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水俣は今

ずいそう

田村 憲治

 昨年10月1日,本庁に異動の挨拶をした足で,品川で開かれていた「水俣・東京展」を見て,決意を新たにしてこの国立水俣病総合研究センター(国水研)に来てから早くも1年がたった。昭和31年に水俣病患者が公式に確認されてから40年目の平成7年に患者団体との歴史的な政治的解決がなされた。これを受けて国水研の大幅な機構改革がなされ,私は新設された「国際・総合研究部」の「社会科学室」唯一のスタッフとして異動したわけである。

 この1年間は,研究業務の基盤作りが主な仕事であったが,さいわい今年の4月からは社会学を学んだ新人が加わってくれた。7月には「水俣病に関する社会科学的研究会」や「水俣病関連資料整備検討会」が動き出した。また,海外からの長期の共同研究者を受け入れる「国際研究協力棟」の完成を記念した国際フォーラム,公開講演会開催などの運営にもかかわってきた。特に「社会科学的研究会」は,これまで行政に対して批判的立場をとってこられた研究者にも加わってもらい,水俣病を拡大させてしまった歴史を検証しようというもので,マスコミの関心も高く,事務局長を務める私の責任の大きさを痛感している。このように国水研内外の急激な変化に振り回されながらも,ようやく本格的な調査研究が始められると張り切っている次第である。

 私が初めて水俣を訪れたのは昨年5月,異動の話があってからなのだが,正直なところ白黒写真の印象が強く,暗い町というイメージを持っていた。それだけに,丘の上に立つ研究センターから望む不知火海,その向こうに浮かぶ天草の島々の景色の穏やかさ,雄大さには圧倒された。月並みではあるが,どうしてこんなにきれいな海を悲惨な公害の舞台にしてしまったのか,信じられない,という感想を持ったものである。

 赴任直後,インドネシアで水俣病の教訓を伝えるセミナーの企画があり,3患者団体代表者たちと一緒に準備が始まった。これまでは患者団体と環境庁の人間が協同して企画することもなかったことであろうが,それ以上に立場を異にしてきた患者団体代表が同席すること自体が画期的なことと聞き,これまでの問題の根の深さを知らされた。しかし,今では私も含めお互いに親しくつき合わせてもらい,前記検討会などにも協力をいただいている。

 今年は住民間の絆の修復を目的とした地域の拠点「もやい直しセンター」が活動を始め,8月には水俣湾の汚染魚対策として23年続いた「仕切り網」も撤去されるなど,いよいよ水俣の再生に向けた動きも本格化してきている。

 水俣には市立水俣病資料館や水俣病歴史考証館など,水俣病学習の場も整備されている。また,海の幸や素晴らしい景色ばかりでなく,良質な温泉も近くにたくさんある。さらに,7月には古巣の環境健康部と国水研との人事交流も行われ,ますます両研究所の距離が近づいている。つくばからたった6〜7時間なので,多くの方のお越しをお待ちしている。

(国水研の全般的な活動は,今年創刊した「国水研だより」をお読みください。請求はTEL 0966-63-3111まで。)

水俣の写真
写真 センターより,北東を望む

(たむら けんじ,国立水俣病総合研究センター 国際・総合研究部社会科学室長)

執筆者プロフィール:

(前)国立環境研究所環境健康部環境疫学研究室主任研究員
〈趣味〉絵画鑑賞,自炊