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空中浮遊微粒子(PM2.5)の心肺循環器系に及ぼす障害作用機序の解明に関する実験的研究

研究プロジェクトの紹介(平成11 年度開始特別研究)

鈴木 明

 近年になって,粒子の直径が2.5ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)以下の空中浮遊微粒子(SuspendedParticulate Matters ;SPM),すなわちPM2.5(ParticulateMatters 2.5 )と心臓・循環器疾患による死亡率との間に非常に高い相関性が存在することがアメリカやイギリスからの多くの疫学研究によって示され,その健康影響の重大性がにわかにクローズアップされてきた。しかし,この両者間の因果関係の実験的証明はまだなされておらず,その証明はこれからの研究にかかっている。

 空中浮遊微粒子というと難しく聞こえるが,空中に漂うほど小さい粉じんと言うとわかったような気になる。しかし,その小さい粉じんが循環器に影響するとなると「なぜ?」という質問が聞こえてきそうである。現在,この「なぜ」についてはほとんどわかっていない。この「なぜ」を明らかにすることがこの研究の目的の一つといえる。

 空中浮遊微粒子は数十ミクロンから1ミクロンの100分の1の大きさまでの粒子で,多種多様な物質を含んでいると考えられている。呼吸によって吸入される空中浮遊微粒子のうち,数十ミクロンの大きい空中浮遊微粒子は鼻や喉に付着し,咳やタンとして体外に出される。また,10分の1ミクロンより小さい空中浮遊微粒子は吸気によって気管や肺内に入っても,ほとんど付着せず,呼気によって体外に出てしまう。結局のところ,鼻,喉や呼吸器内には10ミクロンから10分の1ミクロン程度の大きさの空中浮遊微粒子が付着あるいは沈着することになる。また,最近の疫学調査から2.5ミクロン以下の空中浮遊微粒子(PM2.5)が大きな健康影響をヒトにもたらすことが指摘されている。

 この呼吸器に入る空中浮遊微粒子が無害の場合は問題がないが,金属微粒子や粒子の周りに有害な化学物質が付着している場合は,呼吸器疾患を主体とした健康影響が考えられる。たとえば,ディーゼル排気は大量の粒子状物質を含み,肺がんやアレルギー性鼻炎,気管支ぜん息を引き起こす原因になることが明らかとなってきた。さらに,ディーゼル排気の吸入は実験動物の精子数の減少を引き起こすことや心臓の心内膜に炎症を起こすことが認められた。このことから,空中浮遊微粒子が健康への悪影響をもたらすことが推測される。

 そのため,空中浮遊微粒子(PM2.5)と心肺循環器疾患との間の因果関係を実験毒性学的に明らかにすることにより,実際の微粒子汚染の健康影響をより正確に把握することができる。特に,大気汚染が心臓・循環器系に及ぼす影響に関する研究はこれまで,全くと言って良いほどなされておらず,今後の重要な研究分野であることが指摘されている。

 本研究の特色として,空中浮遊微粒子(PM2.5)としてディーゼル排気(Diesel Exhausts ;DE)あるいはディーゼル排気微粒子(Diesel Exhaust Particles ;DEP)を使用して健康への影響を研究しようとしている。空中浮遊微粒子(PM2.5)の成分構成は国によって異なり,欧米では主に鉱山で発生する微粒子や石炭の燃焼によって発生する粉塵などが問題になっているが,日本では,総空中浮遊微粒子のうち環境庁資料では約20%(全国平均)が,また,東京都の資料によると約40%(東京都)がDEP に起因すると見積もられている。DEPの二次生成物まで考えると大都市部の空中浮遊微粒子の過半がディーゼル排気に由来するものと推測され,欧米の空中浮遊微粒子と成分構成が異なる。また,土壌砂じんなどから発生する自然界の空中浮遊微粒子は発生源と発生量のコントロールができないが,人工的産物であるDEPは政策や技術開発等によって,その発生をコントロールできる物質なので,その毒性を知ることは環境保全対策の上で有意義であるといえる。従って,日本では,この空中浮遊微粒子(PM2.5)の健康影響を研究する上でDEPの健康影響を明らかにすることは重要なことであると考えられる。

 そこで,本研究では日本の大都市部のPM2.5の主要部分を占めるDEPを対象物質としてディーゼル排気の暴露実験と組織培養を含む細胞レベルの実験を組み合わせることにより,そのDEP の中のどの物質がどのような機序で心肺循環器系に障害を及ぼしているかを明らかにし,「なぜ」の答えを出そうとしている。

 このための方法として,本研究では,実際に動物を吸入暴露して,呼吸器を介して生体内に入ったDEPがどのように心臓や循環器に影響を及ぼすかを探る実験系と,DEPを静脈や皮下あるいは腹部に注射し,DEPが心臓や循環器系にどんな作用を持っているか直接調べる実験系を考えている。前者では,実際の大気汚染に近い状態で影響を調べることができ,心電図学的解析,心肺機能の電気生理学的解析によって,心臓・循環機能への影響がわかり,さらに病理学的分析によって組織や細胞の傷害が確かめられる。また,後者は,実際の大気汚染と異なり,DEP の心臓・循環器に対する毒性とそのメカニズムを調べることに重点が置かれ,1000種類を超すDEPの成分を系統的に抽出分画し,影響の出た分画中の成分をたどることによって,有害な成分を見つけだそうというもので,薬理学的作用による心肺循環機能異常の解析や各構成細胞の傷害作用機序の解明そして免疫系を介した組織傷害作用の解析を行う予定である。

 また,現実のPM2.5の生体影響を知るために,実際の大気を動物に暴露して同様な解析をすることが必要であるが,大気中のSPMだけを濃縮する技術の確立が遅れているために,直ちに動物吸入実験ができない。本特別研究の後半には,実際の大気中の空中浮遊微粒子(PM2.5)を濃縮し,動物暴露実験を行いたいと考えている。

 これまで疫学的研究によって得られている知見を確認し,PM2.5の生体影響を実験的に明らかにすることによって,最終的にそれらの影響指標の量と反応の関係を解析し,ヒトのリスク評価に資する研究としたいと考えている。

(すずき あきら,地域環境研究グループ大気影響評価研究チーム主任研究員)

執筆者プロフィール:

いわゆるディーゼル特研チームに異動して1年あまり,エンジンと計測器は調整していれば文句を言わずに動くと思っていたが,マウス250匹の飼育より大変だと気が付いたのがこの夏である。熱いと言っては止まり,潤滑油が足りないと言っては止まる。また,コンピューターが不調のときは分析データーが記録できない。ディーゼル暴露実験の成否は実験者の熱意と相関があるらしい。帰るときエンジン音を確かめ,翌朝,エンジン音のリズムを聞くのが日課となってしまった私である。