1年間の記事連載をふまえて~国際社会の動向が私たちに投げかけていること

執筆:田崎 智宏(資源循環社会システム研究室室長、Beyond Generationプロジェクト・リーダー)
2024.7.9

 1年間の連載を通じて見えてきたことの一つは、善良な気持ちで将来世代のことを考えようとしても答えは単純ではないということです。しかしそれでも、国際社会は、その困難に向き合い、一歩先の社会を目指しています。

この記事のポイント

・良心にもとづいて将来世代のことを考えようとしても意外に難しい。科学で議論を支援することはできても、私たち市民が議論をしてどうするかを決めなければならない
・国際社会の動向として、2024年9月に将来世代のための憲章と宣言が作られようとしている
・今後、私たちの国や地域社会、所属する組織において、どのような形で長期思考と将来世代考慮を制度的に組み入れていくべきかが問われている

1. 約1年間の連載の振り返り

 最初の記事掲載から約1年が経過しました。おかげ様で、これまでに1万5,000回以上の閲覧をしていただき、また、個別に質問やコメントもいただきました。

 これまでの記事をざっと振り返りますと、環境研究に取り組む研究者にとっても、環境問題の将来への影響は深刻であり、「『そのときの大人は何をやっていたの?』と言われないようにしたい」「孫たちは、祖父母が経験しないような暑い日を何度も経験する。今の大人次第で、子供達、孫達の生きる世界が変わる」「1.5℃目標達成に許容されたカーボンバジェットは残りわずか」「社会をトランスフォーメーションする(仕組みを大きく変える)ことが必要」などと感じていることが伝えられました。また、災害研究を行っている研究者は、大規模な災害からの復興にあたり、その判断の「影響は将来世代にまで及ぶ」「災害に強い社会システムをつくるだけでなく、それを将来世代に引き継ぐための慣習や仕組みをつくることも大事」ということを痛感していました。研究者も「現世代ができることはないだろうか」という問いを自分自身や世の中に投げかけるべき状況にあります。

 一方で政治学では「選挙民主主義には短期志向を引き起こす要因がある」とされており、何らかの改善策が求められていることが専門家の中でも議論されていることが紹介されました。民主主義には、選挙や投票を通じて社会決定を行う代表者を選ぶことを重視する考え方(選挙民主主義)の他に、さまざまな考えの人々が社会的な決定に積極的に参加して議論することに本質があるとする考え方(熟議民主主義)があります(これらは両立させることもできます)。この二つに分けて考えますと、短期志向に偏り過ぎないように選挙民主主義を改良していくと同時に、参加・討議による熟議民主主義を発展させることが期待されていると言えそうです。

 他方、将来世代のことを私たち現世代が考慮していく上では、「心理的距離が遠い100年先の人々を思いやることは簡単ではない」「将来世代を一括りに考えることはできない」「将来世代への無意識の差別がある」「楽観性バイアスや確証バイアスなどが、私たちが未来を想像する能力に影響を与える」といった難しさがあり、万人が今すぐにできるわけではなさそうなことも示されました。別の見方をすれば、良心をもって将来世代のことを考えようとしてもその答えは一つには定まらないことになります。

 難しいなら、将来世代のことを考慮することをやめてしまおうという気持ちになるかもしれません。そもそも、現世代が将来世代のことを考慮しなければならないという責任や理由があるのでしょうか。異分野クロス座談会と称した記事では、悪影響を受ける観点と将来の人々の権利という観点から、この点についての学問上の議論を紹介しました。将来世代にある程度の権利のようなものを認める発想や議論はあるものの、権利の発生のタイミングや他者の基本的権利を差し止めるなどの具体的な法技術的な課題は残っていました。また、将来世代を現在の政治決定に参加させなければならないという議論についても決着はついておらず、生まれていない将来世代の意見をどのように代弁させるかという方法論的な課題も残っていました。

 このように、将来世代を考慮することを現在の社会制度の中に組み入れていく上で、未解決の論点があることが専門的な議論から説明されました。答えは一つではないということも加味すると、おそらく科学で世代間をまたぐ問題の議論をサポートすること(例えば、将来予測のデータや世代格差のデータを示すこと)はできても、最終的には、私たち市民がどうするかを話し合って決めていかなければならないのが世代間問題なのでしょう。

2. 将来世代のことを考慮する制度的および政策的な動向

 将来世代のことをもっと考えようという動きは、世界的に存在しています。実際、将来世代を考慮することを制度化する国々が登場しています1)2)。私たちの研究2)では、「性悪説で人々を理解して、将来の人々に不利益が生じないように監視する機能を持つ制度と、性善説で人々を理解して、話し合いや熟慮などをすれば将来の人々に配慮できると考え、そのような場を上手に設ける機能を持つ制度」に大別しました。

 そのような制度の一例として、ドイツ連邦憲法裁判所によって将来世代の自由と権利についても責任があると判決された事例も、その制度的限界とともに紹介しました。また、「お金の流れ(ファイナンス)を活用して、より良い世の中に変える」サステナブルファイナンスの試みが進んでいることや、大切なもの(人工資本、人的資本、そして自然資本)を将来世代に引き継ぐだけ十分に残っているかを確認することをできるようにする「資本に基づいた持続可能性指標」の開発についての研究も紹介されました。日本の地域事例として、2023年に実施された「気候市民会議つくば」のことも紹介されました。会議設計で考慮すべきポイント参加者選定の詳細を紹介することで、知見を共有し、他の事例に活かしてさらなる会議運営の改善・発展につなげることが期待されます。

3. まだまだ続く政策動向~国連の将来世代のための憲章と宣言など

 このような政策動向が国際的にさらに進展していることはご存じでしょうか。

 現在国連では、将来の人々や若者のことをこれまで以上に考慮しようという議論が交わされています。2024年9月に国連が開催する「未来サミット3)」において、「未来のための憲章」と「将来世代のための宣言」を採択4)しようと、その内容が検討・議論されています。それぞれのゼロ次案が発表された後、世界各地から意見を募って修正がなされ、第一次案が公表されています(2024年6月末現在)。

 その憲章のゼロ次案の前文では、「人類は、グローバルかつ破滅につながりかねない存続の危機に瀕している」とまで言われています。具体的には、貧困、飢餓、不平等、武力紛争、暴力、移民、テロリズム、気候変動、疫病、テクノロジーの悪影響などです。「直面する課題は、どの国も単独で対応できる能力をはるかに超えて」いて、「現在と将来の若者たちは、私たちの行動と不作為の結果とともに生きていかなければならない」として、大人世代の責任を明言しているだけでなく、「私たちは地球を救うチャンスをもつ最後の世代かもしれない」と行動を起こすことの大切さを述べています。

 将来世代は守るべき存在だけでなく、「若者と子供達は、持続可能な発展、人権、平和と安全保障を推進する重要な変化の担い手である」としている点も見逃せません。一方、「まだ生まれてこない将来世代は、若者とは異なるグループである」ことを認識して、「今後の将来世代の権利や利益を十分に考慮して現世代が意思決定を行っていかなければならない」とも述べています。

 憲章や宣言以外にも、将来世代を代表する担当特使を任命することや、未来を議論することに特化した政府間フォーラムの設立など、具体化した方策が検討されています。また、日本も批准している「子どもの権利条約」をめぐっては、気候危機や生物多様性の喪失、環境汚染から子どもたちの命や生活を守るために何をしなければならないかという議論が昨年行われました5)。世界の121カ国から延べ1万6,000人以上の子どもたちが参加し、国連のこれまでの取り組みの中でも最も幅広く子どもが参加した事例となっています。

 その取りまとめ資料では、気候危機による悪影響や環境劣化は「構造的な暴力」であるとまで言われており、私は身が引き締まる思いでした。漫然と悪影響や将来を考えてしまいがちになることに歯止めをかけ、将来世代に被害を負わせていることを自覚し、それを回避しようとする構造へと変えていけるかも問われているのだろうと思います。

 一方、日本では環境・エネルギー分野に特化してはいますが「将来世代法案」(仮称)の骨子案が2022年に立憲民主党により提案されています6)。これは、国会の委員会の一つに将来世代委員会を設置し、政府や国会の判断や国が関わる環境・エネルギー関連事業に将来世代考慮の観点をより加えていこうとするものです。党派を超えて、このような将来世代考慮の仕組みを日本で創出することの議論を進めていくことが大切と言えるでしょう。

加害行為を行う人が明確でない形で、社会構造によって引き起こされる暴力形態。ヨハン・ガルトゥングが最初に提唱したもので、暴力の概念を直接的なものから見えにくいものへと広げました。環境・サステナビリティ分野での構造的暴力としては、例えば、私たちは輸入品を購入できますが、輸出国では、そのために環境破壊や労働者の搾取をしていたとします。そのため、私たちがこの商品をどんどん買うことによってもたらされる結果は、輸出国での破壊や搾取が続くということです。しかしながら、私たちには問題の自覚はないことから、概してそのような構造を容認してしまいがちです。

4. 終わりに

 将来の人々を考慮する仕組みを取り入れた社会へと変えていくことの機運は世界的にも高まっています。未来のための憲章案が指摘しているように「私たちが地球を救うチャンスをもつ最後の世代かもしれない」ということを胸に、私たちができることを積み上げていくことが期待されます。

 さて、ほぼ毎月公表をしてきた本連載ですが、1年を機に、今回の記事で一区切りといたします。これまでのご愛読ありがとうございました。なお、今後は不定期となりますが、Beyond Generation研究プロジェクトが続く間は記事掲載を行う予定です。

執筆者プロフィール: 田崎 智宏(たさき・ともひろ)
博士(学術)。システム工学と政策科学の二つの専門性を活かし、時代の変化の先を見据えながら、社会の仕組みをより良く変えていく研究を行いたいと考えている。

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□自分より若い人たちが生き生きと過ごしているのを見るのは、嬉しく思う
□将来世代のことを考えるためには、気持ちだけでなく、そのための能力を磨く必要がある
□科学だけでは、世代を超えた問題に結論を出すことはできない
□世界は将来世代を考慮する方向に変わっていける
□当てはまるものは一つもない