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研究者に聞く!!

Interview

青木陽二の写真
青木陽二
社会環境システム研究領域 主席研究員

 環境研究において、研究者は多様な現象を扱いますが、風景も研究対象の1つです。 人類の歴史上、風景の評価が人々に広まったのはまだ数百年前のことですが、風景評価を分析することは、環境問題を解決する鍵となる外界と人間の心の関係を解き明かす上で、大きな意義を持ちます。 今回は、環境知覚の研究を専門とし、風景評価の分析に取り組んだ青木さんに、取り組みの実際と環境知覚についてお聞きしました。

気候風土と文化的背景が大きく影響する風景評価

1:人間の心が環境を決める

  • Q: まず、研究者を志したきっかけを教えていただけますでしょうか。
    青木: もともと環境に対して関心がありましたが、大きなきっかけになったのは、大学院生の頃に鈴木武夫先生の公害防止工学という授業を受け、さまざまな環境問題に触れたことです。私はこの授業で、「人間の心が環境を決める」ということを学びました。つまり、人間が外界に対して何を感じるか、あるいはどう考えるか、ということが環境問題だと理解したのです。こうしたことから、外界と人間の心の関係を解くことに興味を覚え、一生の仕事として取り組むことを決めました。
  • Q: そのような研究でベースとなるものは、いったい何なのですか。
    青木: 人間が知覚感覚器官を使って外界を捉え、捉えた情報を基に環境を判断する環境知覚です。これは、環境問題を解く鍵になります。

     外界からくる刺激と人間の間には、さまざまな変数が存在しているため、人間は外界に対してつねに一定の評価をしている訳ではありません。人間は環境としての評価をするとき、外界から受けた刺激によってその都度、評価結果が変わります。また、人によっても環境に関する評価は異なります。
  • Q: 環境知覚を研究するにあたっては、どのようなことに取り組んだのですか。
    青木: 大学院の博士課程を終え研究所に入所したころ、何から着手すればいいのかがわからなかったため、まずは霞ヶ浦で実験を行いました。霞ヶ浦に人々を連れて行き、どのように環境として判断するかを調べたのです。あるいは、道路のそばに人々を連れて行き、自動車が頻繁に通過していく状況をどう感じるか、それによってどういう影響を受けるか、といったことも調査しました。
  • Q: これらの調査を行う上で、何か苦労されたことはありましたか。
    青木: 物理的な条件をどうやって測定すればいいのかが、よくわかりませんでした。それに、多くの項目を測定しなければならず、その量も多数必要でした。

     こうした実験は、いろんな人の助けを得なければできません。たとえば、道路での調査では一酸化炭素の濃度を測定しましたが、こうした測定は専門の民間企業にお願いして、協力してもらいました。また、騒音のデータを収集するのも、きちんと測定するためにはたくさんの専用機材を用意しなければならなかったことから、これも専門企業に協力を依頼しました。

     ただ残念ながら、こうした実験は人手とコストが非常にかかり、予算がなくなった時点で終了せざるを得ませんでした。結局のところ、環境知覚に関する実験的アプローチは1990年に終えることになりました。

2:西洋人の記述に見られる日本の風景

限られたスペースに池や林を再現した日本庭園の写真
限られたスペースに池や林を再現した日本庭園。多くの西洋人に「日本人は広く見えることが嫌い」と印象づけた。
  • Q: 環境知覚に関する実験的アプローチを終えることになった後は、何に取り組まれたのですか。
    青木: 風景を研究することにしました。風景研究に出会ったのは、私が1983年から1年間、ドイツに滞在していたときに、風景研究で世界的に有名なイギリスのアップルトン教授に会ったことがきっかけです。

     アップルトン教授に出会ったことで、私は人間が景観を評価するようになった原因を解き明かす研究があることを知り、そして、人間が現場で見たり感じたりすることが景色の評価に深くかかわっていることを教わりました。

     環境研究では多様な現象を扱いますが、扱う現象により永続性が異なります(図1)。風景の場合、物理・化学や生物などに比べ永続性が短いと考えられます。それは、風景という現象が人々にわかるようになったのが1000年ほど前で、世界中に広まったのは数百年前のことだからです。風景の研究者は、研究が「この先も続くのか」、あるいは「いずれなくなるのでは」と不安に思っています。しかしそれでも、風景は人間のみが獲得した人間的な現象であり、面白いテーマだと考えて取り組むことにしたのです。
図1 扱う現象の種類と永続性
(斉藤平蔵氏より、2002.3.20)
  • Q: ところで、風景には定義があるのですか。
    青木: 実のところ、風景には明確な定義がありません。明治時代から現在に至るまで、表題に風景や景観という言葉を使用した書物から定義を探ってみたことがあるのですが、専門家がそれぞれに持論を展開しており、「これだ」という決定打がない状況です。もし私が定義するとしたら、「人間が視覚を中心とする感覚器全体から感じるものであり、人々に喜びを与えるようなもの」と定義します。
  • Q: 風景を研究するにあたっては、どのようなことに取り組んだのでしょうか。
    青木: 来日した西洋人が残した文献で、日本語訳があるものから風景に関する記述を抜き出し、西洋人が日本の風景をどのように評価したのかを分析することを試みました。西洋人はこれまで数え切れないほど来日しているので、来日時期を1900年までに区切って文献を探しました(図2)。探した文献は200冊を越え、その中から風景の記述がある100冊を使って分析しました。
図2 外国人の滞在者数
  • Q: なぜ、文献の記述から風景の評価を分析しようと思われたのですか。
    青木: 大きく分けて2つの理由がありますが、まず1つ目の理由は、誰も取り組んでいなかったからです。

     きっかけになったのは、1冊の本でした。私は一時期、東京からつくばの研究所に通っていました。バスや電車を使い自宅と研究所を往復していたのですが、あるとき、この時間を有効に使おうと思い、書店で本を探したんです。そこで見つけたのがイギリス人旅行家、イサベラ・バード(1831-1904)が日本を旅行したときの旅行記『日本奥地紀行』でした。

     この本を偶然、書店で見つけ読み進めていくと、外国人が日本の風景をどう評価しているのか、について研究した例があるのかどうかが気になりました。そこで調べてみたところ、日本に対する外国人の評価に関する研究は、大隈重信によって明治時代から始まり、現在も継続されているものの、風景に関したものは誰も取り組んでいないことがわかりました。

     2つ目の理由は、気候風土と文化的な背景が風景評価に影響を与えることが確実だったためです。

     海外では、風景評価の実験に関する論文が、1960年代の終わり頃から発表されています。こうした実験はアメリカで盛んに行われていますが、最初、人類は皆同じ判断をするものだと考えられていました。ところが論文を読み漁っていると、文化や民族、育った気候風土の違いよって評価に違いが生まれることを知りました。

     このような研究の動向を知っていたものですから、私は外国人が日本をどう見ているかということに興味を覚え、調べてみたくなったのです。
  • Q: しかし、200以上の文献を調べることは容易なことではありません。
    青木: その前に、どのような人が風景評価の記述を残したのかを調べるのが大変でした。それに、現在でも古い手書きの文献が新たに見つかり、日本語に翻訳され出版されるケースがあるので、調べる文献は増える一方なのです。外国で日本に関する記述を調べる研究が進めば、調べる文献数はどんどん増え、文献を追いかけるのも、かなり大変な作業になります。
  • Q: 文献調査から明らかになった日本の風景に対する西洋人の評価の特徴は何ですか。
    青木: 面白かったことの1つは、西洋人は日本の美しいところを見ていてくれたことでした。どこが美しいか、何が美しいか、という点もきちんと記述しています。こうした記述を発見することは、私にとって楽しいものでした。

     また、多くの西洋人は「日本人はなぜ、広く見えることが嫌いなのか」ということを記述しています。彼らは日本庭園を指し、「狭いところにごちゃごちゃと池などをつくって何がいいんだ」と言っています。「日本人は西洋人的な風景の見方である広がりに興味がない」と記述した人もいます。

     現在、アメリカやヨーロッパでは、文化的背景の違いによって風景評価がどう変わるか、といった研究が始まりました。しかし彼らは、100年、200年前から、そのことに興味があったのです。
  • Q: これらのほかには、日本の風景に関する特徴的な記述として、どのようなものがあるのでしょうか。
    青木: たとえば、ドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペル(1651-1716)は「どこに行ってもきれいな水が得られる」と『江戸参府旅行日記』に記しています。ケンペルの後では、スウェーデン人医師・植物学者のカール・ペーター・ツンベルグ(1743-1822)が『ツンベルグ日本紀行』で「日本には非常にいろんな植物がある」、「北の植物と南の植物が非常に近くにある」と驚き、記述しています。

     ツンベルグの報告は、来日した西洋人に植物に対する興味を持たせました。ドイツ人医師・植物学者のフィリップ・フランツ・シーボルト(1796-1866)もその1人で、アジサイの新種を日本で発見しています。

     西洋人は、日本の景色の特徴が植物にあると理解して書き残したのです。
  • Q: 研究過程では実際に現地を訪れ、確認されたりもするのですか。
    青木: 彼らが素晴らしいと評価したところは訪れましたが、かなりのところが変わっておりました。自然に変化したところもありますが、開発が進んだ結果、昔の風景が消失してしまった場所も多くあります。西洋人が日本の風景の特徴として挙げた植物も、植林や開墾がなされ、彼らが素晴らしいと感嘆した植物が少なくなっています。加えて記述の間違いや、記述された場所が見つからない、といったこともありました。

     ただ、よく調べてみるとわかることもあります。たとえば、イサベラ・バードが記述した青森県の津軽坂(青森市)の風景は、現在訪れると何も見えません。しかし、イサベラ・バードが訪れた時期に描かれた山水画を見ると、記述と同じ状況が描かれていることがわかったのです。
風景画の歴史と八景の表 (クリックで拡大画像がポップアップします)
風景画の歴史と八景

3:南アルプスの植生や俳句季語にも注目

  • Q: 風景評価の研究では、文献調査のほかにどのようなことに取り組まれたのですか。
    青木: まず、南アルプスの植生景観の評価調査を行いました。高いところでは標高3000m以上はある南アルプスは、日本で最も多様な植物が生えている地域といわれており、気候的にも太平洋側の南部ではミカン、北部の長野県側ではリンゴが栽培されるほど差があります。高地に行けばアルプスに生えているような高山植物もあることから、この地域一帯は植生に大きな変化が見られます。そこで、人々はどのような植生の景色に、どういった評価をするかということを調べました。また、俳句の季語から植物に関したものに注目し、日本の季節感における植物の役割を調べたこともあります。

     これら一連の研究成果は、研究所が開催した公開シンポジウムの場で大きなポスターを使い広く一般の方々に紹介したところ、多くの方々に興味を持っていただけました(表1)。
表1  公開シンポジウムのポスターセッションにおける発表テーマ一覧
  • Q: 海外と共同研究をする機会もあるのですか。
    青木: 現在、オーストリアと共同で、文化的背景や気候条件の違いによって屋外で活動するときにどういう違いが表れるのかを測定し、比較する方法を研究しています。日本では2005年4月から2007年3月、オーストリアでは2005年10月から2008年初め頃まで取り組むことになっており、双方で研究や調査に取り組んでいるところです。

     このほかでは、八景の研究をしている中国や韓国の研究者と、お互いの研究について情報交換をしています。この3カ国の中で、全国的に八景の調査を行ったのは日本だけで、この分野の研究は日本が最も進んでいます。韓国はデータを収集している段階であり、中国ではまだ一度も調査されていないと思われます。
  • Q: 最後に、これまでの一連の環境研究を踏まえた今後の展望を教えて下さい。
    青木: 五感に関する研究はかなり進みました。これからは風景評価など複雑な現象の解明になります。このような現象は、一般の人々が、普段の生活で体験するものです。皆さんの気づいたことから調べ始め、研究者と一緒に考えることにより、次第に色々なことが明らかになると思います。皆さんの協力でこれからの環境研究が進むことを願っています。

コラム

  • 霞ヶ浦と道路での環境知覚実験
     環境知覚に関する実験は1976~1990年頃にかけて実施されました。霞ヶ浦での実験では、現地に人を連れて行き、その場を環境としてどう判断するかを調べたほか、湖岸の状況を明らかにするために、専門家の協力を得ながら湖岸の形状や水の色、砂の粒度、水中に含まれる有機物やクロロフィルaの量を測定しました。当時の霞ヶ浦では、緑色の藻類であるアオコの発生が問題になっており、研究所ではアオコの量を求めるためにクロロフィルaを測定していました。

     このように各種の項目を測定したデータを多く集め、さまざまな条件や人々の反応との因果関係を求めました。

     その結果明らかになったこととしては、まず、人間の目では水がきれいか汚れているかを区別することができないということがあります。人間が水を見て「汚れている」と感じ始めた時点で、実は水の富栄養化は相当進行していることが、人々の反応と水を測定した結果の関係から判明しています。人々の反応とクロロフィルaの関係を調べると、クロロフィルaの量はアオコが発生する直前の状態である100μg/リットルを越えないと、人々は水が汚れていると判断しないことがわかりました。

     いっぽう、道路のそばで行った実験では、安全・快適な状況を満たすためには、道路の端から6m以上は離れたところに歩いたり待ったりする場所をつくらないと、快適にいられないことがわかりました。

     こうした実験は各種データの収集を行ったうえで分析し、その上で人々の反応との関係を調べるため、結果を得るまでにかなりの時間を要します。また、測定にも専門性が要求され、専門家の協力が不可欠でした。
霞ヶ浦での環境知覚実験の様子
専門の機材を使い測定を繰り返した道路での環境知覚実験の写真
専門の機材を使い測定を繰り返した道路での環境知覚実験
  • 大きく変わったつくばの風景
     研究所があるつくば市は、1980年頃から10年ほどの間で風景が大きく変化しました。筑波研究学園都市の開発や1985年の国際科学技術博覧会(科学万博)の開催により、都市化が進行したためです。

     筑波研究学園都市の開発で世界中から教育水準の高い研究者が集まるつくばでは、人々が好ましいと感じられる景観も多様です。そこで、筑波研究学園都市の景観計画を論じる資料となるよう、学園都市の開発計画が影響を及ぼすであろう地区を選定して写真を撮影し、70地点の景観の変化を記録しました。

     写真を撮影したのは筑波研究学園都市の開発初期に当たる1980年頃と、都市化が進み発展した1991年。同じ地点を時間を置いて撮影することで、景観の変化を記録しました。また、写真だけでは十分理解されないと判断したことから、1991年の撮影では1980年に撮影した当時と同じ季節、天候、時刻を選んで現場に行き、照度、風速、気温、湿度、音圧レベルなどを調べながら撮影をしました。

     筑波研究学園都市の建設に伴い研究施設が増え、道路や下水道などが整備された結果、つくばでは昔からあった集落が形を変えてしまいました。その一方で、多くの植物も植えられましたが、中には大きく成長しすぎて伐採された例も見られます。さらに、2005年にはつくばエクスプレスが開通したことで、市の中心部に高層建築物が目立つようになりました。

     このように現在は、1991年よりさらに開発が進み、風景はまた大きく変化しました。そのため、2006年から2007年にかけて再度、同じ地点・条件で写真撮影を行い、変化の記録に取り組んでいます。
1980年の写真
1980年
吾妻3丁目
東京家政学院筑波短大
(現、筑波学院大学)北歩道橋
1991年の写真
1991年
2007年の写真
2007年
  • 絵画の歴史と風景
     人類がはじめて絵を描いたのは、いまから少なくとも約3万年前のことです。フランスのアルデシュにある洞窟壁画が,人類最古の壁画として現存しています。

     風景がはじめて描かれるようになったのは、4~5世紀頃に始まった中国の山水画といわれています。唐から宋の時代にかけては技法の発展が見られ、11世紀には気象条件をも主題とした瀟湘(しょうしょう)八景画が誕生しました。

     いっぽう、西洋で風景画が描かれ始めたのは、16世紀のオランダ風景画の時代です。人間の解放を目指したルネサンス期を境に人々が風景に興味を持つようになり、風景画が広まっていきました。オランダ風景画は世界を席巻し、現在も親しまれ続けています。

     これらのことは、風景という現象は人類の文化的発展とともに、時間をかけて興味を持たれるようになった現象だということを示しています。
150年ほど前の津軽坂(現在の青森県青森市)を描いた風景画
150年ほど前の津軽坂(現在の青森県青森市)を描いた風景画(平尾魯仙画、1859年)
現在の津軽坂の写真
現在の津軽坂。草木が生い茂り何も見えず、イサベラ・バードが『日本奥地紀行』に記した風景とは全く異なってしまった。
  • 日本人の風景の見方
     日本人の風景の見方は、中国から渡来した山水画の影響を大きく受けて発達しました。それ以前も大和絵で、風景らしきものが描かれていますが、平安時代に山水画が伝わり、これをきっかけに、中国式の風景の見方が日本にも普及することになったと考えられています。漢字を輸入したのと同様、日本は風景の見方も中国から輸入しました。

     14世紀には中国から瀟湘八景画が伝わりました。八景は晴嵐(せいらん)、夕照(せきしょう)、晩鐘(ばんしょう)、夜雨(やう)、帰帆(きはん)、秋月(しゅうげつ)、落雁(らくがん)、暮雪(ぼせつ)という8つの要素で風景を評価する風景観賞の方法ですが、日本でもこの8要素が広まり、室町時代に近江八景が制定されたのを皮切りに、金沢八景や水戸八景と全国的に八景がつくられていきました。その後、気候や地理的条件の影響を受けながら、場所や時代によって異なった要素からも八景がつくられるようになり、現在、北海道から沖縄まで全国に1000以上あることがわかっています(表紙参照)。

     その一方で、日本人の風景の見方は開国以後、西洋の風景画からも大きな影響を受けました。明治時代以降、日本の風景画では西洋の風景画の影響が多く見られるようになっています。

     西洋の風景画の影響は相当大きかったようです。そのため、瀟湘八景のような風景の見方は古臭いものだと捉えられ、捨て去ろうとした動きが過去にはありました。それでも、八景はなくなることなく、現在まで連綿と受け継がれています。日本人の風景認識は、八景に象徴される中国式の風景の見方と、西洋式の風景の見方によって形成され、それらが現在も共存しているのです。