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化学物質環境リスク評価におけるバイオアッセイの役割

シリーズ政策対策型調査・研究:「化学物質環境リスクに関する調査・研究」から

青木康展

 30年ほど前の真夏のある日,東京都内で運動中の生徒が倒れるという事件があった。この事件の原因は都市大気中で生成された光化学オキシダントであるとわかった。この出来事はエポックメイキングであった。多くの人に,環境汚染が知らぬ間に健康に影響を与えるまでに悪化していることを身近な問題として認識させた。光化学オキシダントの物質的な実態の一つがプロピレングリコール・ジナイトレートであることは,その後,国立環境研究所の研究者により明らかにされた。しかし,都市大気中に未知の有害化学物質(光化学オキシダント)が,人の健康に影響を与えるレベルまで高くなろうとは,実際に健康被害が発生するまで誰も想像しなかったのである。多くの人々の努力により,確かに私たちを取り巻く環境は大きく改善した。しかし,現在私たちを取り巻く大気や水環境中に,私たちの健康に影響を与え得る化学物質が今まさにどの程度の量存在するのであろうか? 依然として重大な問題である。環境中に存在する有害化学物質の検知にバイオアッセイ法の研究・開発は大きく貢献する。本稿では,化学物質環境リスク評価におけるバイオアッセイの役割と,我々の研究の方向性について紹介したい。

 化学物質環境リスク研究センターは昨年4月に国立環境研究所の独立行政法人化に伴い政策対応型研究センターとして新設された。本センターの目的は,化学物質環境リスク管理がより的確に行えるように,高精度なリスク評価手法を開発する研究を進めることである。また,研究活動と並んで,化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)に基づく化学物質の審査への貢献,環境汚染物質排出・移動登録(PRTR)に基づく化学物質関連情報の提供方法の検討など,環境行政の支援も重要な活動である。実際,現在進められようとしている既存化学物質(化審法制定以前に製造・輸入が開始された化学物質)の見直し作業にも我々はかかわっている。さて,私ども健康リスク評価研究室の主な研究課題は,化学物質に対する感受性を決定する遺伝的要因の解明と,化学物質環境リスクを評価するバイオアッセイ手法の比較・評価を行い実用化に向けた研究を進めることである。

 バイオアッセイの一般的な邦訳は生物検定法である。文字通り微生物や培養細胞,場合によっては生物個体の化学物質に対する応答を利用して化学物質の作用を検出・定量する方法である。バイオアッセイを用いれば,構造が未知であっても生理活性から化学物質の定量化が可能である。この手法自体は医学・薬学の世界では古いものであり,例えば,細菌の増殖阻害を利用した‘バイオアッセイ’により抗生物質の探索と精製が行われてきた。ペニシリンやビタミンの分量を重量ではなく,何ユニットとバイオアッセイで求めた生理活性に基づいて表示するのはその名残である。また,化学物質の構造にかかわりなく,同じ毒性を示す化学物質群をまとめて活性を基に定量化できることもバイオアッセイの利点である。後述のように,ダイオキシン同族体の分析への有効性は既に指摘されている。

 このバイオアッセイは化学物質リスク評価において主に2つの場面で用いられている。第一が化学物質の毒性評価である。実際,化審法に基づいて新規化学物質を指定化学物質とするかを審査する際に,サルモネラ菌を用いた復帰突然変異試験(いわゆるエイムス試験)と培養細胞を用いた染色体異常試験という2つの遺伝毒性(変異原性)試験がバイオアッセイとして化学物質の有害性評価に重要な役割を果たしている。

 第二は環境中に存在する有害化学物質の検出である。例えば,先に述べたエイムス試験を利用して,環境中に存在する化学物質の変異原性検出が進められてきた。また,当研究所においても特別研究「環境中の化学物質総リスク評価のための毒性試験系の開発に関する研究」(平成10~12年度)が実施され,化学物質環境リスク評価へのバイオアッセイ手法の適用について多大な成果が挙げられた。従来,環境中の化学物質は主に機器分析により,メスで切るように精密に検出されてきた。しかし同時に私たちは,詳細な成分がわからなくとも環境中の化学物質が示す毒性の程度を知りたいのである。そこで,バイオアッセイにより大気や水環境中に存在する種々の化学物質が,相加的あるいは相乗的に示す有害作用をナタで切るように大まかに把握する発想が生まれた。しかし場合によっては,環境を精密にとらえるときにも有効な手段となり得る。実際,国立がんセンターの研究として京都・桂川水系中の変異原物質の検出がエイムス試験により進められ,その1つがアゾ色素系の染料に由来すると同定された。この知見は水質汚染対策にも大いに貢献したと聞く。我々は次の手順に従って研究を進めようとしている。

1) 環境から被る健康影響を把握するに適したバイオアッセイ法を選択する

 多くのバイオアッセイ法は試験管内の試験法であり,一方,化学物質が人の健康に及ぼす影響はあくまで人体でおこる問題である。両者で観察している現象の乖離はやむを得ない面もある。しかし,化学物質の毒性発現メカニズムに基づいたバイオアッセイ法を利用すれば,環境中の化学物質が健康に及ぼす影響のより実際的な把握が可能となる。今まで,国立環境研究所が関与してきたプロジェクトの知見を整理してみると,①遺伝毒性試験(エイムス試験など),②ダイオキシン類や内分泌撹乱化学物質(受容体を介した選択的遺伝子発現を利用した試験法,例えば酵母ツーハイブリッド法など),③細胞骨格(細胞の形と機能を決定する基本構造)を介した毒性発現を検出するバイオアッセイ(前述の特別研究の成果報告参照)等がこれに適している。化学物質の遺伝毒性と発がん性にはよい相関が認められ,健康に及ぼす影響の観点から重要である。また,これら従来から知られるバイオアッセイ法を環境の分析に適すように改良あるいは簡便化する必要がある。

 さらに,新しい原理に基づくバイオアッセイ法開発の必要性も痛感される。例えば,最近大きな研究の進歩が見られる細胞内シグナル伝達系の反応は活用できないであろうか。

2) バイオアッセイによる化学物質の有害性評価と生物個体での有害性の突き合わせ

 バイオアッセイで有害性を示す化学物質が環境から体内に摂取されたとき,生体には如何ばかりの影響が及ぶのであろうか。例えば,都市大気の浮遊粉塵抽出物にはエイムス試験により変異原性が検出される。変異原性とは化学物質が突然変異を起こす性質である。それでは如何ほどの量の浮遊粉塵を吸い込んだとき,人体内で突然変異が引き起こされるのであろうか。もちろん,人で直接調べることは極めて難しいため,動物実験で突き合わせすることになる。この突き合わせには,これまで環境健康研究領域で積み重ねてきた遺伝子導入動物などを用いた個体レベルでの変異原性検出法の研究が生かされることになる。マウス・ラットなど実験動物の結果から人への外挿には薬物動態モデルの活用が必要になるであろう。

 大気からの有害化学物質の暴露は呼吸器への直接作用が主であるため,大気成分のバイオアッセイの結果から人への影響の推定を論理立てて進めることは可能と思われる。しかし,環境水から有害化学物質を人が直接摂取する可能性は一般には低く,水環境中の有害化学物質の影響推定はかなり複雑である。しかし,水環境中に人の健康に有害な成分が存在することを明らかにし,環境の管理を進めていく上でバイオアッセイは有効である。

3) バイオアッセイによる環境モニタリングの実施

 ケーススタディーとしてバイオアッセイを利用した組織的な環境モニタリングを実施したい。また,バイオアッセイのデータ(モニタリングの結果など)を,化学物質の環境動態あるいは体内動態モデリングの中にどのように組み込んでいくかは大きな課題である。また,紙面の都合上,本稿ではバイオアッセイの環境管理への活用に触れることができなかった。お許し頂きたい。私自身は実験科学者として育ってきた。実験とは自然を切り取る作業である。実験の良し悪しは,いかに普遍的な自然の現象をとらえ,自然科学の論理の構築に貢献したかにより決まる。バイオアッセイにより環境をどのように切り取れるか大いに期待している。

 (あおきやすのぶ,化学物質環境リスク研究センター,健康リスク評価研究室長)

執筆者プロフィール

 埼玉県生まれ,大学では昆虫の変態の生理・生化学を研究,今や死語となったオーバードクター(ポスドクではない)を短期間経験した後,当時の国立公害研究所に採用される。当初は重金属の毒性研究に従事していたが,長期海外出張後,一念発起してコプラナーPCBの毒性研究を始める。その後,変異原性検出用遺伝子導入ゼブラフィッシュ開発を通じてバイオアッセイによる環境モニタリングの重要性に目覚める。趣味は音楽と庭いじりということにしているが実際にはほとんどできないのが残念。平成13年4月より現職。