【異分野クロス座談会】将来世代への責任をどう考える?

参加メンバー:田崎 智宏、久保田 泉、山口 臨太郎、尾上 成一
2024.4.10

 「将来世代への責任をどう考える? ~環境研究者の向き合い方~」と題した本連載ですが、倫理的な問題でもあるこのタイトルに、直接回答するような記事はこれまでありませんでした。そこで2023年度後半に、政治哲学や法律、経済など異なる学術的背景を持つ研究プロジェクトのメンバーが集まり、将来世代への責任について、どのような学術的根拠に基づき、どのように考えるべきなのかについてオンラインで議論を交わし、その後もフォローアップの議論を行いました。専門分野の垣根を超えた議論の内容を座談会形式にまとめてご紹介します。

参加メンバー

田崎 智宏  ※進行
博士(学術)。本プロジェクトのリーダーでシステム工学と政策科学が専門。環境倫理や哲学については、一般の人々の理解を深める領域(「対話型専門知」1)と呼ばれる領域)で貢献したい。
久保田 泉
博士(法学)。環境法専攻。気候変動に関する国内外の制度の研究に従事してきた。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第3作業部会報告第14章(国際協力)代表執筆者。研究者インタビューはこちら
山口 臨太郎
博士(経済学)。マクロ経済や国民経済計算の拡張としての持続可能な発展に関心がある。研究者インタビューはこちら
尾上 成一
博士(哲学)。民主主義や世代間正義・倫理に関心を持っている。哲学だけではなく、さまざまな分野の研究者との協働にも魅力を感じている。

1. 将来世代への影響を考える

現世代による決定が将来世代に影響を及ぼす

田崎 「私たち現世代は将来世代のことを考慮するのか、考慮しないのか。どちらが倫理的であるか。」という点から話を始めたいと思います。これまでもいろいろな議論がありましたが、結論から言えば、「考慮すべき」というのが私の答えで、民主主義で物事を決める人々は、その決定によって影響を受ける人々だとする「全被影響者原理(All affected principle)2)」の考えに基づき、正当性を説明することができると考えています。

尾上 政治哲学の立場から補足させてください。民主主義は平たく言えば、「みんなのことはみんなで決めていこう」ということですが、誰が「みんな」なのかというのは実は悩ましい問題です。もし民主的な手続きで「みんな」を決めようとするならば、その「みんな」を決めるための集団を決める必要があります。もし「みんな」を決めるための集団を民主的な手続きで決めようとするならば、今度はその集団を決めるための別の集団が必要となり、結局は「みんな」を決められません。田崎さんのおっしゃった全被影響者原理は、この繰り返しに陥ることなく、誰が民主主義における「みんな」なのかという問題に答えることができる考えです。

全被影響者原理は大雑把に言えば、民主主義で物事を決める「みんな(専門用語でいうと『デモス』)」は、その決定によって影響を受ける人々であるべきだという考えですから、将来世代が影響を受ける気候変動のような問題については、将来世代もデモスの一員だという主張が出てきます。

久保田 気候変動の問題3)は将来世代が悪影響を受ける典型的な問題ですよね。現世代の対策の程度によって将来の人々が影響を受ける程度が大きく異なることから、近年は、気候変動に関する世代間衡平性の論点*1や気候正義の論点*2が今までにないほど注目されるようになっています。気候変動問題に全被影響者原理を適用するのは、多くの人に受け入れやすい考えに思えます。

*1 気候変動による悪影響や対策に伴う負担などが異なる世代の間で差が生じないようにしつつも、世代間で利用できる技術や社会的条件などがどうしても違ってしまうことも前提にして、いかに違いに応じた、かつバランスのとれた扱いを行えるかについての論点

*2 気候変動による悪影響や対策に伴う負担などが衡平であるか、世代間や世代内でどのような配慮義務があるかなどの論点

影響を受ける人が意思決定に参加すべきとすると生じる問題は?

尾上 そのため、将来世代がデモスの一員だとする説を支持する人も少なくありません。しかし、全被影響者原理を適用するには問題もあります。問題の一つは、影響を受ける人がデモスの一員だとすると、時空間の両方でデモスの範囲が拡がってしまうことです。例えば、ある国が決めることに対して、その国以外の人々も影響を受ける可能性がある場合は、国民以外もデモスの一員になり得ます。

田崎 つまり、現在の国際社会は他国が内政に干渉することを認めていないのに、その国以外の人々もその国の政治に参加させるべきだということになりかねないのですね。それは、現実的には悩ましい問題に思えます。

久保田 全被影響者原理に賛成する政治学の方々は、この点をどう考えているのですか?

尾上 確かに全被影響者原理は、他の国の人々に対する参政権の付与を認める可能性もあります。ただしこの原理を支持する人たちは、必ずしもそのように考えてはいません。例えば全被影響者原理は、他国の政治的代表の判断を適切に考慮することを求めるものの、他国の人々への参政権付与までは必要としないという人もいます4)。しかし全被影響者原理をこのように解釈したとしても、国内の意思決定において国外の声により耳を傾ける必要があるという点で、現状の国際社会像や国家像とは異なるものになるでしょう。

田崎 なるほど。10年やそこらで国際社会が大きく変容するとは考えにくいですし、のんびり検討していたら気候変動がどんどん進行してしまうので、我々の研究プロジェクトではこの議論は脇に置いておいて、現実解を追求していきたいですね。

悪影響を受けても交渉できない将来世代には何らかの仕組みが必要

山口 経済学では、ある人の行為などが市場や意思決定を通さないところで他の人などに影響を与えることを「外部性」と言うのですが、今の議論と共通している部分があるように思います。全被影響者原理に基づいて、影響を与えることが考慮されるようになると、外部性の問題はなくなる気がします。

他方、外部性にもさまざまな種類があります。例えば、経済活動のために車を運転する際に、隣人に大気汚染や騒音などで迷惑をかけるということは市場の外部にあることですが、当事者どうしで交渉できるので、社会としては問題解決の道筋があります。外部性がある問題でも、当事者間で交渉できるならば比較的問題にならず、地理的、時間的に離れていて交渉ができない外部性の方がより問題になります。

市場や意思決定の外部にあるため考慮されない影響を「社会的費用」と呼ぶことがありますが、そこでいう「社会」に外国や将来の人々を含めるかどうかが大きな論点になります。

デモスの話に戻すと、国家間であれば、ある国が他国に悪影響を与えたとしても影響を受けた国がその国と交渉を始めることができますが、現世代が将来世代に悪影響を与えたとしても将来世代は現世代と交渉を始めることができません。将来世代への悪影響の方が、何らかの仕組みをより必要としていると言えると思います。

尾上 政治学の分野では、「影響を受ける」ことはデモスに含めるための十分条件ではないという考えもあります。全被服従者原理(All-subjected principle) と呼ばれる別の考えでは、「法に従う義務のある人々、または法に従うことを強制させられる人々がデモスである」という考えをしています。

山口 その考えだと、空間的な話である国家間のデモスの扱いはクリアできますね。では、時間的な話である将来世代がデモスかどうかという点についてはどうなるのでしょうか?生まれていない将来世代は、「将来、その国の法や国家権力に支配される人々」と言えますが、「法や国家権力に支配される人々」として現在の政治に参加させることが望まれると言えるのでしょうか。

尾上 Beckman (2009)5)やCampos (2021)6)といった方々は、全被服従者原理に基づき、将来世代はデモスに含まれないという考えを示しています。しかしその場合でも、将来世代を考慮すべき理由として、世代間正義や世代間倫理に基づく道徳的な理由を挙げることができます。

山口 道徳的な理由だと、「将来世代を考慮しなければならないから、将来世代を考慮する」というトートロジー(同義反復)に陥らないよう、注意したいですね。

2.将来世代の権利を考える

日本国憲法は将来の国民の基本的人権も保障している

田崎 議論を聞いていて、将来世代を現在の政治決定に参加させなければならないという話と、現在の政治決定において考慮しなければならないという話は違うと思い始めました。

尾上 確かに違う話ですね。将来世代を現在の政治決定に参加させなければならないかどうかについての議論には決着がつけられていないことが確認できましたが、将来世代のことを考慮しなければならないのかどうかについてはどうでしょうか?

田崎 将来世代のことを考慮しなければならないという議論は、将来世代にはそのような配慮がされるべき権利があるという理由と、現世代にそのような注意をしなければならない義務があるという理由の大きく二つに分かれると考えています。前者は将来世代の権利論、後者は現世代の責任論ですね。ここでは、将来世代の権利について議論しましょう。

日本国憲法は第11条で「国民に保障する基本的人権は、 侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」としています。この条文は明確に将来世代に権利があると述べているように思えます。この文章の持つ意味は非常に大きいのではないでしょうか。

また、人類は基本的人権という考えを発展させてきた歴史があります。現在は認められていない権利も、将来は認められている可能性があります。我々は将来認められていく可能性がある権利も視野に入れて、議論をしていくことが大切だと思います。

尾上 憲法に将来世代の権利あるいは利益を考慮する条項を書き込むことは、将来世代を考慮する制度の一つの類型ですね。日本だけでなくエストニア、チェコ、ポーランド、スイス、ウクライナといった国々でも同様のことが行われています7)

将来世代の権利は現世代の権利より優先されるのか

久保田 田崎さんご指摘の点は、その通りだと思います。ただ、法学者として言わせてもらうと、「権利」というものは他者を従わせる強い力をもつ概念なので、「悪影響を被っている/被る可能性が高いのに何も言えないのはひどい」ということだけでは権利があることの理由としては不十分で、法学者が行う議論の中では、相当に確固とした理由が求められます。また、多くの制度が存在することは議論で説得力を持たせることにはなりますが、理由をきちんと説明したことにはならないので、もう少し注意深く論じたいですね。

田崎 なるほど。では、どのような論点があるかをもう少し確認してみましょうか。

久保田 私からは二つの論点を挙げたいと思います。一つ目ですが、権利というものは他者に侵害されたら、それを止めるようにできる法律上の強い力があります。そこまでの強い権利を将来世代に認めるのかどうかという論点です。とりわけ、複数の権利が衝突する場合に、他の権利よりも優先されるものか、どのようにそれらを調停させるかの方向性が見えていなければ、他の権利も規定している法体系のなかに将来世代の権利をうまく組み込むことができません。

「将来の国民」とは誰のこと?

久保田 二つ目は、その権利がいつ与えられるのかという論点です。例えば、世界人権宣言の第1条は「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」とされていて、「生まれる」ということが権利の起点になっています。

田崎 なるほど。確かに、憲法の第11条は「将来の国民」に基本的人権を与えるとしてはいますが、いつ与えるかは書いていないですね。「国民」という言葉が気になったのですが、「国民」になるタイミングというのはいつなのでしょうか?

久保田 国籍法で日本国民になる要件が規定されているのですが、外国人が日本国民になるときなどの要件を除けば、基本的に、生まれたときですね。

人間が生まれながらにして持っている権利を自然権というのですが、国家や共同体が人々を虐げた歴史をふまえ、個人が国家などから侵害されることがないように、人類は自然権の概念を発展させてきました。基本的人権は、自然権のなかで代表的なものです。

まだ起こっていない基本的人権の侵害について判断する法的根拠はない?

田崎 私たちの研究プロジェクトが対象としている問題は、国家などの現在の判断が将来世代の基本的な権利を脅かす問題です。生まれることを起点とした従来の考え方では、そのような異時点間の権利の侵害を未然に防ぐことはできないのではないでしょうか。環境分野では、環境の破壊や汚染は簡単には回復しないという不可逆性の強い問題であることから、予防原則8),9)(科学的不確実性がある場合でも、深刻なリスクや損害があると推定される場合には、事前に予防的な対策を取るべきとする考え方 )という考えを発展させてきました。実際の判決で、将来世代が被るマイナスを事前に回避するような法的な判断事例はないのでしょうか。

尾上 以前、マヌエラさんが紹介したドイツの憲法裁判所の判決が一つですね。もう一つ有名なのは、チリ政府が承認した森林伐採計画についての判決です。1997年に、同国の最高裁判所が、森林伐採計画が憲法で定める将来世代の権利を脅かすとして、その計画の承認取り消しを命じた判決があります10)

久保田 環境法の中で予防原則は大切です。幅をもってリスク管理をするという考え方は重要ですが、バランスをとることが重要です。度を超えてしまうと、現世代の多くの人々の行動を大きく制約することも考えられます。現世代の基本的人権と、将来世代の権利とが衝突してしまうのです。具体的な被害の大きさや範囲、それから自由の制限の度合いを特定して議論することが重要になります。抽象的な議論では議論が収束しないでしょうね。

なお、ドイツの憲法裁判所の判決事例ですが、申し立ては、気候変動が引き起こす危害から将来の人々を保護すること、つまり「将来の人々の基本権保護をドイツ国が怠っている」という内容だったのですが、憲法裁判所は、そういう論理構成を採用せず、「将来の人々の自由が大きく制限される」という論拠に基づいて違憲判決を出したことには注意が必要です。

山口 申し立てとは異なる論拠を持ち出してきたのですね。どのような背景があるのでしょうか。将来の人々が気候変動の被害を受けるという考え方ではなく、資源が枯渇して将来の人々が資源を使えなくなってしまうという考え方に似ていて、興味深いです。

久保田 ドイツ憲法裁判所はこれまで、実際に基本権の侵害が具体的に確定している場合にのみ、基本権保護を求める判決を出してきました。気候変動の場合は将来の話ですので、基本権の侵害が具体的に確定しているわけではありません。そこで、新しい法解釈を持ち出さざるを得なかったと考えられています。

3.議論のまとめ

将来世代からの現世代の研究者への期待に応えるために

田崎 ここまでの話をまとめましょう。将来世代にある程度の権利のようなものを認める発想や議論はあるものの、権利の発生のタイミングや他者の基本的権利を差し止めるなどの具体的な法技術的な課題は残っているということでした。また、将来世代を現在の政治決定に参加させなければならないという議論についても決着はついておらず、生まれていない将来世代の意見をどのように代弁させるかという方法論的な課題も残っています。

法学者や政治学者の方々には、このような将来世代に関する新しい学問領域で、どのような法解釈と運用が可能か、将来世代への責任を考える上で、あるべき方向性とその学術的根拠は何なのかといった検討を続けていただきたいですね。それが、将来世代が現世代の研究者に期待していることだと思います。

最後に、それぞれから一言ずつ、感想等をいただけますか。

尾上 今は存在しない将来世代の権利が政治理論上認められたとしても、それによって直ちに法的権利として認められるわけではありません。今回の座談会では、社会の仕組みや制度を考えるうえで、政治理論の枠組みを超えた議論の必要性を改めて感じました。

山口 今日も指摘がありましたが、正義の問題は理論だけでは限界があり、具体的な事例に基づいたボトムアップの議論と両にらみが必要ですね。また、権利や人権だけに基づいて議論すると必ずやどこかで衝突が起こってしまい、予防的アプローチと同じ課題がありますね。

さらに、世代間で加害者・被害者という単純なレッテルを貼ってしまうと、世代間の複雑で重層的な関係が見えなくなってしまいますし、無用な対立を招くことになりかねません。そもそも世代は一つの属性にすぎず、同じ世代内でも人によって境遇が全く異なることを忘れないようにしたいです。

久保田 私は、権利として確立するのはそう簡単なことではないと発言しました。現時点では、理論的にはそう評価せざるを得ないのですが、他方で、それを強固なものととらえ過ぎたために、議論が十分になされてこなかったという側面もあるのではないかと感じました。田崎さんのおっしゃる通り、あるべき方向性とその学術的根拠とをつなげる検討をもっとしていかなければならないと思います。

田崎 今回の座談会では未解決の部分が明確になって、理解を深めることができました。私自身は、責任論のなかでもリサイクル分野でのレスポンシビリティの研究をしてきたので、現世代がレスポンス(対応)しなければならないこと、という観点でもう少し関連する研究を深掘りできればと心新たにすることができました。本日の議論、本当にありがとうございました。

[2024/04/10 記事公開]
[2024/04/11 一部修正]

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今回の皆様への質問:次の考え方のうち、あなたに当てはまるものはどれでしょうか。当てはまるものすべてを選んでください。
 □将来世代と現世代は平等に扱われるべきである
 □将来世代のことを考えても仕方がない
 □現世代も将来世代も、基本的人権を等しく享受することができる
 □将来世代が発言できない以上、政治決定において誰かが代弁することが適切である
 □当てはまるものはない(自由回答)

参考文献

1) H・コリンズ、R・エヴァンズ(2020)専門知を再考する、名古屋大学出版会.

2) Goodin, R.E. (2007) Enfranchising All Affected Interests, and Its Alternatives. Philosophy & Public Affairs, 35, pp. 40–68.

4) Wilson, L.W. (2022) Making the all-affected principle safe for democracy. Philosophy & Public Affairs, 50(2), pp. 169-201.

5) Beckman, L. (2009) The Frontiers of Democracy: The Right to Vote and Its Limits. Palgrave Macmillan.

6) Campos, A.S. (2021) Representing the Future: The Interests of Future Persons in Representative Democracy. British Journal of Political Science, 51, pp. 1-15.

7) Tremmel, J.C. (2006) “Establishing intergenerational justice in national constituents,” in Tremmel, J.C. (ed.) Handbook of Intergenerational Justice, Edward Elgar.

8) 植田和弘・大塚直(監修)(2010)環境リスク管理と予防原則,有斐閣,381pp.

9) 大塚直(2016)環境リスクの法政策的検討.日本リスク研究学会誌,26 (2), 91–96.

10)González-Ricoy, I.(2016) “Constitutionalizing intergenerational provisions,” in González-Ricoy, I. and Gosseries, A.(eds.) Institutions for Future Generations, Oxford University Press.