ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

湖沼において増大する難分解性有機物の発生原因と影響評価に関する研究

研究プロジェクトの紹介(平成11年度終了特別研究)

今井 章雄

 1980年代後半から,琵琶湖,霞ヶ浦,十和田湖等の多くの湖沼において,流域発生源対策が精力的に行われているにもかかわらず,湖内の溶存態有機物量,すなわち溶存態の化学的酸素要求量(COD)濃度が徐々に増大する傾向が観察されている。何らかの難分解性の溶存有機物(dissolved organic matter, DOM)による水質汚濁が進行している。この難分解性DOM濃度の上昇は,環境基準の達成を困難なものとし,湖沼生態系に大きな影響を及ぼすと予測される。また,水道水源としての湖水に着目すると,浄水塩素処理プロセスで生成される発ガン物質トリハロメタン等による健康リスクを増大させると危惧されている。湖沼環境および水質保全上,この新しいタイプの有機汚濁現象を早急に把握する必要がある。

 このような背景のもとに,標題の特別研究を平成9~11年度に実施した。本研究は,霞ヶ浦を対象として,課題[1]湖水中に蓄積する難分解性有機物濃度の発生原因の解明に関する研究および課題[2]湖水中で増大する難分解性有機物の湖沼生態系や水道水源としての湖水水質に及ぼす影響の評価に関する研究の2課題について実施した。ここではその成果の概要を紹介する。

 課題[1]では,我々は,DOMが複雑で不均質な混合体であることを考慮し,典型的な難分解性DOMであるフミン物質(疎水性[水を嫌う性質]の有機酸で極めて難分解性,天然水中のDOMの30~80%を占める。一般に土壌有機物,陸上・水生植物やプランクトン由来と言われている。)の分離に基づく,易分解性-難分解性,疎水性-親水性,酸性-塩基性の違いによってDOMを分画する手法を開発・確立した。DOM 濃度は溶存有機炭素(dissolved organic carbon, DOC)で表した。この分画手法を湖水,流入河川水や流域水(水田流出水,生活雑排水,下水処理水等)に適用した結果,湖水DOM, 難分解性湖水DOMの特性や動態がかなり具体的な形で明らかとなった。すなわち,霞ヶ浦で蓄積・漸増する主要な難分解性DOMは,フミン物質ではなく,分子量わずか600の親水性酸であった(図)。親水性酸は冬期において極めて難分解性となり,その濃度は増大した。湖水中の難分解性DOMの発生源として,下水処理水の寄与が無視できないほど大きかったことは興味深い結果であった。半定量的であるが,霞ヶ浦湖水でのDOM物質収支から,下水処理水の寄与は春先に約20%にも達することがわかった。また,湖水フミン物質の発生源としては水田流出水の寄与が大きいと推察された。

動態のグラフ
図 霞ヶ浦湖心における溶存有機物(DOM),フミン物質,親水性酸および難分解性DOM,フミン物質,親水性酸の動態(1997年)

 課題[2]では,フミン物質の植物プランクトンの増殖・種組成に及ぼす影響とDOM等のトリハロメタン生成能を評価した。フミン物質は必須元素である鉄との錯化反応を介してラン藻類の増殖を抑制し,その種組成に大きな影響を及ぼすことが明らかとなった。実験結果から,現在の霞ヶ浦では,アオコを形成するラン藻ミクロキスティスは増殖できないと示唆された。この仮説は,1987年以降,霞ヶ浦ではミクロキスティスが優占種ではなくなった事実と一致する。トリハロメタン生成能についても興味ある結果が得られた。すなわち,湖水では,従来代表的と考えられていたフミン物質よりも,親水性 DOM(=親水性酸+塩基物質+親水性中性物質)のほうがトリハロメタン前駆物質として重要であることが明らかとなった。フミン物質だけでなく難分解性で低分子の親水性DOMにも着目した浄水処理対策が必要と言える。

 本研究では,DOM濃度を表す指標としてDOC を採用した。読者は,「CODの漸増現象を研究しているのに,なぜCODを使わないのか?」と疑問に思うかもしれない。しかし,COD(過マンガンCOD)には加算性がない(1+1≠2)。湖水COD が漸増しているからといって,厳密な意味では,COD濃度の漸増現象がDOM濃度の上昇によるものか,DOMの質の変化によるものか区別ができない。すなわちCODでDOM濃度を表すのは適当でない。DOC等の物質収支の扱える指標の導入が必要である。過去30年近いデータの膨大な蓄積のある指標を変えることは難しいかもしれないが,CODをこのまま使い続ければ対策や研究を不明瞭なまま継続してゆくことになるだろう。ちなみにCODを反対から読めばDOCとなる。見方を変えれば指標変更も簡単なことかもしれない。

 今回の研究によって湖水中の難分解性DOMに関する定性的な理解がかなり深まった。この研究成果は,難分解性DOM対策として,下水処理場,浄水処理場および田面水管理の在り方に一石を投じると期待される。例えば,下水処理場の場合,適正に運転管理されているとしても湖水中の難分解性DOM濃度を上昇させる可能性がとても高い。すなわち,現在の下水処理場の処理レベルでは湖水難分解性DOM問題に対応できない。湖沼環境保全のためには,新たな処理プロセス導入による高い処理レベルの達成が求められる。

 今後,流域を含めた湖沼環境管理に関する明白で具体的な施策やその立案に資するために,物質収支アプローチによるDOM発生源の定量的算定,底泥からのDOM溶出メカニズムの解明,DOMの機能・影響の定量的な評価等に関する研究を進展させる必要がある。再現性のある定量的なデータに基づく研究成果は施策に大きなインパクトを与えるだろう。

(いまい あきお,地域環境研究グループ湖沼保全研究チーム総合研究官)

執筆者プロフィール:

テキサス大オースチン校博士課程修了。草野球が好きです。2種類のカーブ,スライダー,シュート,シンカーそしてフォークが投げられます。左の強打者をカーブとスライダーでツーストライクと追い込み,内角高めボール球のストレートで目線を上げ,最後に外角低めにシンカーを落として「ヒョイ」と三振をとるのがたまらなく好きです。