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副所長 合志 陽一

合志  陽一の写真

 基礎研究の充実が必要であると言われる。一方現実の問題の解決には応用研究が重要でそれに要する経費もマンパワーも基礎研究より遥かに大きいとも言われる。いずれもそれぞれに正しいことである。基礎研究は人類の知的資産を蓄積し,新しい自然認識をもたらすことを貴しとし,応用研究は現実の問題の解明・解決という目的の達成度をもって成果の尺度とする。

 ところで基礎研究と応用研究の関係は,それぞれの研究の特質から基礎研究が先行し,その後に応用研究が発展すると誤解されやすい。しかし本当の実績をもつ優れた研究者は,必ずしもそのようには見ていない。歴史的事実としても基礎研究が最初で応用研究が「基礎の応用として出てきた」という例はむしろ少ない。応用の中から基礎が生まれ,それが広がりをもった応用を推進し,その中から新しい基礎が芽生えるパターンが多い。古典的な例では量子力学と測温の関係がある。溶鉱炉の操業に必要な光放射による温度計測という極めて実用的な技術がまず存在し,その理論的根拠の確立のための黒体輻射の研究から量子論が生まれ,量子力学に発展し,近代科学の基礎となった。

 環境計測の身近な例では毛細管クロマトが挙げられる。分離分析技術の典型であるクロマトグラフィーは発明者にノーベル賞が授与されていることからわかるように画期的で重要な方法であるが,ガス分離を対象とするガスクロマトグラフィーに実用されている細粒をつめた充填カラムについては,粒径,カラム形状,流速などあらゆるパラメータが検討され分離性能も改良しつくされたと1950年代には考えられていた。しかし,パーキンエルマー社の技術者 M. J. E. Golay がこの分離特性を理論的に解析したところ,細粒をつめた充填カラムを毛細管の集合としてシミュレーションし,分離特性を求めた場合に,実測の特性よりも総合的に2桁もよい結果が得られた。この解析の誤りとも思われる差を追求し,単なる一本の毛細管を用いる方式(毛細管クロマトグラフィー)が生まれた。その性能は画期的で現在も中心的な測定器となっている。実用-基礎-実用の見事な相互作用の例である。

 一方において相互作用の前提として基礎研究と応用研究の差は明確に認識する必要がある。基礎研究は知的資産の蓄積と新しい認識であり応用研究は問題の解明・解決である。結果として前者は独創性・創造性が重要とされ,後者では有効性・有用性が重要とされる。その差は歴然としているが,このときに生じる問題は,基礎研究と応用研究はそれぞれ別の研究者によって行われるものとみられやすいことである。基礎研究者と応用研究者があり,それぞれ分けてグループをつくり研究すれば良いと思われがちである。研究という非定型業務の本質を理解しないで安易且つ皮相的な見方で分類をすると,このようなことになる。しかし,このような分類は研究の推進にむしろ有害である。

 研究課題が基礎研究であるか応用研究であるかは明確に意識しておく必要があるが,その上で,この性格の異なる課題を同一の研究者が担当することは,むしろ好ましい相互作用を生む。研究が成功するためには,研究者自身の意志と思考が第一のファクターであるとともに,情報とロジスティックス(技術支援)も不可欠である。その両者が基礎研究と応用研究という異種の研究課題をもつことにより,より高度になりより豊富になる。基礎研究の面からはとりわけ研究者の意志と思考の深化が重要であり,またこの面が鍛えられる。応用研究の面からは現実の目的達成のためあらゆる情報と技術的支援を動員しなければならない。豊富な情報(予期せざる現実との遭遇を含む)の利用と技術的支援の利用は応用研究の特徴といっても良いため,これらの利用能力は応用研究により大いに強化される。環境研究のような複雑な系を対象とする研究者には,とりわけこのような多様性のあるアプローチが重要と思われる。

(ごうし よういち)

執筆者プロフィール

東京大学名誉教授,日本学術会議4部会員,東京大学工学部卒。応用化学,X線分光分析専攻,工学博士。