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異をとなえるか理をとなえるか

巻頭言

副所長 合志 陽一

 30年以上も前のことになろうか,研究者仲間の議論で鮮明に憶えていることがある。当時は,大量消費の時代に入りだしており,消費は美徳とばかりに如何にモノやエネルギーを大量に供給し,使うかで政府も産業も努力しており,ブレインストーミングで研究テーマについてよい知恵は出ないかという試みであった。新しいテーマの提案が沢山出たが,1人だけ風変わりなことを言った男がいた。「皆,電気を使う研究を提案しているが,どうすれば使わなくて済むかという研究を始めてみたらどうか」。そこは電機会社の研究所であったからか,まじめに検討されることはなく一笑に付され,その人は変人の部類とみられることになった。さて,それから数年たち,さらに現在に至るまで,2度のオイルショックと環境問題から,「電気を使わないようにする研究」が最重要のテーマとなっているのは周知のことである。

 おそらくこのようなことは,あらゆる分野で,多くの研究者が程度の差こそあれ経験しているであろう。あえて教訓めいたものをあげてみる。第一に先を見通すのは容易ではないことである。多数の意見では,誤ることの方が多いかも知れない。研究の提案者は変人・非常識のレッテルをはられ,あるいは役立たずとして無視されることさえある。よほどタフな神経(無神経にみえるほど)がなければ耐えられない。

 第二に,異をとなえるだけではなく理をとなえてほしい。世間と逆をやってみるということだけでは,個人のレベルでは有効な方針ではあっても,チームとしてあるいは社会への説明責任の観点からは不十分である。異をとなえる根拠を示していく必要がある。それが理である。難しいのは理が十分には解っていないことで,研究者の苦労はここにあると言っても良い。研究に王道はない,という。異に対して注意深く聴く耳をもつことと理をもって説得する努力を惜しまないこと,この2つの相互作用が良い研究を芽生えさせる一つの方法であろう。

 国立環境研究所は,2001年に独立行政法人として新しい歩みを始めることになる。社会的に多種多様な研究が要求がされることになる。しかし研究は時間を要する。顕在化したテーマのみを追えば,如何に良心的に努力しても常に時期を失した研究となりかねない。顕在化する前に着手することが重要である。それには,何を(What)如何に(How)研究するか,しかしその理由は(Why)?という問いかけに明確に答えられるようにしなければならない。

執筆者プロフィール:

東京大学名誉教授,日本学術会議4部会員,東京大学工学部卒。応用化学,X線分光分析,工学博士。