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風景研究の楽しみ

研究ノート

青木陽二

研究者の不安

 研究者の扱う現象は多様である。そして扱う現象により,その現象が持続していた時間は異なる(図1)。物理・化学の現象は宇宙の誕生以来,100億年続いた真理である。だからこれを研究する人は常に正しいことを明らかにしていると,自信を持つことができる。生物に関連した研究をしている人は,約1億年続いた原理を追い求めているので,これも正しい結果を得られると信じることができる。人類に共通した研究をしている人は,約100万年続いたメカニズムを明らかにしているので,その原理がまだ続くことを確信している。農耕が始まってから,約1万年前以降の人間社会の研究をしている人は,見いだした現象がいつまで続くのか,疑問を持っている。そして,風景の評価が人々に広まった数百年前からの研究をしている私は,こんなことが科学の研究対象になるのか不安に思っている。

図1.扱う現象の種類と永続性(斉藤平蔵氏より 2002.3.20)
図1.扱う現象の種類と永続性(斉藤平蔵氏より 2002.3.20)

人類の歴史と風景評価の発達

 人類が風景を理解できるようになったのはいつ頃からであろうか。このような問いに挑戦したのは数少ない先人達である。風景の評価が歴史の記録として残されたものを,確認できる方法として3通り考えられる。一つは人工物として造られた空間として残されたもの。二つ目は文字として記述されたもの。三つ目は絵画として描かれたものである。ここで分かりやすい絵画に注目する。人類が初めて絵を描いたのは,記録が現在確認できるものから判断すると,約3万年前のアルデシュの洞窟壁画であると言われている(図2)。またアルタミュラの壁画には,狩の対象となる動物や,狩のやり方を示す人間が描かれており,辛うじて樹木らしきものが見られる。しかし風景画のような風景としては見られない。

図2.風景画の歴史と八景
図2.風景画の歴史と八景

 風景が描かれ始めたのは,欧州ではローマ時代の風物の背景として,中国では漢の時代の物語絵の背景としてであると言われている。中国における風景画,すなわち山水画が完成したのは顧豈之の頃,すなわち4世紀後半と言われている。そして唐から宋にかけ多くの山水画が描かれ,技法上の発展があったと言われる。そして11世紀には気象条件をも主題とする瀟湘八景画に受け継がれた。この絵では風景として山や石,水や樹木などだけでなく,たなびくもやや鐘の音,陽射し,雨なども評価の対象となった。このような風景評価は13世紀に中国で,15世紀には朝鮮半島で,18世紀には日本で大きな自然風景評価の柱となった。日本では,絵として伝えられ,その絵から,近江八景という現実の風景地の選定がなされたという。この近江八景を基に地方の風景地が選ばれ,江戸時代後期には全国の人々に受け入れられた。そして西洋の風景画が大きく影響した明治,大正,昭和でも八景の選定や八景図を描かせることになった。

八景研究の広がり

 八景とは,晴嵐(せいらん),夕照(せきしょう),晩鐘(ばんしょう),夜雨(やう),帰帆(きはん),秋月(しゅうげつ),落雁(らくがん),暮雪(ぼせつ)の8つの要素を評価の中に含む風景観賞の方法である(各々は図4に例を示す)。八景による風景評価は中国から周辺諸国へと広がった(図3)。13世紀には元による世界帝国が実現したので,広く中国の文物が中近東や欧州,インドまで伝わった可能性がある。現在,世界のどの地域に広がったか国際研究集会のときに調査票を配布している。このような研究は風景評価が気候・風土や社会・文化的変革によりどのような変化をもたらすのかを明らかにすることができる。

図3.八景の伝播と分布(「地図使用承認 (C) 昭文社 第02E047号」)
図3.八景の伝播と分布(「地図使用承認 (C) 昭文社 第02E047号」)

 日本では江戸時代に入ると,日本人本来の特徴である旅行好きと自然風景の評価能力により,八景は全国に広まった。しかしながら,風景評価の要素(図4)のいくつかは場所によっては見つけることが困難であった。例えば,山中における帰帆や沖縄での積雪である。また各地にはそれぞれ名勝や特産の風物が有り,これらも八景の選定に影響を与えることになった。そして八景の内容は,次第に瀟湘八景の束縛から解放された。このように八景は現在までの600年に及ぶ日本人の風景評価のデータの蓄積を内包している。このような日本人の風景評価と自然条件の関係を明らかにすることは,今後100年の日本の風景計画を考えるに重要な示唆を持つ。

図4.歌川広重画近江八景之内(魚栄板)大津市歴史博物館資料より
図4.歌川広重画近江八景之内(魚栄板)大津市歴史博物館資料より

これからの課題

 これからの研究では,八景の分布を詳細に明らかにし,地図にプロットする。そして位置情報を入力し,GISやAMEDASデータと結び付け,風景評価に寄与している地形条件,土地利用条件,水辺形状,人口密度,植生条件,生物生息域,風速,風向,降雨,降雪,積雪,湿度,大気中のエアロゾル粒子,視程などとの関係を明らかにする。また多くの分野の識者の参加を求め,基になった瀟湘八景とはどんな風景かを明らかにしたい。瀟湘夜雨(しょうしょうやう)とはどんな雨が好まれたのか。山市晴嵐(さんしせいらん)とはどんな気象現象を指しているのか。平沙落雁(へいさらくがん)とはどのような場所に見られるのか。漁村夕照(ぎょそんせきしょう)とはどのような夕焼け現象なのか。遠寺晩鐘(えんじばんしょう)とはどのような音であろうか。洞庭秋月(どうていしゅうげつ)とはどのようにして楽しまれたのか。江天暮雪(こうてんぼせつ)とはどのような雪なのか。遠浦帰帆(えんぽきはん)とはどのような天候状態なのか。また気候・風土の違いは何を興味の対象とさせたか,文化・社会の変化は人々の思考方法を変えたか,興味は尽きない。

 (あおき ようじ,社会環境システム研究領域主任研究官)

執筆者プロフィール

 1976年10月より変わらず現職。最近は小野川老人会準会員。

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