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大気や降雪中の鉛の同位体比が語るもの

研究ノート

向井 人史

 ここ数年来,各地の大気粉塵や降雪中の鉛の同位体比を測定している。なぜ鉛同位体比に興味を持っているかと言うと理由は二つある。一つにはその地域の鉛の発生源の調査ができるという点である。二つ目には大気汚染物質の地域間での移動をトレースする情報としてしばしば利用できるという点である。

 鉛同位体比がどうして発生源の調査に有効かと言うことを説明するには,なぜ鉛の同位体比が異なるのかを説明する必要がある。鉛という元素は4つの同位体(質量数:204,206,207,208)を持っている。地球の材料となっている元素が形成した時点でそれぞれの同位体はある比率を持って存在していたと考えられる。しかし,地球上に存在する放射性元素であるウランとトリウムの崩壊は,最終的に質量数206,207,208の鉛を新たに形成するため,これらの同位体は時間とともに増加することになる。ウランとトリウムの崩壊速度は決まっているので,これらの同位体間の比の変化量はウランとトリウムが鉛という元素の回りにどれだけの量存在するか,またその環境の持続時間に依存する。鉛鉱物が形成されると,その時点で鉛だけが濃縮され,ウランとトリウムから分離されるので同位体比の動きはその時点で停止することになる。したがって,大昔に形成した鉛鉱山の鉛同位体比はウラン,トリウムからの鉛の寄与が相対的に少ないということになる。日本列島は比較的新しい時代に形成されているので,日本での鉛鉱山の鉛はウラン,トリウムからの鉛の寄与が相対的に大きいという鉛同位体比になっている。このように鉱山の鉛はその形成過程や時代によって異なる同位体比を持っている。さらにつけ加えるならば,石炭や地殻中に含まれる鉛は,ウラン,トリウムからの鉛の寄与を今でもなお受け続けているので,さらにそれらの寄与が大きい同位体比を示すことになる。

 環境化学的にはこのような鉛の同位体比の違いを利用し,大気中の鉛の起源を明らかにすることをめざしている。世界中で有鉛ガソリンが用いられていたころは,大気中の鉛の同位体比は,その地域で使われている有鉛ガソリンの鉛の同位体比の値と合致していたことが知られている。ところがアジア域でのデータはかなり少なく,現在の値となると皆無である。地域的にどのように鉛の発生源が変化しているかは,有鉛ガソリンの規制とともに重要な関心事であるので,同位体比を用いてこれらの情報を得ることは非常に有益である。

 現在,中国やロシアでの都市の鉛同位体比を測定しつつあり,各都市ごとの特徴が現れてきている。特に石炭燃焼からの寄与が考えられる中国では,季節変化や石炭に特徴的な同位体比などが観測されている。またロシアのある都市では,金属精錬の寄与(鉛の精練かどうか不明)と思われる特徴的な値を持つ場合も検出されている。

日本近郊の地図と調査結果の図
鉛同位体比調査結果の状況

 さて,第二番目の視点についてはどうであろうか。これまでの研究で,隠岐島に輸送されてくる大気粉塵中の鉛同位体比を測定し,その輸送気団のルートによって異なる同位体比が現れるということを明らかにしてきた。これを利用すれば,逆に同位体比を用いて汚染の発生源地域を色分けすることができる。最近,より広い範囲でこのことを調査するため,日本各地の雪中の鉛同位体比を測定した。北海道から島根県まで広い範囲で雪を採取したにもかかわらず,気団の経路ごとに整理すると,同位体比はこれまで隠岐島で観測した傾向と非常によく似た傾向にあることがわかった。つまり,鉛同位体比は,長距離輸送されてくる汚染を捕らえるのに有効な指標ということが示されたわけである。

 さらにこの調査から新たに見つかったこと(疑問?)があった。それは新潟から青森にかけての雪で,時々これまでのデータと異なる点が出現するという観測事実である。これに関しては,興味ある推論を立てることができる。実はロシアの極東域には1つ鉛鉱山がある。これが,調べてみるとロシアの他の鉛鉱山と異なる鉛同位体比をもっているらしいのである。また,ここの鉛生産量はロシアの中でも少なくない。もしこの施設からの排煙が日本の雪に観測されているとすると,これまで石炭燃焼とのつながりばかりを考えていた長距離輸送現象も新たな広がりを持って考えねばならないことになってくる。しかし現在まだ確証はない。他の要因も十分考えられる。たとえば,中国の鉛同位体比が季節変化していることもその一つである。中国北東部では冬季により多くの石炭を使うので,より石炭の値に近い鉛同位体比になる。その変化の方向は観測されている例外的な鉛同位体比の変化の方向と一致している。しかし困ったことに,石炭フライアッシュのような大きな粒径のものは大気中を輸送されている時には除去されやすく,最終的にどの程度石炭燃焼が同位体比に影響を与えているかはそのときの輸送状況によっても異なり解釈はそう簡単ではない。したがって,今後この推論を確かめるべく次なる調査を期待したいところである。

(むかい ひとし,地球環境研究グループ温暖化現象解明研究チーム)

執筆者プロフィール:

出身:徳島県。最近の研究テーマ:二酸化炭素や大気粉塵の動態。最近の趣味:ウクレレ。