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温暖化への適応策

環境問題基礎知識

高橋 潔

 温暖化対策は,人間活動から排出されるCO2等の温室効果ガスを削減し,大気中の温室効果ガス濃度の上昇を抑えて,温暖化の進行を食い止めるための「緩和策(排出削減策)」と,我々の生活・行動様式の変更や防災投資の増加といった自然・社会システムの調節を通じて温暖化による悪影響を軽減する「適応策」に分けられる。しかしながら,国際的にも国内的にも,温暖化対策として緩和策が先行的に取り扱われてきた。実際,気候変動枠組み条約・京都議定書でも,温暖化対策として緩和策・適応策の両方を掲げているものの,緩和策のほうにより重きが置かれ具体的な規定が多い(例えば,京都議定書では先進国の排出削減の数値目標を定めているが,実施すべき適応に関する数量的な目標は定められていない)。その理由の一つには,緩和策が気候の影響を受けやすい全ての分野への影響を同時に軽減するのに対して,適応策は限定的な分野のみにしか効果が無いことが挙げられる。つまり,急激な温暖化が起きた場合,農業,水資源,健康,自然植生といった様々な分野への影響が世界各地においてあらわれると予測されているが,緩和策により温暖化の進行を抑制した場合には,それら多分野・他地域にわたる影響のそれぞれが同時に軽減されることになる。一方,適応策は,例えば温暖化により渇水が起きやすくなると見込まれる地域で貯水池を建設したり,高温により農作物の発育が悪くなる地域でより高温に耐性のある農作物に栽培種を変更したりというように,基本的に分野・地域を特定して施される対策であり,その効果が及ぶのは対策の対象となった分野・地域に限定される。また,緩和策が先行的に取り扱われた別の理由としては,適応策のみによって温暖化を乗り切ることは不可能であるとの見込みが当初よりあったことが挙げられる。歯止め無く温室効果ガスを排出して温暖化が急速に進行した場合,一部の分野・地域の影響は適応により十分和らげることができるが,その他の分野・地域では最大限の適応を行ったとしても許容しがたい悪影響が残ってしまう。例えば,温暖化により動植物の生息に適した地域が変化すると考えられているが,急激に温暖化が進んだ場合,実施可能な適応策を全て講じたとしてもその影響を完全に回避することができず,生息に適した地域を失った動植物が死滅する可能性が指摘されている。また,適応能力(必要に応じて適切に適応策を講ずる能力)には,個体差・地域差があり,例えば温暖化により自国の農業生産に悪影響が及ぼされた場合に,裕福な先進国の住民は他国からの食料輸入を増やすことで従来どおりの食生活を維持できるが,途上国の貧困層は財政的な制約から同様の適応策を講ずることができず,飢餓の危機に直面することになる。以上のように,適応策のみではあらゆる温暖化影響を回避することはできないため,温暖化対策全体の中で,適応策は削減策を補完するものとして位置づけられている。

 このように,緩和策に比べて取り組みが遅れ気味であった適応策であるが,その重要性に対する認識が,昨今急速に高まりつつある。その理由の一つとしては,排出削減努力を最大限行っても気候変化は完全には抑制できないため,なんらかの影響の発現は免れえず,特にその影響は適応能力の小さい途上国で早い時期に顕在化することが研究により示され,途上国の適応能力を向上させるための取り組みが緊急課題であるということが多くの政策決定者により理解されるようになってきたことがある。また,前もって計画的に適応を行うことで影響があらわれた後の事後対処的な適応のみを施す場合に比べて影響被害額と適応対策費の総和を抑えることが可能なケースがあることや,長期の気候変化を見据えた計画的な適応が副次効果的に現在の異常気象災害のリスクを軽減する場合が多いと認知されてきたことも,適応への注目が高まってきた一因である。例えば,海面上昇による高波被害の増加が懸念される海岸地域のリゾート開発を考えた場合,海面上昇のことを考慮せずに開発を進め,将来に海面上昇による高波被害の増加に直面してから防波堤等の建設による被害の軽減を図るという事後対処的な適応よりも,将来に予期される海面上昇を考慮して高波被害の増加が懸念される地域については開発の対象とせず,より立地条件の好ましい地域を探すという事前計画的な適応の方が,総費用で見た場合に有利な場合もある。また,同じ地点で開発を行うにしても,将来の海面上昇による高波被害増加を見越して早期から防波堤建設を行うことで,現状において台風などにより時々発生する高波被害の頻度・規模も同時に軽減することが可能であるため,適応策の検討にあたってはその効果も含めて考える必要がある。

 適応策への注目の高まりに応じて,適応策を対象とした研究が増えつつあるが,それらは目的により大きく2つのタイプに分類することが可能である。一つ目のタイプの研究の目的は,「ある適応策を施した場合,温暖化影響はどの程度軽減することが可能であるか?」という問いに答えることである。この問いに答えるためには,主として計算機モデルを用いたシミュレーション分析が用いられてきた。その特徴としては,気候モデルにより予測される将来気候シナリオを入力前提として用いて,温暖化による将来の影響を,適応策の効果を考慮しつつ見積もるという点があげられる。適応を施しても深刻な影響が残ってしまう程大きな気候変化は避けねばならない。この種の研究により得られた知見は,温室効果ガス排出削減政策を議論する際に,許容可能な気候変化の上限を検討するために用いられる。

 一方,二つ目のタイプの研究の目的は,「ある地域・分野にとって,社会的・環境的側面からみて適切な適応策は何か?」といった質問に答え,対象地域・分野の影響被害を軽減するのに適した適応策を,選択・促進・実施することである。「社会的・環境的側面からみて適切な適応策」は,影響軽減効果の大きさ,経済効率性,公平性といった基準に照らして計られるが,基本的に地域状況の詳細な把握が必要であり,利用可能なデータの制約から定量的な評価が困難である場合が多い。また,(温暖化以外を対象とした)上位の既存政策との関わりや適応実施による他への二次的影響等の勘案も必要であり,その評価方法は一般化が困難である。影響削減効果の大きな適応策であっても,適応策を施さない場合の影響被害の大きさに比べて適応の実施費用が莫大であれば適切とはいえないし,また国全体で集計してみるとメリットがある場合でも,内訳を見た場合に得をする人と損をする人に大きく分かれてしまうような適応策は公平性の点から見て適切とはいえない。また,貧困削減,災害対策,産業発展等に関する既存の上位政策と相容れない適応策は採用が困難である。地域別の事情を理解したうえで,適切な適応策を選択・促進・実施する必要がある。

 以上のように適応研究は大きく2つのタイプに分類されるが,温暖化問題の解決に向けては,両タイプの適応研究がともにバランス良く進められていく必要がある。

(たかはし きよし,社会環境システム研究領域)

執筆者プロフィール:

1996年入所,山形県出身。数年前に雑念を排し研究に没頭したいとの願いから頭を丸めたのだが,現在では月に一度頭を刈るのが習慣化してしまい,雑念を排す効果はほとんどなくなっているようである。副次効果として,海外・国内問わず,初対面の人に顔を覚えてもらえる効果はあるようなので,それで良しとしている。