

石堂 正美

 近年,環境を経由した化学物質の子供の健康への影響が懸念されてきています。化学物質に対する子供の生体防御系が未完成であると考えられているためですが,本研究プロジェクトでは動物実験を通じて更に詳しく明らかにしようとしています。特に,私たちは化学物質による発達期中枢神経系への影響についてラットを用いた動物実験を実施しております。

 これまで多くの研究者によってなされてきている実験動物での報告では,母親のお腹にいる子どもが化学物質に曝露すると脳の構造や働きが異常になったり,また物を探す行動が異常になったり,感覚器官の働きが異常になったりすることが観察されてきています。更には,生まれたばかりの子どもが化学物質に曝露にすると空間学習がおかしくなる報告もなされてきています。このような報告から,化学物質の生体影響は,その曝露時期に依存した生体の発育段階に大きく左右されるのではないかと考えられるようになってきました。これまでの化学物質のリスク評価は大人の生理学に基づいていることから,子供の健康に及ぼす化学物質のリスク評価法を新たに整備する必要がでてきています。

 私たちは,これまでに内分泌かく乱化学物質や農薬のいくつかを生まれたばかりのラットに曝露すると多動性障害をもたらすことを報告してきています。また,その原因の一つはドーパミン神経の発達障害であることがわかりました。中枢ドーパミンの作用は,歩行運動,情動,注意,意欲,薬物依存に関わっていることから,ドーパミン神経の発達障害が,結果として多動性障害をもたらすことが示されました。これらのことは,次のような実験から明らかになりました。最初に,生後5日齢から雄ラットに内分泌かく乱化学物質(0.6mg)を口から投与しました(写真A)。内分泌かく乱化学物質として樹脂原料であるビスフェノールAを選び,授乳期間中毎日投与しました。離乳後,ヒトの学童期に相当する4~5週齢を待ち,ラットの多動性障害の指標になる自発運動量を測定しました。防音箱に遠赤外線を利用した温度センサーが備えてあり,これがラットの動きを捉えます。主に,移所行動を測定しますが,立ち上がりや身繕いもカウントされます。防音箱の明暗サイクルは12時間ずつにセットし,午後7時から測定を開始しました。夜行性のラットは,暗いところでは動きまわり,明るいところではじっとして動きません。そうしたリズムを有しています。

図 ビスフェノールAの授乳期曝露による成熟期のラット脳でのアポトーシス誘導
 授乳期にビスフェノールAを飲み込んだラット(写真A)は,ヒトの学童期に相当する4~5週齢で自発運動量(暗期12時間当たりのカウント量で表示)を測定してみると多動性障害の行動異常を示した(図B)。更に,多動性障害を示したラットの成熟期における脳ではアポトーシス(細胞死)が認められた(写真D赤矢印)。一方,ビスフェノールAを飲まないラットの成熟期の脳ではアポトーシスは見当たらなかった(写真C)。尺度棒;0.05mm(写真D)。

 測定の結果,ビスフェノールAを口から投与したラットの暗期での自発運動量は,対照ラットのそれよりも約1.3倍有意に増加することが明らかになりました(図B)。この自発運動量の増加は,体内時計の異常や体重の増減によるものではありませんでした。

 このように,ビスフェノールAを生まれたばかりのラットに曝露すると多動性障害という行動異常がもたらされることが明らかになりました。ビスフェノールA以外にも,p-ニトロトルエンで同様の作用が認められました。それでは,多動性障害になったラットの脳の中ではどのような異常が起きているのでしょうか? この問いに対して私たちはドーパミン神経系に着目しました。多動性障害という行動異常ですから,運動を司る神経系の異常に違いないと考えたわけです。生体の運動は,脳の様々な部位での神経活動が協調的にコーディネートされた結果でありますが,最初にドーパミン神経系を調べました。ドーパミン神経に対する免疫組織染色の結果,ビスフェノールAによる多動性障害ラットの脳ではこれらが脱落していることが明らかになりました。ラットのドーパミン神経系は,妊娠中期頃から発生し,生後間もない時期でもシナプスの形成が盛んに行われている段階にあります。更には,脳を守るべき血液脳関門も未完成な状態であるため,化学物質は脳に取り込まれ易くなっています。従いまして,脳に侵入した化学物質は運動を司るドーパミン神経系の発達障害をもたらし,結果的に多動性障害という行動異常をきたすものと考えられます。

 次に,こうしたドーパミン神経の脱落はビスフェノールAの曝露によりアポトーシス(細胞死)が誘導された結果であるかどうかを検討しました。アポトーシスが誘導されると発色(この場合は茶色)するような方法で調べてみますと,写真D(赤矢印)のようにアポトーシス細胞が明瞭に観察されました。この結果は,大変重要な事実を明らかにしています。授乳期における化学物質の曝露が,成熟期においても神経細胞死を促進していることが明らかになったからです。生体外因子によるアポトーシス誘導の意義についてはいろいろな推論がなされていますが,一旦誘導されたアポトーシス細胞は速やかに除去されるという点に関しては研究者の間で一般的に認められています。従いまして,授乳期におけるビスフェノールAの曝露により死んだ若い神経細胞は直ちに取り除かれ,成熟期には完全になくなっているはずです。それでも写真Dのように成熟した脳でアポトーシス(神経細胞死)が観察されるということは,幼若期での神経損傷が引き金となり,その後も神経細胞死が続いていることを示しています。このことは,近年注目されている晩発性疾患胎児期発症説(DOHaD; Developmental origins of health and disease)を想起させます。

 DOHaDの概念はヒポクラテスの時代にもありましたが,1995年に英国のバーカー博士が提唱した仮説により注目されるようになりました。疫学者であるバーカー博士は,疫学調査から母親の胎内での低栄養環境が成人期の生活習慣病の発症に有意に影響を及ぼしていることに気づきました。その後の多くの疫学調査から,さまざまな成人病は母親の胎内での低栄養環境に起因しているのではないかと考えられるようになり,DOHaD仮説に発展しました。栄養環境の他に,ストレス,感染,ホルモン,そして,身の回りの物理化学的環境因子の影響も成人期疾病の発症に重要な役割を演じているのではないかと議論されるようになってきています。

 このDOHaD仮説に立脚しますと,化学物質を生まれたばかりのラットに曝露するとドーパミン神経の脱落が加速し,老人性ドーパミン神経変性疾患であるパーキンソン病の発症に至ると予想されます。パーキンソン病の病因は,ドーパミン神経の約80%が脱落するためといわれています。普通のヒトのドーパミン神経も加齢とともに徐々に減少していきますが,多くの場合,パーキンソン病を発症する前に一生を終えます。一方,DOHaD仮説によりますと,子供の時期にドーパミン神経に損傷を負うことが引き金となり,その後のドーパミン神経が加速度的に脱落していくと仮定します。その結果,60歳前後では生存しているドーパミン神経は20%以下に減少するためパーキンソン病を発症するのであろうと推測されます。

 しかしながら,従来のパーキンソン病モデル動物は成熟した実験動物にドーパミン神経毒を曝露することにより作製されてきており,DOHaD仮説に基づくパーキンソン病モデル動物の報告はこれまでなされていません。本研究で見られたような化学物質の作用を考え合わせますと,幼若期における化学物質の曝露が成熟期になって発症する疾患の原因になる可能性は十分に考えられます。今後,精神神経変性疾患のDOHaD仮説を実証することは,極めて重要な研究課題になってきています。

 

(いしどう まさみ,環境リスク研究センター主任研究員)

執筆者プロフィール

 おそらく倹約表現型仮説のいう発達プログラミングのミスマッチによるメタボリックシンドロームのために水泳をはじめ,その効果も少しずつではじめてきています。