2026/09/106分で読めます
2024年、世界の平均気温は産業革命前と比べて一時的に1.5℃を超える水準に達しました。豪雨や熱波、干ばつ、山火事など、気候変動の影響はすでに私たちの生活の中で身近なものとなっています。しかし、気候変動の問題は、単に気温が少しずつ上昇することだけではありません。
科学者たちが近年特に注目しているのが、「転換点(ティッピングポイント)」と呼ばれる現象です。転換点を超えると、地球システムの一部が急激に変化し始め、その変化が長期間続く可能性があります。場合によってはその変化が、人間社会の時間スケールでは元の状態に戻せなくなることもあります。
転換点とは、地球システムの要素がある限界を超えたときに、急激で自己永続的な変化が始まる境界のことです。英語ではティッピングポイント tipping point と呼ばれますが、tip とは倒れる・ひっくり返る、という意味を持つ言葉です。ここで「地球システム」とは、地球環境を一つのシステムとして捉える考え方です。2023年に公開された「地球規模の転換点に関する報告書 (Global Tipping Points Report) 」では、転換点の特徴として次の3つが挙げられています。
地球システムを構成する要素のうち、この「転換点」を持つ可能性のある要素を、地球システムの「転換要素(ティッピングエレメント)」と呼びます。
近年の研究では、地球システムの様々な要素が転換点を持つ可能性があると考えられています。地球システムの要素の転換点を示したのが以下の図です。

気候変動に伴う地球規模の気温上昇が引き金となって、地球システムのさまざまな要素が転換点に達すると考えられます。このため、図では転換点を示す指標として、全球気温上昇の大きさを示しています。
図を見ると、転換点をもつ要素は北極や南極だけでなく、海洋、森林、生態系など世界中に分布していることがわかります。以下では、転換点を持つ要素と、これらが急激・自己永続的・不可逆的な変化を引き起こすメカニズムについて、簡単に説明します。
最もよく知られているのが、グリーンランド氷床や西南極氷床です。これらの巨大な氷床では、融解が進むことで氷床表面の高度が低下し、より暖かい空気にさらされるようになります。その結果、融解がさらに加速されます。
研究によると、グリーンランド氷床の転換点は、産業革命前からの気温上昇が0.8〜3.4℃程度、西南極氷床は1〜3℃程度に存在する可能性があるとされています。
氷床の融解過程は非常に複雑であるため、転換点がどこにあるかは非常に難しい問題です。このため、転換点の予測には大きな不確実性があります。現在の平均的な気温上昇は、産業革命前から比較して1℃程度であることを考えると、すでに氷床の転換点を超えているかもしれません。
氷床の融解が続けば、最終的には数メートル規模の海面上昇を引き起こす可能性があります。もちろん、海面上昇は数十年で起こるわけではなく、数百年から数千年かけて進行します。しかし、ひとたび転換点を超えれば、その上昇は長期的に「約束される」ことになります。
海洋循環にも転換点があります。
大西洋では、大西洋子午面循環 (Atlantic Meridional Overturning Circulation, AMOC) と呼ばれる巨大な海洋循環が存在しています。大西洋子午面循環は、熱帯で温められた塩分の高い海水を、北大西洋へ運ぶ重要な役割を果たしています。
グリーンランド氷床の融解によって大量の淡水が流れ込むと、北大西洋の海水の塩分が低下します。その結果、海水が沈みにくくなり、循環が弱まります。循環が弱まると熱帯から高緯度への塩分の輸送も弱まり、さらに循環が弱くなるという自己増幅が起こります。
北大西洋子午面循環が大きく弱化すると、北大西洋の寒冷化、降雨パターンの変化、モンスーンの変化、アマゾン地域の乾燥化など、世界各地へ影響が及ぶ可能性があります。
アマゾン熱帯雨林も転換点を持つと考えられている要素の一つです。
アマゾンの森林は、大量の水蒸気を大気中へ放出し、自ら降雨を生み出しています。しかし、気温上昇や乾燥化によって森林の活動が弱まると、森林からの蒸発散が減り、降雨量が低下することで、さらに森林が衰退するという正のフィードバック(変化を増幅する過程)が働く可能性があります。
一定のしきい値を超えると、熱帯雨林がサバンナのような乾燥した生態系へ移行する可能性が指摘されています。近年の研究では、気温上昇1.5〜2℃程度でもリスクが無視できないとの見方が強まっています。
地球システムの要素が転換点を超えることは、自然環境だけの問題ではありません。
氷床の融解による海面上昇は、沿岸都市や農地、水資源に影響します。北大西洋子午面循環の弱化は、農業生産や水資源、エネルギー需要を変化させる可能性があります。アマゾン熱帯雨林の衰退は、生物多様性の損失だけでなく、農業や経済活動にも大きな影響を与えます。
気候変動による被害は、将来世代だけでなく、すでに現在の社会に影響を与え始めています。転換点を超えた場合、その影響は数世代、あるいはそれ以上の期間にわたって続く可能性があります。
地球システム要素の転換点は、「温暖化が進めば少しずつ影響が大きくなる」という従来のイメージとは異なり、「あるしきい値を超えると急激で自己永続的な変化が起こり得る」ことを示しています。
もちろん、転換点が正確にどこにあるのか、いつ超えるのかについては、依然として大きな不確実性があります。このため、現在、国内外で地球システムの転換点に関する研究が活発に行われています。国環研では、「地球—人間システムのティッピングポイントに関する研究」プロジェクトが2026年度に立ち上がり、将来起こり得る温室効果ガス排出、地球システムの変動、社会や生態系に生じるリスクについて、研究を進めています。文部科学省「気候変動予測先端研究プログラム」(https://www.jamstec.go.jp/sentan/(外部サイトに接続します))でもこの問題に活発に取り組んでいます。国際的なモデル比較研究プロジェクト TIPMIP (https://tipmip.org/(外部サイトに接続します)) や、EU の研究プロジェクト TipESM (https://tipesm.eu/(外部サイトに接続します)) / ClimTip (https://www.climate-tipping-points.eu/(外部サイトに接続します))とも連携を進めています。
地球システムの転換点を確実に避ける方法はありません。しかし、温室効果ガスの排出を削減し、気温上昇をできるだけ小さく抑えることは、転換点を超えるリスクを減らす最も有効な手段です。転換点に関する研究をとおして、そのことを科学的な観点から示していくことが私たちの目標です。