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見落としのないリスク評価

【巻頭言】

白石 寛明

 化学物質といえば,ダイオキシン,PCBなどの人工的に合成された有害な化合物と理解される場合が多いと思われます。化学物質は時に利便性の高い夢の物質であり,時に凶悪な厄介者とされます。化学物質の言葉の使われ方も様々で,「元素及び化合物をいう。」,あるいは,「元素又は化合物に化学反応を起こさせることにより得られる化合物をいう。」などと,化学物質の定義は法律によっても異なります。化学物質という言葉を初めて耳にしたとき「これは化合物のことの間違いなのではないのか?」と感じたものですが,化合物とは,水(H2O)や二酸化炭素(CO2)のように一定の化学組成をもった純物質のことですので,化学の世界の化合物と社会で問題とする化学物質は同一ではありません。騒音とか電磁波とか物理的な因子と異なり,多種多様な化学物質はその種類を特定し目録を作成するだけでも至難です。

 国立環境研究所の年報を検索すると,1990年(平成元年)冒頭の所長挨拶に初めて環境リスクという言葉が出てきます。この年は,国立公害研究所が国立環境研究所へと改組し,地球的規模の環境変化とその影響,環境リスクの評価,自然環境の保全等の研究へと展開した年です。当時,環境リスクの研究は,健康リスク評価と生態系リスク評価の分野で,化学物質の環境中での挙動及び健康に与える毒性影響評価手法,光化学オキシダントやディーゼル排ガスの動物実験,都市型ストレスの社会医学的な研究,化学物質の生態影響,組替え生物の環境中での挙動に関する研究などが行われていました。現在の環境リスク研究プログラムと類似した研究構成になっていることに改めて気づきます。

 化学物質の人の健康や環境への影響には未解明の現象が多々あります。環境リスク研究プログラムでは,感受性要因に焦点を絞り発達期の特定の時期での影響とメカニズムの解明,ナノ粒子に焦点を当てたプロジェクトとして粒子の大きさや形状と毒性の関連の解明,多種多様な化学物質の環境中の濃度の把握を目的に環境中濃度を予測する手法の開発など,これまでのリスク評価では見落としが懸念される問題の評価が可能となるように研究を進めました。また,リスクを見落とさないためには,現場の実態をよく観察し,原因を究明し,対策に結びつける下流側からの視点での研究が必要と考え,環境中の濃度や影響を総体として把握する手法の開発,東京湾やため池の生態学的な視点からの評価や侵入種のリスク評価を実施しました。環境リスク研究プログラムでは,社会医学的な研究をプロジェクトとして取り上げて実施することはできませんでしたが,今年度から,胎児期から小児期にわたる子どもたちの成長・発達に影響を与える化学物質の曝露や生活環境要因を明らかにするための全国規模の疫学調査が開始され,この研究実施の中心機関であるコアセンターとして国立環境研究所は,調査の総括的な管理・運営を行うことになりました。長期にわたる疫学調査ですが,子供たちへの化学物質の曝露と影響との関係が明らかにされることが期待されています。

 化学物質の管理は,「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」における2020年目標(「化学物質が,人の健康と環境にもたらす著しい悪影響を最小化する方法で使用,生産されることを2020年までに達成する」)を旗印に,EU(the European Union)のREACH(Registration, Evaluation, Authorisation and Restriction of Chemicals)制度の運用がはじまり,日本でも化学物質審査規正法の改正がなされ,リスク評価は国が実施することになり,見落としのない化学物質のリスク評価手法が提示されることが強く望まれています。リスクの研究がますます社会で重要になってきていると実感しています。

 

(しらいし ひろあき,環境リスク研究センター長)

執筆者プロフィール

白石 寛明

 茨城に住所をおいてから32年がたちました。論文をタイプライターで打ち,図表を手書きした時代は遠い過去になり,思いのままズームできる地球儀が手のひらのなかでぐるぐる回る時代になりました。これからさらに何が起こるのか楽しみですが,第一義を考えてみたい。