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3次元化学−輸送モデルの開発

研究ノート

秋吉 英治

 化学-輸送モデルは,オゾンなどの大気微量成分の空間分布と変動を再現する数値モデルである。大気中で生じる化学反応による微量成分の生成・消滅と輸送の両方の効果を同時に計算することができる。オゾンホールなど,化学過程によるオゾンの破壊と,中緯度地方から南極へのオゾンの輸送との間のバランスの微妙な変化によって生じる現象の解明などに大いに役立っている。最近のコンピュータの発達によって,オゾンのみならず様々な大気微量成分の全地球空間分布と長期間にわたる時間変動を計算することが可能になってきた。日本でも化学—輸送モデルの開発を独自に行って,モデルを持つことが必要である。なぜなら,この種のモデル開発には,大気中で複雑に絡み合った個々のプロセスをひとつひとつ丹念に理解していくことと,その個々のプロセスを全体にまとめて調和させ,現実大気に近い状態を実現させることの両方が必要であり,この両方を熟知していなければ,個々のプロセス間の複雑な相互作用の結果としての観測事実と,モデルによる計算結果との比較はあまり意味のないものになると思われるからである。また,このモデルをベースにして何か新しい方向へモデルをさらに発展させるにしても,モデルが手元にあっていつでも改造できるということは重要である。そこで数年前からこの種のモデルの開発を始めた。東京大学気候システム研究センターと共同して,大気大循環モデルと呼ばれる3次元大気の運動や降水を取り扱う気象・気候モデルに,成層圏で必要な,オゾン,水素化合物,窒素化合物,炭化水素,塩素化合物,臭素化合物などにかかわる約150種類の光化学反応過程を導入した。

 この3次元化学モデルの基本設計方針は,「光化学反応を計算するのに必要な量は,なるべくモデルの中で計算すること」である。例えばオゾン濃度を計算するのに必要な紫外線の量,気温,水素化合物,窒素化合物,塩素化合物などの量は,モデルの中で計算された値を用い,計算されたオゾン量は,モデル大気の気温を計算するのに使われるようにフィードバックをかける。現実大気で実際に生じているであろう,物質の局所的な化学的生成・消滅と,物質輸送や太陽放射・地球赤外放射などの遠隔作用との複雑な絡みをモデルで再現するためには当たり前のことのように思えるが,これがなかなか難しい。モデルに使った計算手法の欠陥や,科学的にまだよく把握されておらずモデルにもまだ取り込まれていない過程が存在するなどの理由により,モデル大気が,現実大気とは多少食い違った状態に落ち着いてしまうことがしばしば起こる。複雑な化学反応がいろいろ絡んでくると,何が悪くて現実離れした結果を生じてしまったのか容易に見つけられなくなる。しかし様々な困難を乗り越え,これまでかなりの程度までこの種の日本のオリジナルモデルの開発に成功して,オゾンの空間分布・変動の再現や,火山爆発後のエアロゾルの気候とオゾン層に及ぼす影響などの研究を行ってきた。このモデルが,特定の日の大気微量成分の分布を再現できるかどうかを調べるために,モデルに気温と風速の観測データをインプットしながら化学-輸送計算を行ってみた。図は,この計算によって得られた1997年3月26日の北極域のオゾンの高度積算値の分布とADEOS衛星に搭載された TOMS(Total Ozone Mapping Spectrometer)という測器による観測値である。この計算では,極成層圏雲と呼ばれる極域オゾン破壊に重要な役割をする雲の表面上での反応過程(不均一反応と呼ばれている)は含められていないが,北極域の中心部を除き,観測されたオゾン分布をよく再現している。北極の中心部以外では,この日のオゾン分布は大気中の輸送過程のみで大部分説明可能なことがわかる。このように,ある程度現実を再現できるようなモデルが一旦できてしまうと,逆に幾つかの過程をモデルから取り去ってその影響を推測することも可能である。複雑な化学反応と輸送が絡む地球大気中で生じる現象の解明には,このようなやり方も有効であろう。今後は,より詳しい不均一反応過程をモデルに取り入れて,温室効果ガスやハロゲンガスの変動が,気温,輸送,化学反応の変動を通してオゾン層にどのように影響していくのかを調べていきたい。

図:高度積算値の分布
化学-輸送モデルで計算された,1997年3月26日の北極域のオゾンの高度積算値の分布(上)とADEOS /TOMS による観測値(下) 単位はドブソンユニット(地上から大気上端までのオゾン量の単位面積当たりの積算値で,0℃,1気圧の標準状態にしたときの高さ(atm-cm)× 1000を表す)。

(あきよし ひではる,地球環境研究グループオゾン層研究チーム)

執筆者プロフィール:

福岡県出身。九州大学理学部物理学科卒。